バラエティ番組の見出しのようなタイトルですが・・・・1957年にレコード・デビューし、数々のハード・バップの名盤に足跡を残しながら、その年限りでジャズの第一線から忽然と姿を消したアルト・サックスのJOHN JENKINS。拙ブログでも、過去に参加している数多くのアルバムを取上げましたが、一体なぜ短期間で消えてしまったのでしょう?
・『COOLIN’』(NEW JAZZ 8216)
https://ameblo.jp/noriten226/entry-12478052929.html
・『HANK 』(BLUE NOTE 1560)
https://ameblo.jp/noriten226/entry-12539710650.html
・『THE JAZZ WE HEARD LAST SUMMER』 (SAVOY MG12112)
・『ALTO MADNESS 』(PRESTIGE 7114)、『BIRD FEATHERS』(NEW JAZZ 8204)
https://ameblo.jp/noriten226/entry-12478053650.html
・『ON THE SUNNY SIDE』 (PRESTIGE 7103)
https://ameblo.jp/noriten226/entry-12478054129.html
・『CLIFF JORDAN 』(BLUE NOTE 1565)
・『JENKINS、JORDAN AND TIMMONS』(NEW JAZZ 8232)
https://ameblo.jp/noriten226/entry-12478052886.html
・『JOHN JENKINS』(BLUE NOTE 1573)
・『JAZZ EYES 』(REGEND MG 6056)
・『THE CHICAGO SOUND』 (RIVERSIDE 252)
https://ameblo.jp/noriten226/entry-12478053201.html
(以上全て1957年の録音、録音順に羅列)
唯一のリーダー・アルバム『JOHN JENKINS 』(BLUE NOTE 1573)は、かなり前から手元にあるのに取上げていませんでした。レーベル面には「JOHN JENKINS」と単独記載ながら一般的には「JOHN GENKINS WITH KENNY BURRELL」として知られています。CO-LEADER的アルバム(ALTO MADNESS、JENKINS、JORDAN AND TIMMONS、JAZZ EYES)は幾つか存在しますが、単独名で売り出せなかったのは、個性が弱かったからでしょう。
実際、このアルバムはBLUE NOTEの大看板1500番台に位置するものの印象が薄く、コレクターもJOHN JENKINSの名前ではなく、KENNY BURRELLやSONNY CLARKの存在で注目することが多いと思われます。
アルトでもJACKIE McLEAN、PHIL WOODS、LEE KONITZあたりの超一流どころとなると、ワンフレーズを聴いただけで容易に識別できるし、サイドマンがすっかり霞んでしまう程の圧倒的な存在感を有していますが、JENKINSの場合、それは感じられずKENNY BURRELL、SONNY CLARKと同等のレベルを維持するのが、やっとというところでしょうか、ここでもCO-LEADER的な印象は拭えていません。アルバムはSONNY CLARK、KENNY BURRELLの好演もあって良好な出来ですが、1~2曲はBURRELLを外して全編JENKINSにスポットライトを当てて欲しかったと思います。結局リーダー作に於いても完全な主役を張れなかったことが第一線を退く要因になったと思います。
もう一つのJENKINSの不運はJACKIE McLEANと『ALTO MADNESS』を吹き込んだこと。同じ楽器でのバトルはAL &ZOOTのような場合を除くと、一方が主導権を握り、もう一方は「かませ犬」的な立場になることが多く、負けた方はすっかり自信を失います。既に数多くの修羅場のセッションを、こなしてきたMcLEANとシカゴからニューヨークに意気揚々と進出して来たとは言え、デビューまもないJENKINSのバトルは、最初から勝負が見えていました。JENKINSは直接対決で、鼻をへし折られニューヨーク進出早々「井の中の蛙」を思い知らされたのです。
参加しているアルバムのほとんど全てが名盤となっているのは、JENKINSに協調性があり、決して、しゃしゃり出るような性格ではないからです。でも、それは逆に個性が弱く、グイグイと引っ張ってゆくリーダーとしての資質に欠けていたのかもしれません。HANK MOBLEYも同じようなタイプでしたから、もう、ちょっと我慢していれば・・・・。