しかし、私はこのようなファンシーなグミを食べようとすら思ったこともないし、ましてや妻が買ってきたものに手をつけるとリスクが高い、というのをこの数年で学んできたので、一切、手をつけないできた。そう、そうやって生きてきた。
「ひとつも食べてないよ。」と答えると、
「うそ!?じゃあ、私が全部、これ食べたっていうの?!」と驚きながら確認する妻。
いったい何に驚いているのか、それがまた驚きだ。
私が食べていないのに、なぜ、お気に入りのグミが減っているのか、という驚きのようだが、「あなたが食べていないっていうことは、まさか、私が食べたとでもいうの?」とでも言いたそうな驚きなのだから、常識でとらえてはいけない。
こんな時は、本当に落ち着いてもらいたい。相手のペースにはまったら負けだ。
事実を確認するだけでいいのだ。
「私は食べていない。」、以上。

ここで、「あなたが食べたんだよ。なぜ、覚えていないんだね?」なんていうつっこみは要らない。5時間後くらいにでも、ふと、気がついてもらえればいいのだ。教育とは忍ぶこと。生きるとは耐えること。そして、それを楽しむこと。
そう言えば先日、こんなこともあった。
数年間はいた○ニクロのネイビーのコットンパンツ。さすがに、摩耗が進み、股間のところに大きな穴が。私は、自転車に乗るので、パンツはこのように摩耗する。
「もう、これ捨てるよ。」穴の説明をして、妻に確認をとろうとすると、妻の返答はこうだ。
「引越しの時に、はいたら?」

「えっ?」。さすがの私もびっくりした。しかし、言った本人はまったくびっくりしていない。これぞ常識だと言わんばかりに、むしろ「いい提案をした妻」の顔をしている。そこに私はびっくりした。
「でも、これは一番恥ずかしいところに大きな穴があいているから、見えちゃうでしょ。」と、日本人が一番受け入れやすいと思われる「羞恥心」を理由に、反撃してみた。
すると妻は、「でも、ほこりっぽくなるでしょ、どうせ。」と述べる。
ちょっとまって、ちょっとまっておねえさーん。を使いたい気持ちマックス。
私がサッカーの試合で膝をすりむいてケガをしてくると、「ひざから血を流している40才なんていないんだよ普通。もう、それなりに社会的にも立派な人たちなんだからさ、考えたら?」と言っていた妻が、私に、股間に穴があいているパンツを勧めている。ひざから血を流している40代はあまりいないかもしれないし、それはそれで恥ずかしいことかもしれない。ただ、股間から下着が見えちゃっているのに、それを承知で、過ごす40代はどうなんだろうか。社会的にそれなりな人が、引越し屋さんやガスの開栓やら、家具の搬入やら人の出入りの激しい一日を、よりによって股間の穴を見せながら作業をするなんて、どうなんだろうか。股間に穴があいたままのご主人が、『それはここに運んでください』『これからお世話になります。』なんて、どうなんだろうか。私は、妻がもしも、股間に穴のあいたパンツをはいてその1日を過ごそうものなら、実家に行ってお父様、お母様に謝らなくてはならない。
「うちの娘は、股間に穴あけて・・・そんなために嫁にやったんでない!」なんて言わないだろうけど、言ってもおかしくない。
しかし、立ち戻って考えてみると、妻は、この綿パンツを最後まで使い切りたいという思いが強いだけなのだ。そうなのだ。そうなのだ。環境に優しいのだ。すばらしい妻だ。・・・そう、自分に何度も何度も言い聞かせ、私は歩み続ける。
そう、これが、夫婦なのだ。
つづく









