3連休の最終日、久々に沖縄の事を書きたいと思う。沖縄方言の事だ。
先日12日の日曜日、藤木勇人
の独り芝居「南東妄想見聞録21」を観た。たぶん20年近くかそれ以上つづいてきた下北沢駅前の小劇場公演は毎回欠かした事は無い。今年は中野の劇場MOMO。
藤木勇人は最早、全国区の人気役者で紹介するまでもないがNHKの朝ドラ「ちゅらさん」で琉球料理「ゆがふ」の店長役で有名だ。
沖縄芝居は、琉球王朝から続く伝統芸能の「組踊り」がすばらしいことはこのブログでも何度か紹介した。が負けてないのが沖縄喜劇だ。
話はチトそれる様だが、沖縄では正月になると、沖縄民謡紅白歌合戦があり、その勝敗の方が、NHK版より重要だったりする。(たぶん今でも放送されていると思う)
その沖縄民謡の合間に入る沖縄芝居がサイコーに笑える。
なぜこれほど笑えるのか!真剣に考えたわけではないが、多分、身近なウチナーンチュ(沖縄の人)の言動・所作のおかしさを方言で、より的確に表現したところにあった事も理由のひとつだろう。
それほど変わったおもしろい人間が多い島である事は間違いない。ヤマトゥンチュ(日本人)の常識を超えた、突き抜けてしまった人が多かった。(残念ながら現在は東京在住の為、観察資料が乏しいので断言できない。がまだ生息するらしい)
子供の頃、学校では、方言は禁止だった為に、芝居の時にゆるされる開放感も笑いにパワーを与えてくれたのかもしれない。
ところが、今では、なんと方言によるお話大会があるらいし。世の移ろいは・・・なんなんでしょう。
当時方言を使うのは悪い生徒だった。が子供の中では、共通語(日本語の事)を使うのは、女(おんな)で男はウチナー口(沖縄語)を使わないと、遊び仲間に入れなかった。
その為、同期の女性で、まじめな勉強のできる女性は、ウチナー口がしゃべれない。(一般的にいい感じの女の子)。親が厳しい家庭で育った(教師の家など)家の男子もそうだ。私の場合、まわりは、それなりの家が多く、ウチナー口で喋らないと遊んでもらえない。学校では共通語、遊びはウチナー口とバイリンガルな少年期であった。オジー、オバー年寄りとはもちろんウチナー口。
当時先生には、あまりに日本語とかけ離れたウチナー口を使うと将来、日本本土(内地:北海道の人もその様に言うらしい九州は言わない。)で学業、就職の際不利になるという、いわゆる教師心としての配慮からだと言われた。
たしかに、今でこそ、セミナー等も多く、喋りを商売としている比嘉ですが、大学に入学した頃の比嘉をみてサークルの仲間内では無口な比嘉君とされていた。寡黙な沖縄の青年の印象だったらしい。(そのイメージを大切にしたかった。ちょっと良い感じ・・・もはや違いすぎる。)
私としては、じっと仲間の喋りをきいて、様子を伺っていたわけだが、東京には地方出身者も多く、どこの地方とは言い難いが沖縄人の共通語より通じない日本語がある。いや多い。と気づいた私は半年ほどで自分のペースで喋れる様になった。
当時の沖縄の先生方のお気持ち、ご配慮は取り越し苦労カナ・・・。
しかし、ムービーの自分の語りを聞いているとその滑舌の悪さにあきれてしまう。申し訳ない・・・。東京人独特の鼻濁音もなく聞き取りにくい。さりとて他人にお願いするには、ストーリを書かなければならず時間が無い。ぶっつけ本番で気合一発取りです。
さて、藤木勇人の芝居に戻るがおもしろい。当時沖縄で最も、混沌とした戦後沖縄の象徴の様な街、コザ市(現在では沖縄市という平凡な名前)出身の彼は軽妙なウチナー口が実に心地良い。
ところが皆さん心配する事は無い。彼の一人芝居では、ウチナー口が分からなくても、充分笑える。スーパーがはいるわけではないのだが、じゃまにならないサイズで絶妙に自ら訳する事を演出として取り入れている。まるでウチナー口が分かった気にしてくれる。その意味で沖縄芝居を全国区に引き上げたパイオニアだ。
りんけんバンドのメンバーとして東京初上陸(20年ほど前かナ)以来のファンとして毎年の公演を楽しみにしている。沖縄芝居をもっと語りたいところだが本日はこのあたりにしましょう。せっかくの休日がおわってしまう。では皆さん、明日からまた元気に頑張りましょう。