
人を迎える時のあたたかい日本語である「いらっしゃい。」と、心の交流の出だしとなるあいさつ「こんにちは。」を、よくもまあ心をこめずにあそこまで乱用できるものだと感じてしまうからです。きっと、そういうものなのだ、とあきらめてしまえば受け入れやすいのでしょう。しかし、目を合わせることもなく、「よくぞいらっしゃいました」という気持ちをこめるでもなく、ただ、間がもたないからなのか何なのか、店内にいる間に何度も何度も言われるのです。入店した時、すれちがう時、レジで支払いをする前と。それでいて、こちらが「こんにちは。」とていねいに心をこめて返すと、とても驚かれます。なぜなら、客として求められているのは、店員からのあいさつを無視することなのですから。
あれでは、まるで、「こちらは心のこもらないあいさつをしますけど、気になさらないで無視してください。」と言われているかのようです。
コンビニに行くたびに、そのような事を考えていると残念な気持ちになりますので、そうはしていませんが、やはり、教育にたずさわる者として、未来を考える者として、何かしっくりこないものを感じるときがあるのです。言葉に気持ちをこめる。そして、そのこめた気持ちを受け止める。とてもシンプルなことですが、心がけたい大切なことだと思っています。
さて、クラスの半分ほどのメンバーの授業の感想を通信に載せました。中学生日記の「スリーポイントシュート」という内容です。通信に載せた理由は、「こんなふうに書いてあるから、あきらめたらだめだぞ。」とか、「あそこに書いたことは嘘だったのか!?」と叱るためでもありません。言葉の力に、もう一度、注目してほしいと思ったからです。よくよく読んでみると、その生徒なりの優しさや気づかい、心がけや葛藤(かっとう)が感じられます。そんな気持ちを受け止めてみる。とても、気持のいい時間です。
☆☆生徒の感想は、実際の通信に載せました。さすがに、ネットにポーンって載せません。☆☆







