のりぴ♪歌います。 -12ページ目

のりぴ♪歌います。

「つばめ」でお世話になってます。歌担当ののりぴです。

茨城は梨の産地写真は「幸水」

私が一番美味しいと思う梨。

 

由美子はこの梨が好きだった。

毎年、収穫時期に1箱買って送ってくれた。

智史くんがお腹にいるとき、とっても重いつわりがずっと続いた。

そのときでも「梨」だけは食べることが出来た。

梨を見るとそのことが一番思い出される。

 

元気な間ずっと送ってくれてた梨・・・。

 

私の家はどちらかと言うと幸運な家だと思う。

父の事業は安定してたし、病気になってもみんな復活できる・・・そんな家だと思っていた。

父は前立腺癌を克服して元気になって30年以上元気に過ごした。

母は腰椎のいつの間にか骨折?で落ち着くまで激痛と戦って1年ほど苦しんだ以外の病気は無かった。

兄も喜美枝さんも病気とは無縁、由美子もずっと元気だった。

私だけが入院したり、虚弱だったり・・・してただけだった。

 

由美子と最後に会ったのは息子がまだ幼稚園に通ってた頃。我が家に両親を連れて遊びに来てくれた時。19年ほど前である。

何故?そう思われるかもしれない。

それぞれの家にいろんなことがある・・・。外から見れば「何で?」というような複雑な人間関係がある。

もちろん、ここで詳しく書けることでもない。

いろんな理由から最後に私から「会いたいな」と由美子に申し入れたとき、そのときの複雑な事情のために「ごめん、会えない」といわれた。

悩みながら、苦しい決断をした・・・って感じかな。

 

言葉に縛られる・・・ってわかる?

 

幼い頃から家の中でいつも家族に守られて育った私は誰かが叱られたり、怒りをあらわしたりすると、そんな感情を受けて心が痛んでしまう・・・。誰かが怒ってるって言うことに耐えられない・・・少し大袈裟に言うと怒りを自分に関係なくても受け止めてしまう・・・そんなところがある。

離れて暮らす時間が長くても人との関係性は簡単に変わらないのだ。

姉たちが怒りの感情を持つのがイヤだったのだ。

 

通常の私を知ってる皆さんは「え?」って思うかもしれない。

そんな弱いところなんてあったん?っていわれそう・・・。 

家族との関係って幼い頃からのものって簡単には変わらない。

おねえちゃんはいつも我慢してたり、妹はイツまで経ってもわがままな存在だったり。私はいつまで経っても、ダメな妹なのかもしれない。

 

いろんなことが重なってその「ごめん・・・」の会話を最後に私から電話できなくなってしまった。

そんなことで?うそ~。って思うよね。

実家にも前婚が破綻してから16年帰れなかった私。

何故そんなに長く?帰らなかったかは、前婚がらみでいろんなことがあったわけで・・・。16年目の帰るきっかけは母の一言『会いにきて』だった。父が大腸がんを患い手術する数日前だった。

そのときに由美子に「千葉のあなたに、会いに行っても良いか?」と聞き、さっきの会話になった。そこに他にもたくさん理由はあるんだけど・・・。

 

それが7年前の話。

 

その後東北地震のすぐ後に実家に電話したら母がお風呂でこけて大腿骨を骨折して動けなくなっていた。

兄と父に『会いに来てやれ』と言われて、新幹線に乗った。

父は大腸がんからも復活して元気に母の介護と家のことしっかりといていた。

会いに行ったら母は見る見るうちに元気なって自分でトイレまでしっかりと歩けるようになった。遠くにいる娘が来たってことが母にとってきっかけになったようだった。

 

メールは便利な物で坦々と文章を送れる。

由美子は「ごめん・・・」の電話の後もその前と変わらず愛の詰まった『荷物』を年に1~2回送ってくれてたし、梨も送ってくれた。

彼女が元気の間だったのかな。

荷物ありがとうの思いを込めてのメールにいつも短い返信をくれた。

最後にいつも「家族でしあわせに暮らしなさいよ」的なことを書いてくれた。

 

最後の荷物もダンボール箱が膨らんでいた。

少しのお菓子と服。そしていつものきれいな文字の手紙。

 

会いたいという思いは時々大波のように心に起こる。

その度に『もう少し年を重ねたら、会いに行こう』

今回は○○があるから行けないな・・・とか理由をつけたり。

 

生きていくことにはいろんな選択がある。どんな時も出来るだけ自分の心と向き合って2つづつに絞ってAかB・・・これはAで・・・というように選択して生きてきたつもり。

失敗もあったけど、自分で選んだ道だからコレも必然なんだと思ってきた。やり直したいと思う事。結果の悪さでそう思うことはほとんど無かった。ただ、ひとつ。後悔。もう一度、会いたかったということ。

 

コレだけ読んでくださった皆様はきっと「なんで?」と思うことだろう。

ここに欠けないことに深い理由があるとご想像ください。

 

ここで書かせてもらったことが本当の意味で思い出になった。

思い出に代えないといけないの。

まだまだ取り戻す時間があると思ってた。

 

時間は思い出に変えてくれるものかもしれない。

時間が変えてくれるなら・・・もう少しかかりそう。

 

あいたい

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=WnFj78ZP05I&t=15s

 

 

 

 

 

テニスは2年ほど由美子と一緒にした。隣町にあるファミリーテニスクラブの正会員なった由美子の子会員でたしか入会金が免除で会費が安かったように覚えてる。

兄夫婦も同じテニスクラブに入っていた。

由美子はその前に別のクラブの10回のテニススクールに入って基礎を学んだ。私は由美子から学び、その後『市民口座』的なお安い初心者8回コースに。その後にファミリーテニスクラブに入会。市民口座の先生の家がそのクラブだった。

 

音楽もしてたし、仕事も結構ハードだったので毎月1~2回しか練習にいけなかったのに『第一回S町(クラブのあった町)テニス大会』なるものがそこで開催された。兄は友人とエントリー。女子の参加が少ないので「2人ででれば?」と誘われたので遊びに参加~のノリでエントリー。

2月のその日は風がきつかった。

確か・・・2試合した。1試合勝った。

結果は3位。兄は勝てなかったらしい。

運。その一言に尽きる・・・。

そのすぐ後にテニスはやめた。私が体壊して入院したり、結婚したりが理由だったかな。

 

由美子はくじ運も含めて『運』の申し子みたいな人。

懸賞に応募するとTシャツやら額縁やら届いた。

あの森永製菓の『おもちゃの缶詰』も当たった。

 

一緒に宝くじを1年間、毎月お互い3000円づつ出して買う~をしてたときも1等の組違いを当ててくれた。10万円だったかな。

ショッピングの福引も『美空ひばりショー』も引き当てた。

私がテレフォンカード集めてるときもドラえもんやピーターラビットの非売品を当ててくれた。

 

いつもうらやましかった。ねたましい?そんな気持ちは無かった。

ただただ「由美ちゃんはいいな~」って思ってた。

 

由美子は自分が楽しんでることをいつも『則子もやろう~』って誘って必ず予定を入れた。スキーだったり、GAMEだったり。

もちろん食べ物も。新商品が出るとまず、買ってきた。

そして一口食べると「これはあなた向き!」『コレは私が好き』とか言いながら二人で食べた。

お店も誰かと行った所を必ず次の週に一緒に行った。

 

同じ年の春(わたし)秋(由美子)結婚。茨城のわたしと埼玉、千葉に住んでた由美子。

毎月一回由美子の家に遊びに行った。

母からのお土産をたくさん持って。

家の近所のお買い物スポットを教えてくれて、おいしい物を作って食べさせてくれた。やりくり上手で食費などの無駄をしない人。そうやって作った余裕で家族で旅行してたり。

 

離れてる時間が長くなっても電話や手紙を交わしていろんなことを共有してたな~。もちろんだんな様の愚痴なんかも聞いたしね。

私が元気なときは目いっぱい私に甘える。

でも、私が病気などで弱ってるときはすぐに助けてくれた。

 

由美子にさとしくんが生まれて一ヶ月実家にいたので毎日お世話させてもらった。二ヶ月目におうちに帰ってからは毎週会いに行った。

70キロほど離れてる千葉だったけど『天使の笑顔』見せてあげるから~と由美子に呼ばれた。日帰りだったり1泊したり・・・。

お風呂も入れたり。離乳食も一緒に作ってお昼ねさせて・・・。

自分の時、近くに誰もいなかったけどこのおかげで「経験済み感」があって不安が少なかった。

 

静岡、兵庫・・・どんどん遠くなってしまうと子育ても忙しかったりで前のように電話も手紙もできなくなった。

スイカや梨、お米と野菜。いろんな物を送ってくれた。

さとしくんの使った道具はおもちゃもゲームも本も助かったな。

手垢の付いてない子供のおもちゃって想像できる?

さとしも由美子もとってもきれい好きだったから、新品同様で我が家に来た。

息子は「さとしくんは僕のお兄ちゃんみたいな人だよね」といつも言っていた。洋服のお下がりもたくさんもらった。手足の長い長身のさとしくんのGパンは気の毒なくらい息子には長すぎた。オチビさんで足の短い息子。でもとっても喜んで荷物を囲んで私と二人で「わぁ~」とか「おぉ~」とか言いながら楽しんだ。

 

息子が大きくなったらさとしくんのお下がりは息子では切ることが出来なくなってしまった。もちろん、私がありがたくいただいて着ている。

由美子自身の買ったけど着なかった服や少し小さめだった物とかもよく送ってくれたから、いつもそばにいてくれてる感じがした。

 

ダンボール箱に上手につめられた荷物。

服とか野菜のほかに「○○のお土産」がいつも入っていた。

とうちゃんに焼酎だったり、息子にお菓子だったり・・・。

 

玄関にドスっと音を立てて宅配業者さんが荷物を置いてくれる。

兄妹中で一番きれいな文字を書く由美子の送り状はいつも完璧だった。住所だって名前だって。

 

しっかりとガムテープで閉じられた箱は横が少し膨らんでいる。

たくさんの物を詰め込んでるのが解る。

彼女の顔を思い浮かべながらワクワクして開封するわたし。

中身と一緒に楽しみにして開封。

 

1枚の手紙が必ず入っている。

ちょこっと近況と荷物の説明。

そして私たちを気使ってくれる言葉。

何もかもが暖かかった。

荷物が来ると仕事から帰ってきたとうちゃんに私の弾丸トーク。

コレはね~、アレはね~。

 

遠く離れていて寂しいと、きっと寂しがってると思ってくれていたのね。

姉がいてくれて、よかったな~って感謝の瞬間だね。

ありがとうを何度言っても言い足りないくらいだね。

 

さて次は・・・

 

 

 

料理の初めてはいつだったかな。

思い出深い料理は由美子と一緒に作ったおせちとラザニア

由美子高校2年生だったかな。私中学2年生。

半ぺんをすり鉢ですって卵とお砂糖。

そして厚焼きで茶色く焦げ目をつけて焼いてから、「巻きす」で巻く。

この歳のおせちはこのほか、栗きんとん、昆布巻き、たけのこ、こんにゃく、菊花かぶ、サトイモの煮物、ごまめなど。我が家のおせちに欠かせないのは『水羊羹 』小豆を煮て寒天で固める。なぜかこれが我が家のオリジナルメニューだった。

家業は縫製業。本業のフレキシブルコンテナバッグの製造は30日に終らせる。その後近所の問屋さんがお正月に大工さんに配る『道具袋』や『クギ袋』などを毎年作って納品。それが済むとお正月の準備だった。

道具袋=金槌とかの道具入れる袋

クギ袋こんな感じのだった。

 

毎年、紅白見ながら煮物つくり。母と由美子と私。喜美枝さんは作らなかった。料理は好きじゃなかったのね。きっと・・・。

 

洋食中華和食どのジャンルも美味しく作れる由美子を尊敬していた。

TVで見た~と言って作る新作料理。盛り付けが上手いので綺麗だった。

 

喜美枝さんが銀行にお勤めの頃初めてイタリア料理を食べに連れて行ってくれた。

そのとき3人で食べたのが『ラザニア』

喜美枝さんがボーナスで服とミッキーの時計を買ってくれてそしてお昼ご飯。その頃地元にはイタ飯なんて一軒もなかった。

初めてのラザニア。グラタンは家出由美子が作ってくれてたから、食べてたけど、ラザニアおいしかった。

帰りにデパ地下でラザニア用のパスタを買って帰り次の日に早速作った。

丁度この写真みたいな感じのできばえだった。

ミートソースを弱火で煮詰めるとか、ホワイトソースをゆっくりと牛乳すこしづつとと混ぜるとか、最初のこのときのことが後にとっても役に立っている。

今でも、数年に1度くらいな感覚で今でも時々食べたくなって作ることがある。

コレもひとつ思い出の味なのかもしれない。

 

お菓子も由美子小学4年生私小学1年生から作り出した。

と言っても私はほとんど観てるだけ~から始まった。秤をテーブルに置くとか、小麦粉を横に置くとか・・・そんなことからは序待ったお菓子つくりのお手伝い。

初めてのスポンジケーキもクッキーも割と簡単に成功した。

クッキーは喜美枝さんと私の好物。由美子はほとんど食べない。

オーブンの火加減のムラで、端っこの少し焦げかけの硬いサブレ。そんな味も好きだった。

 

初めての失敗はシュークリーム。

オーブンの中ではしっかりと膨らんだのに、火を消してお外に出したらあっという間にしぼんでしまった。

冷まし方を本でよく読んでなかった野が原因かな。

2回目に作ったときは成功。コレも喜美枝さんと私の好物。

おいしかった~。

そういえば、わたし・・・一人でシュークリーム作ったこと無かったな・・・。

 

オーブンでお菓子作ってるときのヘヤの中にただよう、バターの香ばしいかおりと焼けるのを待ってる『ワクワク感』とオーブンを開けたときの熱気とか・・・美味しい味と一緒の思い出。

 

料理の基本はみんな由美子が教えてくれた。

包丁さばきも味付けも・・・忙しく働く母の代わりに毎日見よう見真似。

片付けは喜美枝さんが中心になってした。そっちも私はお手伝い。

仕事をしてる両親の代わりに日々の生活を過ごした姉たち。

喜美枝さんも由美子もダッチもそれぞれのやり方で愛してくれた。

たくさんの時間の思い出。

昔はどうだったかな~とか、幼い頃どんなだった?とか、いろんな瞬間に思い出されるひとこまひとこま。

もう何処にもない時間だけど、確かにそこにあった時間。

家族に愛され、しあわせに過ごした記録・・・記憶。

料理のお話しはコレで終わり。

 

気持ちにそろそろ区切りをつけないとね。