帰らざる河と許されざる者 | 懐古趣味親爺のブログ

懐古趣味親爺のブログ

幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

現在でも愛され続けている人気女優マリリン・モンローが主演した『帰らざる河』と、オードリー・ヘプバーンが主演した『許されざる者』は、古びることのない西部劇といえます。

『帰らざる河』(1954年/監督:オットー・プレミンジャー)

1875年の北西部、マット(ロバート・ミッチャム)は9歳になる息子マーク(トミー・レティグ)を尋ねて酒場にやって来ます。マークは酒場の歌手ケイ(マリリン・モンロー)が世話になっていましたが、マットはマークを引き取り、新しく買った農場で生活を開始。ある日、マットは家の近くの河で、筏で漂流しているケイとハリー(ロリー・カルホーン)を助けます。賭博師のハリーはイカサマ博打でとった金鉱の登記のためにカウンシルシティに行く途中で、マットを殴り倒して馬と食料を奪って出発。ケイはマットをほっておけず、介抱しているとインディアンが襲撃してきます。マットはケイとマークを連れて筏に乗り、カウンシルシティに向けて激流を下りますが……

マリリン・モンローの映画の中で私が一番好きな作品です。男をセックスで惑わす悪徳の女性でありながら、可憐な心情を持っている女。“グット・バッドガール”のケイは、モンローにとって最良の役柄でした。

いきなりテント小屋の酒場で、赤いドレス姿で太腿を露にギターを弾きながら、「ワン・シルヴァー・ダラー」を歌い、酔っ払い相手に妖艶さをアピール。そして、緑のドレスで歌う「ファイン・ロマンス」。子どもを迎えにきた、ロバート・ミッチャムに鉄火姉御的なところを見せ、色悪のロリー・カルホーンに純なまでの甘えを見せる。一方で、置き去りにされたミッチャム父子と筏で河を下る時に、子どもに見せた優しさ。「ダウン・イン・ザ・メドウ」を歌うモンローが、また良いんだなァ。

扇情的なドレス姿よりも、河を下る時のジーンズにシャツ姿に女を感じたのは、私だけでなくミッチャムもムラムラときたのはわかりますね。そしてラストの切ない嘆きの表情で歌う「帰らざる河」を聴いたら、ミッチャムならずとも、抱きかかえて連れ戻したくなりますよ。モンローの魅力を引き出したベスト作品だと、私は思っていま~す。

 

『許されざる者』(1960年/監督:ジョン・ヒューストン)は、オードリー・ヘプバーンが出演した唯一の西部劇。それもインディアン娘(カイオワ族の酋長の妹)です。

ザカリー家の養女レイチェル(オードリー・ヘプバーン)は、母(リリアン・ギッシュ)、長男ベン(バート・ランカスター)・次男キャッシュ(オーディ・マーフィ)・三男アンディ(ダグ・マクルーア)の兄弟と牧場で平和に暮らしています。彼女はインディアンとは知らず、兄弟たちも知りません。なにせオードリーなんですから。

ところが、一家を怨むケルシー(ジョゼフ・ワイズマン)が現われ、そのことをばらすんですな。ワイズマンは狂的な役をやらせると巧いなァ。そして、レイチェルが酋長の妹だと知ったカイオワ族が妹を取り返すために襲撃してきます。隣家の牧場主ゼブ(チャールズ・ビッグフォード)の長男(アルバート・サルミ)がカイオワ族に殺されたことから、インディアンに偏見を持っている近所の連中は一家と絶交。オードリーを密かに愛していた長男のランカスターが、孤立無援となっても彼女を守って戦う決意をするんですよ。

ジョン・ヒューストンは、インディアンに対する白人の人種的偏見をテーマに、ミステリータッチの異色の西部劇に仕上げています。一方で、ハリウッドの赤狩り批判にもなっていますね。インディアンとわかってオードリーに向ける目は、共産主義者と判明した者に向けられた目と同じと云われています。苦闘に満ちた一家の運命を描いた作品で、ポスターの惹句“テキサスの荒野に愛と純潔をかけて戦う美しき乙女の物語!”にあるような、ハーレクイン的ドラマではありません。

オードリーがインディアンとわかって一度は家を出たマーフィが戻ってきて戦ったり、オードリーが実の兄よりランカスターをとるラストは、古き良き西部劇といえます。再見して気づいたのは、物語に直接絡まない若き日のジョン・サクソンの野性的魅力で~す。