記念硬貨と幸福切符 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

画像は、亡くなった両親が所持していた記念硬貨。1964年に開幕がせまる東京五輪に合わせて発行された国内初の記念硬貨です。

千円銀貨の発行は1500万枚、100円銀貨は8千万枚で、2種類で計230億円分が造られました。全国の金融機関や郵便局、農協の窓口でそれぞれ2回ずつ放出。1人1枚限定で両替。引き換えが始まるや人々が殺到。特に千円銀貨が人気で、5千円~6千円のヤミ値がつきました。当時の新聞記事などによると、1回目の10月2日の朝9時、東京駅前の中央郵便局には毛布持参の夜明かし組など数百人が並んだとのこと。2回目の同29日、整理券にあぶれた人々が担当者に詰め寄るなどして、各地で警官隊が出動。百貨店では銀貨をはめ込む盾やキーホルダーが売れ、貴金属店では「首飾りに」との注文が相次ぎます。

こうした狂乱状態は日本にコイン収集ブームをもたらします。75年夏、沖縄海洋博記念の100円硬貨が発行されますが、その数なんと1億2千万枚。このころには東京五輪の千円銀貨が1万円以上で取引され、高い時は2万円を超したこともあるとか。76年開催のモントリオール五輪に向けてカナダ政府が世界で記念銀貨の販売を始めると、日本ではわずか半年間で140万枚(43億円)も購入されました。自国以外では最多の売れ行きで「メダル好きの日本人」と評されます。

国家的な大事業やイベントとセットで造られる記念硬貨は、バブル景気の上昇気流の中で投資対象になりましたが、バブルがはじけてコイン収集熱もすっかり冷めましたな。2回目の東京五輪では、それに合わせて様々な記念硬貨が発行されましたが、関心は低いものでした。記念切手と同じで、現在価値は下がっているでしょうねェ。

 

幸福切符

記念硬貨や記念切手のような投資が目的でなく、一時的に収集されたブームに幸福切符があります。旧国鉄・広尾線の愛国駅で発売された幸福駅行の切符ね。

事の始まりは、1974年1月に愛国駅にやってきた学生が幸福駅までの切符を求めます。そんな切符は1年に数枚しか売れないので印刷しておらず、駅員が「幸福」行きとペンで切符を手書き。1月に6枚の幸福行き切符が売れましたが切符は未使用。3月には284枚が売れ、疑問に思った駅長は、乗らないのにどうして切符を買うのかと若者に聞いたところ、「愛の国から幸福へ、なんてロマンチックだからさ」と答え、若者の間で口コミで拡がっており、「夏になったら大変だよ」とまで言います。駅長はブームを見越して切符を印刷したものに変えることにしますが、4月に刷り上がったのは500枚。たちどころに売り切れ、6月には2万6千枚売れます。夏休みが来ると、駅前広場には、全国から来た学生によるテント村ができます。

駅名の愛国は同地域の青年団の名前をとったものだし、幸福は大正時代に同地域に集団入植した“幸震”と呼ばれていた福井県の開拓者の頭文字をとったもの。“愛”とか“幸せ”という意味とは関係ないものですが、10月までに100万枚も売れます。粗品やインセンティブに利用するため、企業による大量注文が入り、全国的な大ブームとなったんですね。レコード会社も2社が幸福駅をテーマにした歌謡曲を発売。芹洋子の「愛の国から幸福へ」は、私も聴いたことがあります。

しかし、1年後、切符の売れ行きは落ち、1987年には広尾線は廃線となりま~す。