私の父は運転しない。免許はない。
実家の家業を兄と共にしていた私は父のお抱え運転手でもあった。
外注と下請けと2軒の外回りも毎日あった。
仕事用のバンと私が乗る乗用車。兄はスカイライン。
私に選ぶ権利は無い。父の希望の車・・・それがローレルだった。

オートマでは無い、パワステも無く窓も後ろは手動。1800ccのコレでもハードトップ。ガソリン1リッターあたり平均10KM以上走った。
大きさはセドリック・クラウンと同じクラス。
ローレルに乗り出してすぐに兄が結婚して義姉が乗るためにミラージュに乗り換えたとき、兄のスカイラインのタイヤとホイール一式をもらった。わたしの好きなフェラーリのホイール「クロモドラ」とYOKOHAMAタイヤ。
この車で休日、日帰りでいろいろな所に出かけた。
1日に600キロが最高距離。一人でも友人とでも、もちろん由美子と2人でも、わたしが運転手。
しばらくして由美子も免許をとって買った車が三菱コルディア

この車でも色々出かけた。
軽井沢に1泊テニス旅行とかスキーとか。
ローレルよりパワフルで足回りの良かったので碓氷峠も楽しませてもらった。由美子の車でも山道は私が運転した。今でも山道は大好き。
一緒に行動してる人の運転が似てるって知ってる?
ブレーキのタイミングとか、ハンドルの切り初めとか道路のラインとりとか。身体で覚えるのかな。
早朝に2台の車で「筑波スカイライン」に走りにいった。早朝は有料料金がかからなかったし、邪魔な車がいないから。
朝もやが少し残った駐車場で車の写真撮ったりした。
由美子は海外旅行が好きだった。
アルバイト2つ掛け持ちして車のローンと海外旅行。
ガソリンは実家のカードで。
よく成田空港まで送迎した。
私自身は海外旅行はしたことが無い。・・・でも成田空港は詳しかったよ。搭乗のぎりぎりまで一緒に空港で過ごし、ゲートをくぐって飛行機に乗り込む姿見て、出発の瞬間は展望台で見送った。
お迎えも1時間前には空港に着くように出かけて。
由美子のことをお迎えに行くこと、たくさんあったんだけど(実家から最寄り駅が遠い)いつも1時間前から待っていた。
何故って?『8時か9時に終るから・・・』と出かけるときに由美子が言う。携帯の無い時代。待ち合わせ場所に家出電話もらってからでは30分以上待たせることになるので当然予測で先に家を出る。
この8時か9時に終る・・・が曲者。
普通こんな風に言われたら9時だと思うよね。ここが落とし穴。
自己中・・・というか女王様?というか・・・
9時と思って迎えに行ったら・・・『どれだけ待たす?私は8時って言ったでしょ』30分ほど待ってたらしい。ものすごい剣幕で叱られた。
その日から、由美子のお迎えは2時間待ちでも早めに行くようになった。
予断ですが・・・いつもとうちゃんの釣りに付き合ってくるまで待つ私。思えば・・・その頃から来るまで待つこと慣れてたのね(笑)。
飛行機は1時間遅延もあれば1時間早着もある。
そんな理由で到着予定時刻の1時間前には空港にいた。
長い時間を空港の中で過ごし、やっと到着。そこから数十分・・・。
やっと荷物を待つコンベアー前に姿を現す。
その瞬間がまるで恋人を待ってるがごとく・・・うれしい私。
幼い頃病弱で虚弱児だったから、お出かけしてる(幼稚園・学校に行ってる)由美子をいつも玄関で待っていた。
時計など見なくても帰ってくるころに玄関でうろうろして待っていた。
空港での私も同じだったのね。あの頃の幼かったわたしと。
遠足に行くと少しいつもより帰りが遅かった。そんな日は何度もなんども玄関に行き「ゆみちゃん・・・遅い」、両親に笑われた。
やっと帰ってくると「はい、お土産」と言っておやつの残りを手渡してくれた。きっと、由美子にとっても妹の私がいつも心の中にあったに違いない。
空港から帰り道車の中で『フランスがどう~、イギリスがこう~』とたくさん話してくれて『のり子のお土産は○○だよ』って。
車は個室だから深い話しよくしたなぁ。両親や兄姉に言えない事はなしてくれた。よく話すことあるねぇ・・・って感心されるほど話した。
今でもドライブは大好き。とうちゃんと2人でよく出かける。
とうちゃんの仕事の外回りも駐禁のお守り~とか言いつつ付き合う。
個室の空間で話すことがすきなのかもしれない。
日常でありながら、日常じゃない空間。なのかもしれない。
高級車じゃなくても軽の硬いシートでも・・・
そこは私だけの個室空間だもの。
だからね、何処でも付き合うの。
わかるかな・・・わかんねぇだろうな~。こんな心境?