太陽の下の18才 | 懐古趣味親爺のブログ

懐古趣味親爺のブログ

幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

映画が好きで小学生の頃から映画館(近所の3本立て映画館ね)にはよく行っていましたが、その頃は邦画ばかり。邦画から洋画に興味が移っていったのは中学生になってからです。テレビで西部劇が好きになり、西部劇を観るために映画館通い。西部劇で洋画の面白さを知りました。そして、洋画好きの友人ができて、一緒に観に行ったのがカトリーヌ・スパーク主演の青春映画『太陽の下の18才』(1962年/監督:カミロ・マストロチンクエ)です。スパークのファンだった友人に無理やり誘われてね。ファンといっても彼は、それまで彼女の映画は1本も観たことはなく、雑誌のグラビアを見てファンになっていただけ。

カトリーヌ・スパークの祖父はベルギーの外務大臣、父は仏映画界の大御所脚本家。パリ郊外の屋敷で生まれ育った名門のお嬢さん。『十七歳よさようなら』で主役デビューし、大ヒットしてたちまちイタリアの青春スターになります。愛らしいキュートな魅力は日本の若者にも人気で、60年代前半はアイドルとして活躍。

夏のバカンス(死語かな)で、ナポリ沖合いのイスキア島に3人の若者がやってきます。彼らの目的は、夏の太陽をいっぱい浴びながら青春を満喫すること。その中のひとりニコラ・モリノ(ジャンニ・ガルコ)は、船の中でニコル・モリノ(カトリーヌ・スパーク)と知り合います。島には彼らと同様な6人の若者がいて、たちまち意気投合します。若者たちは恋を求めて行動開始。ニコラとニコルは同じような名前だったために、ホテルの間違いで同室になってしまいます。同じような設定が後年のドラマでも出てきますが、この映画が最初じゃないかな。

出会った時から感じ合うものがあった二人は、ケンカをしながらも仲良くなっていくんですな。ニコラ以外の連中は悪戦苦闘。ドイツ娘を口説こうとドイツ語を習い始める者や、脱獄囚を装って、女の子の気をひこうという者さえ出てきます。ポーカーに負けてガールハントどころでない者までね。てんやわんやの大騒ぎのすえバカンスは終わります。ニコラとニコルは、「まぎらわしい名前は運命の導き」と結論。結婚してもイニシャルを変える必要がないと言って、ハッピー、ハッピーのエンドです。

単純なストーリー展開で名作とは言えませんが、ボート・アクアラング・ビーチウエア・ストローハットなど小道具がうまく用いられ、ボサノバやツイストといった当時流行していたリズムが各シーンで流れ、1960年代の明るい青春謳歌に溢れた作品になっています。

画像は、『太陽の下の18才』のレコードジャケット。劇中で使われた、ジミー・フォンタナが歌う「太陽の下の18才」と、ジャンニ・モランディが歌う「サンライト・ツイスト」が収録されています。作曲は音楽を担当したエンニオ・モリコーネね。「サンライト・ツイスト」は映画主題歌というより、日本でも若手歌手たちがカバーしたポップスとして大ヒット。モリコーネにとっては、映画の題名も憶えていないほど気に入らなかった曲みたいですけどね。ちなみに当時はモリコーネなんて名を憶えることはなく、私がモリコーネを知ったのはマカロニウエスタン『荒野の用心棒』からね。マカロニといえば、『二匹の流れ星』にジャンニ・ガルコが主演しているのですが、ゲーリー・ハドソンなんて変名を使っていたので、最初はわかりませんでしたよォ。

画像は、『二匹の流れ星』のジャンニ・ガルコ。