今日は私がジュリーに復活した日の事を書いてみようと思います。

2004年1月18日(日)
渋谷公会堂
沢田研二お正月コンサート爛漫甲申演唱会

私が20年振りでジュリーに戻ったコンサートでした。
今から14年前、私は50歳をすでに越えていました。

私が最後にジュリーのコンサートに行ったのは確か1985年前後の頃です。

新宿厚生年金会館。
場所ははっきりと覚えているのですが、何を歌ったのかコンサートタイトルも忘れてしまいました。

その後約20年間、一度も行っていません。

それが何故また行くようになったのか、、、


あの頃(2003年)、仕事の付き合いで、ある物真似タレントが出ているパブに時々行っていました。

息子も社会人となり、私も仕事の仲間と夜に出かける事が多くなっていました。
その店は、いろいろな芸能人の物真似をする人がいて、それを見ながらお酒を楽しむところでした。

そのなかでジュリーの物真似をする人がいて、私達はもちろんキャーキャー騒いでいました。

衣装や顔もそっくりで、歌も上手でした。

ジュリーの歌は何でも歌えて、リクエストをすると本当にそっくりに身振り手振りでジュリーになり切るため私達は大受けしていました。

何回か行くうちにそのジュリーの物真似タレントと顔馴染みになりました。

沢っ田研二と言う(^o^;)
ジュリーが知ったら怒られるようなふざけた名前を付けていましたが30歳位の人で、子供の頃からジュリーに似ているねと言われたそうで、いつのまにかジュリーファンになったそうです。

一度本物の沢田研二を観たい、という話が誰からともなく出て、じゃ行こうか!となりました。

年が明けて、渋谷公会堂でコンサートがあるからと、チケットを買うことになりました。

総勢8名!。
男性2名、女性6名です。

チケットの席は二階ですが、私は20年振りでジュリーに会える、と言うことでとても興奮していました。

いよいよ当日を迎えました。

待ち合わせ場所に行くと、沢っ田研二さんはなんと真っ赤な衣装で、もうジュリーになりきっていました(笑)

電車の中は注目の的でしたが、ジュリーに似ていると言われて本人も嬉しそうでした。

総勢8名が渋谷に着き、真っ赤な偽物ジュリーが帽子まで真似て渋谷の坂を登って行きました(苦笑)

私は渋谷公会堂はなんと初めてでした。

その後は何度も行くようになるのですが。

二階のセンターに偽物ジュリーが座り、回りをその取り巻きが囲んで座りました。
近くにいた人はみんな笑ったり、似ていますね!と近寄ってきたりしていました。

いよいよ開演です!

さぁ、20年振りの本物ジュリーとご対面です。

ジュリーが出てきました。
20年振りのジュリーは…。
太ったなぁ~が第一印象でした(^o^;)

でも何曲か歌ったあと、なんと♪青い鳥を歌いました。

タイガースの曲を歌うなんて…。

私は、涙が流れました。

こんなに貫禄が出たジュリーは、やっぱりタイガースのあの頃と同じジュリーでした。

回りは総立ちでした。

私が行っていた頃は座って手拍子だったのに今は立つのね~(苦笑)

曲に合わせて振りがあるのね~
何もかも新鮮でした。


ジュリーはこの時55歳。
お互いに歳をとりましたね~

MCは忘れてしまいましたが、私は涙で霞んで良く見えません。

ジュリーは、ジュリーそのものでした。

私が、20年間仕事をして子育てして友達とランチしたり夜はたまにですが仕事仲間や友達と飲みに行ったりカラオケしたり、ジュリーの事は忘れたことはなかったけど、コンサートには一度も行かなかった。

行きたいと思ったこともあったけど、きっかけがなかった。

その間、あなたはこうして歌を変わりなく歌っていたのね~

私は、何にも知らずにいましたよ。

隣に座っていたファンの人から、澤会の事を聞いて早速入会しようと決めました。

感動の一日が終わり、次の日からはジュリーを知るためにはどうしたらいいかを考えました。

一緒に行った、私以外の5人の女性は過去も現在もジュリーファンにはなりませんでした。

みんな沢っ田研二のファンですが本物のジュリーには一度観たら、もういいそうです(^o^;)


私だけが、何故か忘れていた大切な記憶を思い出したのです。

ネットでジュリーのコミュニティを見つけ、入会しました。

そこでたくさんのジュリーファンと知り合い、今でも仲良くさせていただいています。

CDや、DVDを買い漁り、忘れていた時間を取り戻すことに集中しました。

あの日、沢っ田研二さんたちと渋谷公会堂のコンサートに行かなかったら、私は今でももしかしたらジュリーに復活していなかったかもしれません。

ただ毎日仕事と家庭だけで、充実はしているでしょうが、つまらない毎日だったのではないでしょうか。

趣味もなく、生き甲斐は家族だけで、自分の楽しみも何もなく、ただ年を重ねていく毎日だったでしょう。
51歳で新たな目標が出来ました。

ジュリーにしよう、私の趣味は!

誰かに趣味は?と聞かれたら、はっきりと沢田研二と答えよう。

あれから、夜も飲みに行かず(笑)、チケット代のため節約することにしました。
服も、それまではどうせ会社と家の往復だからと、安いので十分でしたが、あれ以来、コンサートに着ていく服を買うのが楽しくなりました。

東京のジュリ友たちと会うのに野暮ったい服では恥ずかしい。


この14年間、本当に楽しく暮らしてきました。

大きな病気もせず、先日初めて半月板損傷という膝の病気になりましたが、今は整体のお陰で普通に歩けるようになりました。

無理をしなければ、大丈夫だとは思いますが、立ち通しは無理かもしれません。
これからも、ジュリーが歌ってくれる限り、私はジュリーのコンサートに行きたいと思います。

世のジュリーファンと同じで、それが生き甲斐ですから。