世界選手権2017 ヘルシンキ。
男子フリーが終った次の日、この世界が
不思議な静けさの中にあるような気がして
いた。
声の限りに叫びまくって、泣きじゃくり、
ただ疲れ果てて、ぼうとした後の抜け殻の
ような、
あるいは、
幸せに溢れた夢のシャボン玉の中に
いるような、そんな幻みたいな一日。
嵐の前の静けさ・・・というのは、
今回は無かったような気がする。
皆、恋焦がれる彼と一緒に、闘いの準備を
整えている緊張感がひしひしと伝わって来
て、物言わぬデジタルの画面からも、
その気配が満ち満ちていた。
それはもう怖いくらいの熱と期待を持って。
ショート・プログラムでの5位という結果
は、個人的な印象を言わせてもらえば、
そんな狂気みたいな期待の渦からはっと
我に引き戻された感じだった。
これまで彼が積み重ねてきたであろう、
全ての努力が一瞬で崩れて行く様を
目の当たりにして言葉を失う。
努力は嘘をつく?
そんな酷い世界の神なんて信じない。
しかしこの現実はなんだ。
この、脆い砂の城みたいな私達の希望は・・・
でも、その後の宇野選手の素晴らしすぎる
演技に不思議なくらい感動してしまったのも
本当で。
彼の陶酔したような表情に、
あの全日本以降、やはり彼の中で何かが
変わったのだという確信めいたものを
感じて、時代の流れの容赦のなさを
改めて思い知った。
あの日の羽生選手の結果について、正直な
ところワタシのこころは妙に平坦だった。
今となっては思い出せない部分が多いのだ
けれど、実際のところ、本当に何も感じて
いなかったのかも知れない。
もちろん彼を信じているというのは確か
だった。しかし、信じようが信じまいが、
最早そんなことは
どうだっていい気もしていた。
こころはとても移ろいやすいものだ。
それはもう、
自分で思っているよりもずっと。
ワタシはこれまでに幾度も、自分自身に
ついて、そんな場面に遭遇してきた。
ちょっと油断するとすぐに安穏とした場所を
求めて、別のところへ行ってしまいそうになる。
でも今回ばかりはそうはいかなかった。
ファンである以上、ここで彼から逃げる
わけにはいかない。そう思った。
羽生結弦のファンである矜持を捨てる
ことなんて出来ない。
先ずは薄っぺらくなったこころにでっかい
石でもでん!と乗せて、ふらふらしない
ようにしなければいけない。
そして自分で自分の背中に、ふっとい
ムチをびしーーっと入れるのだ。
そうでもしなければ目が覚めない。
自身の血の滲むような努力に対して
「不甲斐ない」なんていう言葉を
普通に吐く彼に申し訳がなさすぎた。
フリーの日の中継を見ていて、会場に
あれだけの日の丸がはためくのを見て、
観戦する側も皆命懸けなんだなあと、
ワタシはそう感じて背筋が伸びる思いが
した。
もちろん選手は一体どれだけの覚悟を持って
挑んでいるのか。
そんなこと、いくら考えても想像しても
追いつかない。
羽生選手の、穏やかに見えて全てをかけた
ぎりぎりの表情。
もう、誰が止めても無駄なようなあの感じ。
そして、彼自身でもあるプログラム
「ホープ&レガシー」での、コントロール
された気迫はおそらく宇野選手の身心にも
影響を及ぼしたのだろう。
滑り終えた後の昌磨君の顔は、
どことなく羽生選手と似ている気がした。
熾烈な闘いは男の顔を精悍にする。
そのことをあの時ほどつくづく感じたことはない。
恐ろしいくらいに美しく厳しい、魂の真剣
勝負を目の当たりにして、ワタシは、
視界がぼうと輪郭を失うのを、
身動きも出来ずにただ眺めていた。
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