行って来ました。初日以来久しぶりの古稀コンサートです。

席は2階ですがジュリーからまっすぐのセンター。

ゆっくりとジュリーとカズさんの姿が見えて、ジュリーはお水を一口飲みました。


一曲目
カサブランカダンディー
カズさんのギターは、ゆっくりです。
テンポが遅いです。
う〜ん、乗らないなぁ(;_;)
ごめんなさい、正直な感想を書くのが私のブログですので悪しからず。


さて、最初のMCです。
なんと、あの日の事を話し始めました。
中止を決定して、SSAを後にして、少ししてから連絡を入れたそうです。
やっぱり心配だったのでしょうね。
文句を言ったり暴動(^^;が起きてないか!
とかね。

行った当人から言わせていただくと、まったくそんな事はありませんでしたよ、ジュリー(*_*)
みんな、静かに会場をあとにしましたよ。


ジュリーの言葉で印象に残ったのは、
「人間として恥ずかしい事は、何ひとつしていません」
「ファンの人達が、許してくれると思った、ファン偉い❗」
「沢田研二、70歳にして、まだ血がたぎっています」
「沢田研二は、危険な男ではありません。いや逆にまともな男だと、思っています」
「さいたまスーパーアリーナでやる実力が僕には無かったということ、やってやるぜ!
チキショー!」
等々、ウンウンうなずいて、涙を流しながら感動してしまいました。


スローな曲の時に座ったので、双眼鏡でジュリーのお顔を見ました。
年輪を重ねた深いお顔でした。

いつの間にか私の王子様は70歳となり今も歌ってくれています。
50年もの間、ジュリーの人生は泣いたり笑ったり……

でも、今回のSSAの中止はきっと堪えたのではないかと。
ジュリーのお顔にはシワはあまり無いけど、
深いシワが私には見えました。

歌を一生の仕事とし、今はファンの事を一番に考えてくれている。
風邪をひいても、熱があっても一生懸命歌ってくれています。
ありがとうございます、ジュリー。


ACB
ジュリーと私の原点の地。
この曲を聞いていると、あの日を思い出す。
あのジャズ喫茶ACB
初めてジュリーを見た場所。
あの綺麗なジュリーを見てから、51年目。
今もあなたは綺麗ですよ。


マンジャーレのダダダ〜
「二階の方〜」
「やれば出来るじゃん!」


恒例になった、着替えてくる、
お着替え後、テレビでいろんな芸能人がオイラの事を言っていた。
ジュリーが、書くなよ、って言ったので詳しくは書きませんが、ある人を文句言ったり
ある人を誉めたり、いろいろ言っていました。

あの囲み会見で着ていた服は、三年は着ないそうです(^^;
メガネも。


ラスト
やっぱり私は、ヤマトが、好きです(^-^)
あの曲を聴いていると、二番の歌詞の
いつの日か唇に歌がよみがえり、いつの日か人の胸に愛がよみがえり……
ここでグッと来ます。

歌い終わり、ガッツポーズがありました。
何回も。

そして、両手での投げKiss!!!
二階の方のヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァという叫び。
ジュリー、しかと受け取りました。


ジュリー、あなたの歌人生があと何年あるかなんて誰にも分かりませんが、
あなたは幸せでしたか?
もっと楽に生きられたかもしれないのに
楽なほうには自分からは決して行かない。
きついほうに自ら行ってしまう。

それでも幸せでしたか?
私は、幸せでしたよ、そんなあなたを誇りに思いますよ。

久しぶりに、ジュリーとカズさんだけのコンサートを見て正直に言いますが、やっぱりバンドがいいと思いました。

ドラムがあってベースがあって、キーボードがあるバンドが私は好きです。

あの広いステージが淋しいのです。
二人だけだと、やはり音がどうしても淋しいのです。

ジュリーが決めたこと、分かっています。
まだ二回目だから慣れないのでしょうかね〜

隣に座ったジュリ友は、もう何回も観に行っています。
慣れたよ、と言っていましたけどね。

グループサウンズから入った私は、やはり物足りないです。

あと何回か行って、慣れたら良いですね。


ジュリーは、仙台で喉風邪をひいたみたいですが、その後も各ライブ会場を回って、歌を届けていますね。

長丁場のコンサートですから、本当に体に気をつけて無事にファイナルを迎えてほしいと思います。

今日は、ジュリーの話題ではないのですが少しは関連はありますので、友人の事を書いてみようと思います。

私も誕生日を迎えてしまい、なんとジュリーより四つ違いですから、分かりますよね~(苦笑)

もう年寄り、おばあちゃんです。

なので、いつ何があってもおかしくないし、それじゃなくても認知症になる可能性もあります。

なので、できる限り私の人生に関わってきた人。
友人知人、好きになった人、(苦笑)

忘れてしまってもこのブログを見れば思い出すように記しておきたいと思いました。

中学時代の友人の事は、すでに過去記事に書きましたので、今回は高校時代の友人の事を書きたいと思います。

彼女、K子とします。
K子と友達になったのは高校一年の時でした。

彼女の性格は私とは正反対の真面目、いえ硬いと言った方がいかな…。

私が行動力があるのに反して、引っ込み思案の消極的な人です。

だから何故に仲良くなったのか謎です(笑)

でもこのK子のもうひとつの一面、思い立ったら一直線の性格が出るのは、なんと彼女が結婚してからですから、まだまだ先になります。

なぜ高校の時、私とは正反対の真面目な彼女と仲良くなったのかは、通学路が一緒だったからでした。

中学校までは、別でしたから会ったことはありません。

でも高校が同じで、バスで毎日会うようになり駅からの電車での高校までも当然一緒でした。

おとなしそうで、あまり明るくない感じで、最初はあまり私の友人にはいないタイプでしたが、話をするようになり、学校の事や友人の事、なんでも気軽に話せるようになりました。
聞き上手な人でした。


そして極めつけはなんとジュリーファン、いえタイガースファンでした。

ま、仕方ありません。
クラスはタイガースファンとテンプターズの二つに別れていて、ジュリーとショーケンのどちらかに必ずなるのですからね~。
ジュリーファンで良かったです(笑)


彼女K子とは、クラスは一年の時だけでしたが、何故かタイガースは一緒に高校の時は行きませんでした。
大人になってからは行くようになります。

高校の時は誘ったことはありましたが、いつも一旦は行く!と言いますが次の日必ずやっぱり行かない、と断られます。

でも、私がタイガースを見に行くのにはお小遣いが足りないのでバイトをするって言ったら、それには私も!と賛成しました。

高校も一緒、バイト先も一緒で私達はどんどん仲良くなりました。

家庭の事も話すようになり、彼女は母ひとり子ひとりの母子家庭でした。

今では珍しくありませんが、50年前は母子家庭と言われてびっくりでした。

彼女のお母さんは、妻子ある男の人と恋をしてK子を生んだそうです。

相手は結局奥さんと別れることが出来ずに、愛人であるK子のお母さんとは手切れ金を渡して別れました。
そのお金で家を買い母子でひっそりと暮らしていました。

あの、おとなしそうであまり明るくない性格は、そういうところも影響していたのかもしれません。

とにかく仲の良い親子でした。
お母さんお母さんと慕い、お母さんも娘一筋でした。
なんでもお母さんの言うことが一番で、大事にもしていたし尊敬もしていました。

しかし、私みたいな友達よりもお母さんの言うことが一番なので私は時として、私よりお母さんなの?と疑問に思うこともしばしばありました。

タイガースを見に行く、と一度は了解してもお母さんに反対されると、やっぱり行かないとなるのです。


K子は高校を卒業すると、就職しました。

私はバイトを続けながら、別な友達と東京へGSを見に行く毎日でした。

19歳のある日、待ち合わせして買い物やお茶をしていたら彼女がなんと仕事を辞めたいと言い出しました。
私も二十歳を前にきちんと就職しなければと考えていたので、二人で仕事を探そうとなったのです。

タイガースが解散して、別に追いかけていたGSも解散してしまい私は何か自分の人生を一度リセットしたかったのです。

そんな時です。
地元に大型スーパーが出来ることになり、私はこれだ!と思い応募しました。

名前を聞いたら誰でも知っている有名な大型スーパーマーケットです。

K子も珍しくお母さんに了解を貰ったみたいで二人で応募しました。

二人揃ってめでたく入社出来て、私達は高校、バイト、就職先までも一緒になりました。

そして仕事にも慣れた頃、二人でジュリーを観にいきました。

その後も何回か一緒にジュリーのコンサートに行きましたが、私達にもそれぞれパートナーが出来て、私が23歳の時に早々とK子より先に結婚したのです。

K子も程なく結婚して、今度は家族ぐるみの付き合いが始まりました。

私は男の子、彼女は女の子をひとつ違いで出産し、子育ては母親にお願いし、私達は仕事を続けました。

お互いに実母と暮らしていたので助かりました。

K子とは、その後もお互いの子供を連れて遊びに行ったりお互いの家に行ったり交流は続きました。

私達はその大型スーパーマーケットを10年間勤めて退職しました。

そのあとは、私は今度は事務系の会社に就職し、夫と同じに土日が休みになり家族連れで遊びに行くことが出来るようになりました。
スーパーは土日が出勤だから夫とはすれ違いが多かったので、その点では良かったと思います。

10年程がたち、私達は40歳を過ぎた頃です。

K子といつものように、お茶をしていたら、離婚したいと告白されました。

別に好きな人が出来た、と。

もともとK子とご主人は、お見合いで結婚し、好きじゃないけどいい人だったからここまで来たけど、本当に好きな人が出来てしまった。

まったくなんて身勝手な…。
と私は怒りましたが、思い込むと周りが見えなくなる悪い癖が出たみたいで、聞く耳を持ちませんでした。

それに、なんとK子のお母さんまでも、ご主人との離婚に賛成しているとは、聞いてびっくりです。

ご主人は私からみたらとても真面目で、手に職を持ち将来は独立したい夢がある人でした。

しかしお母さんにしたら、今まで母娘と二人で暮らしていたところに入ってきた他人、としか見なかったようです。


ご主人は、妻に別な男がいると分かり荒れました。

フィリピンパブに入り浸り、借金を重ねて結局は家を出て別れました。

K子はと言うと、好きになった人は医者でしたが、K子からお金をせびり、何百万も借り、結局逃げました。
騙されたのです。

私は何にも知りませんでした。

知ったときは、お金まで取られているのに、まだその人と結婚したいと泣いている姿のK子でした。


眼を覚ますように話しましたが、無理で、結局借用書も何も無しなので泣き寝入りでした。


K子の気持ちをもてあそび、お金まで奪い行方を眩ました男を許せませんが、K子もまたお母さんと同じに母子家庭となってしまいました。
子供が不憫でした。


その後もK子は、妻子ある人と恋をしたり、一時は別な妻子ある人と同棲したり、波乱万丈な人生を歩きました。

娘はそんな母親を見ても決して動揺せず自分の道を見つけ今は看護師として、そして結婚もし幸せになっています。

K子は今では三人の孫がいるおばあちゃんになりました。

私も彼女も10年程まえに母親を亡くし、K子は今は独り暮らしです。

そうそう、元夫はなんと、娘が勤めている病院の介護施設で今は暮らしているそうです。

K子と別れて他人になりましたが娘には父親です。

娘が父親を探して入院させたそうです。

K子がそれを知って、会いに行ったら、
誰?と言われたそうです。
認知症になっていて、元妻も分からないけど、娘のことは分かるみたいで、やっぱり血ですね~。


私は、そんな彼女と今でも時々会ってお茶しています。


今、彼女は野菜の卸市場に勤めていて、時々私に野菜を持ってきてくれます。

こんな一途な、波乱万丈なK子ですが、私にとって親友と言える大事な友達です。

今は、髪も白くなり腰も曲がり見るからにおばあちゃんになったK子。


男に甘く、騙されても信じ、棄てられてもまた好きになる。


あんな情熱が確かに私達にはあったのです。

女盛りの時があったのです。


読んでいただいた方がいたら、本当にありがとうございました。



今日は私がジュリーに復活した日の事を書いてみようと思います。

2004年1月18日(日)
渋谷公会堂
沢田研二お正月コンサート爛漫甲申演唱会

私が20年振りでジュリーに戻ったコンサートでした。
今から14年前、私は50歳をすでに越えていました。

私が最後にジュリーのコンサートに行ったのは確か1985年前後の頃です。

新宿厚生年金会館。
場所ははっきりと覚えているのですが、何を歌ったのかコンサートタイトルも忘れてしまいました。

その後約20年間、一度も行っていません。

それが何故また行くようになったのか、、、


あの頃(2003年)、仕事の付き合いで、ある物真似タレントが出ているパブに時々行っていました。

息子も社会人となり、私も仕事の仲間と夜に出かける事が多くなっていました。
その店は、いろいろな芸能人の物真似をする人がいて、それを見ながらお酒を楽しむところでした。

そのなかでジュリーの物真似をする人がいて、私達はもちろんキャーキャー騒いでいました。

衣装や顔もそっくりで、歌も上手でした。

ジュリーの歌は何でも歌えて、リクエストをすると本当にそっくりに身振り手振りでジュリーになり切るため私達は大受けしていました。

何回か行くうちにそのジュリーの物真似タレントと顔馴染みになりました。

沢っ田研二と言う(^o^;)
ジュリーが知ったら怒られるようなふざけた名前を付けていましたが30歳位の人で、子供の頃からジュリーに似ているねと言われたそうで、いつのまにかジュリーファンになったそうです。

一度本物の沢田研二を観たい、という話が誰からともなく出て、じゃ行こうか!となりました。

年が明けて、渋谷公会堂でコンサートがあるからと、チケットを買うことになりました。

総勢8名!。
男性2名、女性6名です。

チケットの席は二階ですが、私は20年振りでジュリーに会える、と言うことでとても興奮していました。

いよいよ当日を迎えました。

待ち合わせ場所に行くと、沢っ田研二さんはなんと真っ赤な衣装で、もうジュリーになりきっていました(笑)

電車の中は注目の的でしたが、ジュリーに似ていると言われて本人も嬉しそうでした。

総勢8名が渋谷に着き、真っ赤な偽物ジュリーが帽子まで真似て渋谷の坂を登って行きました(苦笑)

私は渋谷公会堂はなんと初めてでした。

その後は何度も行くようになるのですが。

二階のセンターに偽物ジュリーが座り、回りをその取り巻きが囲んで座りました。
近くにいた人はみんな笑ったり、似ていますね!と近寄ってきたりしていました。

いよいよ開演です!

さぁ、20年振りの本物ジュリーとご対面です。

ジュリーが出てきました。
20年振りのジュリーは…。
太ったなぁ~が第一印象でした(^o^;)

でも何曲か歌ったあと、なんと♪青い鳥を歌いました。

タイガースの曲を歌うなんて…。

私は、涙が流れました。

こんなに貫禄が出たジュリーは、やっぱりタイガースのあの頃と同じジュリーでした。

回りは総立ちでした。

私が行っていた頃は座って手拍子だったのに今は立つのね~(苦笑)

曲に合わせて振りがあるのね~
何もかも新鮮でした。


ジュリーはこの時55歳。
お互いに歳をとりましたね~

MCは忘れてしまいましたが、私は涙で霞んで良く見えません。

ジュリーは、ジュリーそのものでした。

私が、20年間仕事をして子育てして友達とランチしたり夜はたまにですが仕事仲間や友達と飲みに行ったりカラオケしたり、ジュリーの事は忘れたことはなかったけど、コンサートには一度も行かなかった。

行きたいと思ったこともあったけど、きっかけがなかった。

その間、あなたはこうして歌を変わりなく歌っていたのね~

私は、何にも知らずにいましたよ。

隣に座っていたファンの人から、澤会の事を聞いて早速入会しようと決めました。

感動の一日が終わり、次の日からはジュリーを知るためにはどうしたらいいかを考えました。

一緒に行った、私以外の5人の女性は過去も現在もジュリーファンにはなりませんでした。

みんな沢っ田研二のファンですが本物のジュリーには一度観たら、もういいそうです(^o^;)


私だけが、何故か忘れていた大切な記憶を思い出したのです。

ネットでジュリーのコミュニティを見つけ、入会しました。

そこでたくさんのジュリーファンと知り合い、今でも仲良くさせていただいています。

CDや、DVDを買い漁り、忘れていた時間を取り戻すことに集中しました。

あの日、沢っ田研二さんたちと渋谷公会堂のコンサートに行かなかったら、私は今でももしかしたらジュリーに復活していなかったかもしれません。

ただ毎日仕事と家庭だけで、充実はしているでしょうが、つまらない毎日だったのではないでしょうか。

趣味もなく、生き甲斐は家族だけで、自分の楽しみも何もなく、ただ年を重ねていく毎日だったでしょう。
51歳で新たな目標が出来ました。

ジュリーにしよう、私の趣味は!

誰かに趣味は?と聞かれたら、はっきりと沢田研二と答えよう。

あれから、夜も飲みに行かず(笑)、チケット代のため節約することにしました。
服も、それまではどうせ会社と家の往復だからと、安いので十分でしたが、あれ以来、コンサートに着ていく服を買うのが楽しくなりました。

東京のジュリ友たちと会うのに野暮ったい服では恥ずかしい。


この14年間、本当に楽しく暮らしてきました。

大きな病気もせず、先日初めて半月板損傷という膝の病気になりましたが、今は整体のお陰で普通に歩けるようになりました。

無理をしなければ、大丈夫だとは思いますが、立ち通しは無理かもしれません。
これからも、ジュリーが歌ってくれる限り、私はジュリーのコンサートに行きたいと思います。

世のジュリーファンと同じで、それが生き甲斐ですから。