what im thinking -8ページ目

ジャック・ライアン

昨日、映画を4本連続で見た。
作品は全部トム・クランシーの小説が原作
ジャック・ライアンシリーズ
レッド・オクトーバーを追え
パトリオットゲーム
今そこにある危機
トータル・フィアーズ
どの作品もアクション・スリラーで政治工作やスパイ行為、諜報活動などを中心に描かれている作品
主人公の機転の良さや信念の強く熱血的な人物像が見るものを虜にする。
監督・役者の違う作品によって映画のスタイルがすごく違って、おもしろく見れて、飽くことなく連続して見れた。
音楽も多彩でアイリッシュミュージックから壮大なクラッシックまで幅広く構成されている。
何作かは以前にみたことがあったのだけれど、連続してみると背景事情や人物像が深くわかり、また俳優の特徴によって変わるジャック・ライアン、脇役の重要性、トム・クランシーの類稀なエンターテイメント性に触れることができた。
アメリカとロシアのスリリングな政治的関係やドラッグと政治の利害関係、IRAのテロリズムから発展した私怨などと多彩に富んだプロットは水面下に実際起こっていそうなストーリーで興奮の連続であった。

見ている時に思ったことは、愛国心である。
日本人には愛国心や帰属意識というものにかけている気がする。それは島国ということや平和、安定した生活、統一されている民族、それを恐怖する教育制度などが要因にあると思われる。海外に出てみて、僕は自分も含め日本人というグニャグニャで不可思議な民族のことが少しわかった気がする。そこには、当然長所も短所もたくさんあると思う。その愛国心や宗教的姿勢への鈍感さなどは日本人の気質の一つなのかもしれない。中には、アブノーマルな人たちもたくさんいるし、ぼくはそういう方々のことを尊敬する。何かに固執できる人たちには何か光るものが見えるし、それがいわゆる異端であったとしてもそこには信念がある。いかに自分とは考えるところが違ったとしても、それを尊敬しないわけにはいかない。
高度経済成長期を経てバブル崩壊、そしていわゆる見えない好景気、リーマンショックによる世界恐慌、日本人の愛国心というものはこの20世紀後半から21世紀の初頭にかけてどんどん薄れていっている気がする。愛国心どころか個人個人の日本に対する考えすら損なわれているのではないか??
また、個人の持つ特性など無視され、黒い鳥が大きな翼を開いたような嘘にまみれた社交辞令の渦巻く社会の中に息をつく間もないくらいに断続的に存在し続けることが求められる。
そんな中でどう自分というものを見つめ、自分がどういう人間であるかを理解できようか??
みんな仮面の自分ばかりを見続け、それが自分だと錯覚を起こす。
絶対に仮面の自分の中には違和感があって、どうにもうまくいかず、自己嫌悪する。
だけど、そんなことにも気付けないまま一生を過ごし終焉を迎えるなんて、そんなの哀しすぎる。
でも、そんな社会が現実。
僕は呑まれたくない。飲んでやりたい。
誰にでも弱音は吐ける。そして、すべての責任を社会に転嫁することだって容易いことに違いない。
それは、その行為は、そんな中でも自分を貫いてきた人たちに対して失礼極まりない。
社会というものは歴史上どの時代をとっても下層階級の人々は搾取され、上層階級の人々がその権威を輝かしいままに奮うようにシステム化されているからだ。
出る杭は打たれるという言葉の言われるままに、、、
しかし、打たれても打たれても、信念を掲げ打ち勝つことのできる人はたくさんいた。
彼らには自分というものがあり、何かをやり遂げたいという志があり、国への思いがあったはずだ。
だから、忘れてはいけない。
自分への偽りない情熱を







黒い鳥に
包まれる顔
公園の木陰
マスカレードの舞踏会

母親の化粧台に映る
自分の顔と
猜疑心
触る瞬間の恐怖

the winter has begun

finally , london winter has begun.
nowadays i feel very cold.
but i lost my favourite gloves.its so sad.
i have been feeling a desire with that gloves.but its gone to somewhere.
i cant get over.
red leaves of autumn had already been fallen down ,and they are making people a bit chilly.
i like this season.
actually this season is the best season for me.
cos , we can see a lot of beautiful scenery.



冬が始まった。今年ももう終わりに近づき、新しい年を迎える季節。
僕はこの季節が大好きで、何か季節とは裏腹に心温まる思いを感じる。
時の流れや環境の変化はないのに何か新しい気分を彷彿させる。
自分はまだ未熟者で知らなきゃいけないもの、やらなければいけないこと
がたくさんあるけれど、
この季節は焦燥感ではなく、地に足が着いた気分でステップを踏ませてくれる。



ひとつひとつ足を進めていく、刻まれていく時間と共に。
そんな自分に合わせて歩いてくれる周りの景観。
僕は何を見れて何を見逃しているのだろう。
動いている時計仕掛けの世界は思っているよりもすごく広くて、同じ時間を共有しているはずなのに
違う時間軸を走っているかのよう。
ある人は疾風の如く時を駆け巡り、何も見えない闇の中を自分の信じた道を突き進む。
また、ある人は光を灯した蝋燭が照らしている道をその光を消すまいとゆっくり歩き進む。
でも人間は前に進んでいく、
決められるはずのない未来はものすごく黒ずんでいて湿っぽくて、
幻想の世界は印象派の絵画のように光と色で神々しく輝いているのに
僕は考えてしまう。
遺伝子のからくりを作った何かが、この世界をボードゲームのように少しずつサイコロで進めているんじゃないかと

ぼくは思う。
本当の物なんてないんじゃないかと
全部人間の作り出した創造の世界なんじゃないかと
時間というその枠組み
神というものの存在
思想という考え方
道具という物体
この何十世紀という歴史の中、人は進み続けてきた。
何か自分らの生きる環境の中では考えられなかった未知の領域に突き当たった時
彼らは常にそれをカテゴライズして解明してきた。
それが今も急速なスピードで進み続け止まることを知らない。
いずれは、すべてのものが数式化され、感情や本能といったものまでも数字に置き換えられ
人間が人格をなくしたようなロボットの状態で生きている水晶宮の世界ができるのであろうか??

矛盾の中で生きている。
人の見方は一人一人違いすぎる。
どんなものひとつとってみても、人の見方は天と地の差だ。
その人の背景がそうさせているのか??
それともその人本来のもちえた潜在的なものの影響か??





匂いが変わった
見えていたはずなのに
置いてきぼりにされた
光の連絡

風の隙間
感じるのは
妙に澄んでいる
湿った空気

小さな池
静かに流れる波動
その追憶の先
佇む一つの羽

甘い牛乳と朝

最近、甘い牛乳に恋をしました。
ほんのり甘いあの味、どこか抱擁されるかのような感覚

今日は朝わりと早く起きなければならなかったので、それがちゃんと実現できてよかったと思い
ブログを書きました。
朝早く起きた時の清々しさは何とも言いようがありません。

ここにタバコの煙が辺り覆い始めると一日の訪れを感じます。



大きな流れと小さな流れ
窮屈な部屋の中
刻まれていく時間
心の中は焦燥の香り

タバコのにおいと苦み
君を思う
一人の朝
音楽と共に
始まる鼓動