のりぴ♪歌います。 -14ページ目

のりぴ♪歌います。

「つばめ」でお世話になってます。歌担当ののりぴです。

東京ディズニーランド1983年開園

 

遊園地は苦手な私。ジェットコースターも観覧車も人ごみも・・・。

由美子は遊園地が大好きだった。富士急ハイランドも行ってし・・・。

東京ディズニーランド1983年開園したときも当日に仕事休んで一人で行った。

家に戻った彼女は興奮気味に「たのしかった~」を連発だった。

『のり子も行こう~明日行こう。』ええ・・・「仕事休めない」

当時私は実家の家業を仕事としていた。零細製造業はいつも納期に合わせて仕事する。当時フレキシブルコンテナを作っていた我が家はいつも忙しかった。安い中国製など無かった時代。

「じゃあ、由美子がお父さんと交渉してあげる」といって勝手に日を決め交渉し、了解を取ってきた。次の週の平日だった。

忙しい家業。自分の遊びのために仕事休むなんてありえなかった。

由美子は「のり子がかわいそう・・・」とか言ったんだろうか・・・。

両親は由美子に弱い。小さい頃から家の食事を買い物から何から何まで~って感じでさせていたことに少々の負い目みたいなものがあったとずーっと後に両親から聞いた事がある。

東京ディズニーランドに行くことが勝手に決まった。行かないという選択は無い。

日々のいろんなことを取り仕切って『絶対服従』的な・・・(でもね、良いことが多かったの)行動力となんか知らないけど服従してしまう妹の立場・・・みたいなものが日常だった。

そのおかげで、TDL行ったのである。

 

楽しかったよ。由美子と2人でね。人ごみも平日だったからまあまあだったし。車で1時間半くらいだったかな。

私も由美子もドライブ好きで結構いろんなところに行ったよ。

じゃ、次はドライブ編書こう。

 

 

 

さて・・・次のギターの話。

YAMAHA FG250  昭和52年(1977年)のはなし。

 

東京で働くようになった由美子は職場の人と恋をする。

少し年上の彼が弾くためにギターを買った。

ビートルズやPPMを好んで弾いてくれたという。

私は会った事は無い。会う前に別れた?

由美子とは親友のように何でも話した。彼との恋話も。

学校の長い休みに由美子のアパートに泊りがけで遊びに行った。

そのときにギターを弾かせてもらった。

それまでのガットギターとは違って高音のシャリン~と鳴るYAMAHAサウンド。綺麗な音。

由美子が仕事から帰ってくるまで一人で待つアパートでじっくりと楽しませてもらった。

の「いい音のギターだね。」

ゆ「彼が弾いて選んで買ったんだよ。ビートルズ好きじゃなかったけど・・・ブラックバードっていいよ」

何度かの休みを由美子のところで過ごした。

サザンオールスターズが『勝手にシンドバット』を流行らせたあの夏。

そのときも由美子のアパートで『何だこの歌は・・・』と思いながらTVで一日に3~4回かかったのを聴いた・・・。あの年。

 

その後由美子の恋愛は終った。

そしていらなくなったギターは私のところに必然的にやってきた。

今度は3000円で。

 

このギターのおかげで私は飛躍的にギターを弾くことがUP~

いろんな曲も弾けるようになったし、毎日友人たちのための伴奏を昼休みと放課後。

向かい側の友人の手を見ながらコードを替える。

「あなた、何で男子じゃないの・・・」と女子高ならではの会話。

 

中島みゆきの歌にであったのはこの女子高時代。

一番由美子との関係が薄かったかな。それでも電話、手紙・・・そして私が時々会いに行ったり、由美子が実家に帰ってきたり。

 

由美子が高校を卒業して東京に行く日は、当然恋人と別れるくらいに悲しかった。由美子の前では泣かなかったけど、一人になったときにどっと押し寄せた悲しみに包まれてしまった。

おんおんと嗚咽が止まらなくなるほど泣いた。

5歳年上の姉喜美枝さんがその2年前に埼玉の職場の寮に入るための見送りをしたけど、由美子のときのように悲しみに包まれる・・・には至らなかった。もちろん、そばに由美子がいたから。

 

私の音楽人生に切っても切れない由美子とのかかわり。

ギターも由美子から買い・・・。

好きな歌もほとんど由美子と共有した時間の宝物である。

 

風と落ち葉と旅人という歌。知ってる?

チューインガムってシンガーソングライター姉妹デュオが歌ってたんだけど、その歌はいつも一緒に歌った。

主メロディーは由美子コーラスはわたし。

https://www.youtube.com/watch?v=iWiwv-qkrEw

 

もう一回一緒に歌ってみたかったな。

子供の声で、あの日のままで・・・。

 

 

 

ギターを始めるきっかけも姉由美子だった。

「TVジョッキー」で出演の一般人がお土産にもらった白いギター

私と同年代の方ならきっとおぼえているだろう。 

昭和45年ごろ・・・お年玉と日々のお買い物やりくりして貯めたお金で由美子が『白いギター』を買った。

楽器店のそれは高くて・・・時計屋さんにあった白いガットギターは6000円だった。

その頃我が家には7歳違いの兄がギターを始めていたのでフォークギターがあったけど・・・兄の大切な物を妹はさわらない。

叔母のくれた古いガットギターが私たちが使ってよい物だった。

弦もさびていたし、古いのでかっこよくない・・・そう、かっこよくなかったのだ。

何の前ぶりも無く突然『ギターを買う』という行動に出た由美子。

当時人気の『平凡』『明星』の付録に歌本が付いていた。それが教本。

メロ譜にコードが付いて歌詞がある・・・その頃のヒット曲が載っていた。

それを見ながら、由美子と向かい合ってギターを見ていた。

由美子は妹の私にはさわらせてくれない。

もし、自分より私が早く覚えたりなんかしたら、大変・・・(怖・・)仕返しのように意地悪をする。

よくわかっているから、一緒の時は「みてるだけ」

 

小学生の私と中学生の由美子。

学校から帰る時間が違った。家のことするために部活はしてなかった由美子だけど、もちろん、中学生の方が遅い。

私は半年ほどその数時間でギターを練習した。

程なくして由美子は思うようにFが弾けなくてギターにさわらなくなった。

Fの壁・・・誰にでもあるこれが運命の分かれ目だった。

使わなくなればギターは邪魔な物。

要らなくなったおもちゃでも何でも『あんたに売ってあげる』となる。

なぜ売る?「もらったら大事にしないでしょ」と由美子が言う。

その後・・・『白いギター』は1000円で私のものになった。

 

独学で小学生の私は『歌本』のコード譜見ながらひとつづつコードを覚えた。Fも意外と早く音が出るようになった。

何よりも、歌の伴奏が出来ることが楽しかったのだ。

C Am Dm G F Em・・・このくらいのコードを覚えたあたりで曲で選ぶより、コードを見て弾けそうな曲を選ぶだったのでコードはなかなか増えなかった。

 

白いギターはその後高校一年まで使った。

次のギターも由美子が買ったギターだった。

その話しは次回~