奪われた妻(1) | 夫の知らない妻

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官能小説「他人に抱かれる妻」別館です。

「ここまで来いよ、桔梗!」

 

「ねえ、疾風、待ってったら!」

 

戦国の黎明期、天文年間。

 

尾張の国では、後の歴史を大きく塗り替えることになる武将、織田信長がまもなく誕生しようとしている。

 

だが、ここははるか遠く離れた、海の孤島。

 

南国特有の眩しい日差しの下、走り回る少年と少女は、迫り来る戦国の騒乱など無縁の世界にいる。

 

「今日の海はいつも以上に綺麗だぜ、桔梗!」

 

粗末な小袖を身に纏った少年、疾風。

 

疾風(はやて)、と名付けてくれた両親はもうこの世にはいない。

 

彼が産まれて間もない頃、この島を襲った嵐の犠牲になった。

 

10歳になったばかりの疾風は、大きな瞳を持った見るからに活発な少年だった。

 

そんな彼を幼馴染、いや、双子の兄妹のような存在の同い年の少女、桔梗が追いかけている。

 

「疾風、今、行く!」

 

島の最南端、断崖絶壁の先端付近に広がる草原。

 

そこが、2人の遊び場所だ。

 

崖の先端、ぎりぎりの場所に這いつくばり、疾風ははるか下方の岩場を見つめている。

 

「追いついた!」

 

後方から必死に走ってきた桔梗が疾風の背中に重なるように飛び乗った。

 

疾風と同様に、彼女もまた薄汚れた粗末な布切れだけという服装だ。

 

きらきらとした瞳と整った顔立ち、そして手足が長い美しい少女。

 

桔梗もまた、両親の顔を知ることなく育った。

 

彼女が1歳になった頃この島を襲った疫病、運悪く、両親共にその犠牲となった。

 

「見なよ、桔梗。今日は波が高そうだ」

 

「うん」

 

巨大な岩がごろごろと転がる絶壁に、遠い南の国からやってきた波が次々に打ち寄せている。

 

「すごいや」

 

思わず身を乗り出した疾風の手を、桔梗がしっかりと握る。

 

「疾風、気をつけて」

 

「ここから落ちたらひとたまりもないかな」

 

「あんな硬い岩場に落ちたら、私たち死んじゃうわよ」

 

しっかりと手を握り合いながら、少年と少女は崖の下、そして水平線にまで広がる紺碧の海を見つめた。

 

「桔梗」

 

「何?」

 

「俺、いつかこの海の向こうに行きたい」

 

「海の向こう?」

 

「俺たちがまだ知らない異国があるって、じいがいつか言ってた」

 

「でも、どうやって行くのさ」

 

立ち上がった2人は、手を繋いだまま、互いに寄り添って水平線を見つめる。

 

いたずらっ子らしく笑みを浮かべ、疾風は言った。

 

「空を飛ぶんだ、鳥みたいに」

 

「飛ぶの?」

 

「この崖から飛び立つんだ、いつか」

 

疾風の言葉に、桔梗は嬉しそうにきゃっきゃっと笑い、そしてぎゅっと彼に抱きついた。

 

「そのときはあたいも一緒だよ」

 

「もちろんさ。桔梗、一緒に飛び立とう、いつか」

 

「やったあ!」

 

草原を転げ回り、喜びを爆発させる桔梗、そして遠くを見つめ続ける疾風。

 

そんな2人に遠くから声がかかった。

 

「おーい、そろそろ夕飯のしたくじゃ!」

 

親代わりになって2人を育てている老人、じいが草原の向こうで笑顔で立っている。

 

「はーい!」

 

疾風、そして桔梗は転がるようにじいのもとに駆けていく。

 

2人はまだ知らない。

 

これからやってくる戦国の時代に、この小さな孤島が大きな役割を果たすことを。

 

そして、2人の人生がそれに激しく巻き込まれることを。