奪われた妻(57) | 夫の知らない妻

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官能小説「他人に抱かれる妻」別館です。

「秀吉め、関白なぞになりよって」

 

風雲児、信長が突如この世を去ったのは三年程前のこと。

 

その後の混乱を待ち構えていたかのように、誰よりも早く動き出したのが秀吉だった。

 

この南の国で、隅部隆久はそんな本土中央の騒乱を睨みながら、自らの力を着実に蓄えつつあった。

 

彼の父の代、隅部家では兄弟の熾烈な派遣争いがあった。

 

隆久の叔父、その名は隆景といった。

 

側室の子供であった彼は、兄との争いに敗れた後、いったん南の島に逃げ、そこで再起を図った。

 

数年後、満を持して兄との再戦に挑むべく、島を出発しようとした、その日の朝。

 

何者かが発砲した火縄銃の弾丸により、隆景はあっけなく絶命した。

 

まだこの国に火縄銃が伝わる前のことだ。

 

恐らく、それはこの国に初めて轟いた銃声であったに違いない。

 

「あのとき、父がもし叔父上と対峙していたら、今のわしはないかもしれん」

 

隆久の父は、その当時、家中に別の騒動を抱えていた。

 

あの日、叔父上が謎の弾丸に倒れることがなければ、わしは、いや、この国は今頃、この世にはないかもしれない。

 

隆久にとってみれば、それは天からの授かり物とも言える事件であった。

 

父が亡くなり、自らが跡を継いだ今でも、隆久はその数奇な出来事に思いを巡らせる。

 

あれはいったい、何者の仕業だったのだろう。

 

しかも、当時はまだ未知の武器といえた火縄銃を使いこなして・・・。

 

今でも謎に包まれた事件。

 

だが、まことしやかに伝わっている一つの噂ならある。

 

「あれは隆景殿に妻を奪われた男の仕業じゃ」

 

「新妻を奪われ、隆景殿に好きなようにその体を弄ばれた。男は何年も屈辱に耐え、反撃の瞬間を待っていたんじゃ」

 

それが本当ならば、その男に是非とも会ってみたいものだ。

 

邪魔者であった叔父上を始末してくれたことには、どれだけ礼を言っても十分ではないだろう。

 

「殿、その男はもうこの世にはおりませぬ」

 

この国のたくましさの象徴とも言える海上の噴煙を眺めながら、土地の酒と肴を楽しむ月夜のひととき。

 

隆久は、配下の武士たちとその話に花を咲かせるのが好きだった。

 

そんなとき、父の代から隅部家に仕える初老の武士が、必ずそんなことを言うのだ。

 

「この世にはおらぬと申すか」

 

「さよう。なんでも、隆景殿を討ち果たした後、奪還した妻と一緒に崖から飛び降りたとか」

 

「島の南端のあの崖か」

 

「隆景殿の家来衆が見つめる中、二人は勝ち誇ったように崖から空に向かって飛んだそうな」

 

「空に向かって飛んだ、とな。あの岩場では一溜まりもないであろう」

 

「噂では、それはそれはたいそう美しい妻であったそうで」

 

「ほほう。それは女好きの叔父上が離すわけなかろうな」

 

「島一番の美女、そのおなごが別の男の女房であったことにも構うことなく、叔父上は毎晩のように寵愛していたそうです」

 

「その男の怒りはどれほどのものであっただろうか」

 

芋焼酎を舐めながら、隆久は妻と共に崖から飛んだと言う一人の男の姿を想像した。

 

美しい妻を最後には奪還した男。

 

崖から飛んだ時、彼はどこかで満足していたのかもしれない。

 

「ところで殿、一つ面白い話がございまして」

 

まだ新参の武士が、話題を変えるような口調で宴の末席から声をあげた。

 

たとえ下層の人間であれ、隅部家では分け隔てなく、意見を述べることができる。

 

それがこの家を後に秀吉を悩ませるほどの強国になった理由の一つなのかもしれない。

 

「なんじゃ。遠慮のう申してみい」

 

「先月、その島にシャムからの貿易船が到着したそうです」

 

「ほう。シャムとな。何かいい品を積んでおったのか」

 

「既に大量の鉄砲、火薬、鉛、それに絹を手に入れております」

 

「それは上首尾な話じゃ。鉄砲はいくらあっても余ることはないからのう」

 

隆久の言葉に、一同がどっと笑う。

 

その笑いが続く中、若い武士は言葉を続けた。

 

「殿、面白い話はここからでございまする」

 

男の言葉に、隆久、そして一同が声を鎮め、耳を傾けた。

 

「実はそのシャムからの貿易船、ふなおさがなんとこの国の人間のようでして」

 

「この国の?」

 

「隆景殿が流され、最後にはその地で果てた島、その島で生まれた人間であり、シャムにはもう何十年も住んでいる男のようです」

 

若者の言葉は、宴の席になんともいえぬざわめきを生んだ。

 

月光を浴びながら穏やかに揺れる海、その向こうにある黒々とした噴煙。

 

いつもと変わらぬ夜のひととき、隆久はその言葉の意味をしばらくの間、じっと考えた。

 

あの島で生まれたという男が、いったいなぜシャムにいるというのか。

 

目を閉じたまま、手にしていた扇子で何度も膝をたたいていた隆久は、やがて口を開いた。

 

「面白い。その男をなんとかここに連れてくるのじゃ。是非会って話がしたいものよ」

 

「承知つかまつりました。早速手配いたします」

 

海の向こうにある異国、シャムからの一行が隆久のもとを訪れたのはそれから間もなくのことであった。