サンセット77 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

『サンセット77』は、♪~セブリセブン、サンセット・ストリップ、パチ・パチ(指パッチン二発)~と、マック・デイビット作詞、ジェリー・リビングストン作曲の軽快で浮足立つような主題歌で始まります。本国アメリカでは1958年から6シーズン(全205話)にわたって放送された人気番組。日本では、TBS系列で1960年10月7日から放送開始されましたが、日曜夜8時の放送だったのでナイターシーズンは野球中継があって変則放送になっていました。野球中継の時に観ていたのは裏番組の『若い季節』ね。昔は観たい番組が重なることが多くあって苦労したものですよ。

『サンセット77』は、ロサンゼルスはハリウッド、その有名なサンセット通り77番地に私立探偵事務所を構えるスチュアート・ベイリー(エフレム・ジンバリスト・ジュニア)とジェフ・スペンサー(ロジャー・スミス)のコンビが、さまざまな犯罪捜査に活躍するサスペンスドラマ。お隣りにあるのが、ディーン・マーチンが経営するレストラン「ディノのロッジ」ね。サンセット77番地もディノのロッジも実在しており、この番組の人気の影響で、当時は観光客が毎日おしかけて住民は迷惑したとのこと。「ディノのロッジ」では、ショータイムがあり、楽団演奏やゲスト歌手(ピーター・ポール&マリーが出ていたこともあった)が歌うシーンもありましたよ。

ベイリーとスペンサー以外のレギュラーとしては、競馬評論家で二人の友人であるロスコー(ルイズ・クイン)、ハリウッド警察署のギルモア刑事(バイロン・キース)、「ディノのロッジ」の駐車場係でしょっちゅうクシで髪の毛をかき上げていたクーキー(エド・バーンズ)。ジェラルド・ロイド・クークスン三世がクーキーの本名ね。それと、紅一点として事務所の秘書兼電話交換手のスザンヌ(ジャクリーヌ・ピア)がいました。ジャクリーヌ・ピアは、ミス・フランスからハリウッド入りしましたが、その後パッとしませんでしたね。

この番組で一番の人気者となったのはクーキー。日本で発売された主題歌レコードのB面はコニー・スティーブンスが歌う「クーキー、クーキー」でした。当時、世間の常識や道徳に反抗した行動をとる若者をビート族と呼び、ビート族のスタイルを持ち込んだのがクーキー。愛車は、古い車体に高性能エンジンを搭載したホット・ロッド。彼の話す言葉はヒップスター・トークと呼ばれる特殊なもので、ビート族の間にだけで通じる隠語めいたものが多くて翻訳に苦労したそうです。日本語吹替えで、私たちには言葉の面白さは伝わりませんでしたが、何となく雰囲気だけは感じていましたね。シーズン3からレックス・ランドルフ(リチャード・ロング)が探偵事務所に加わり、クーキーも探偵に昇格するんですが、平凡な存在となって当初の魅力がなくなりました。

『サンセット77』のキャッチコピーはピンキーサスペンス。ベイリーとスペンサーの行くところ、必ず美女が登場して二人に絡んできます。そして女性との洒落た会話。

「依頼人が美人の場合、料金が少し高くなります」とベイリー。

「なぜ?」と美人依頼人。

「心を冷静にするために、余計な苦労をしますから」

派手なアクションはありませんでしたが、豪華なセットにおしゃれな服装、洗練された会話から醸し出されるムードは、日本のサスペンスドラマにはないものでしたねェ。