いなくなった妻 | 夫の知らない妻

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官能小説「他人に抱かれる妻」別館です。

「パパ、景色いいね」

曲がりくねった山道の端に、ふと現れた小さな広場のようなスペース。

そこだけは視界を遮断する木々も途切れ、はるか遠方に広がる街の様子がはっきりと見渡すことができる。

絶好の写真スポットと言ってもいいかもしれない。

「そうだね。遠くに家が見えるかもしれないよ」

「ほんと?」

眩しい春の陽光が青空から降り注いでいる。

いい天気だ。

地元の農家の車が時折行きかうだけで、あたりは静寂に包まれている。

深い森の奥から響いてくる、聞いたことのない鳥の鳴き声だけがBGMだ。

いや、この鳥の声はどこかで聞き覚えがある。

確か、あの夜も。

 

8歳になる一人娘をここに連れてくるのは今日が初めてだった。

少しばかり勇気がいる行動だったが、一度は連れてくるべきだ、とずっと考えていた。

そう、6年前の今日、から。

 

「遠くまで見えるよ。ほら見て。ここ、少し地面が高くなってるから」

楽し気に話す娘の姿に、私はふと妻のことを思い出した。

彼女がいなくなってから6年、私は一人で娘を育ててきた。

あの頃、まだ2歳だった娘。

彼女に母の記憶はない。

彼女が知る妻の姿は、居間に飾られた写真のそれだけだ。

ここまで成長した娘を見たら、果たして妻は少しは私を褒めてくれるだろうか。

 

娘がこの場所に来るのは初めてだが、私にとっては今日が2回目になる。

もっとも、これほどに素晴らしい風景が見渡せる場所だとは知らなかった。

あのときは、1メートル先さえわからないような、深く完璧な暗闇がこの空間を支配していた。

覚えているのは闇の深さと森の奥から聞こえてくる鳥の声、そして全身の汗だけだ。

 

「そろそろ行こうか」

「もう行くの? こんなにいい景色なのに」

娘は自分の立つ小高い地面から離れようとはしない。

「早く山頂に行ってお昼ご飯食べよう。ソフトクリームだってあるかもしれない」

「やったあ!」

車に向かって走り出した娘を見つめた後、私は視線をもう一度風景に向けた。

眺めがいいと言って娘が離れようとしなかった小高い地面の脇に立って。

 

ふいに、娘の叫び声が聞こえた。

「ママだ!」

背筋に寒いものが走った。

「ママ! 行かないで! ママ、待ってよ!」

停めてあった車を通り過ぎ、娘は曲がりくねった山道の斜面を駆け足で登っていく。

「ママ! ねえ、待って!」

私は急いで娘を追った。

大きく道が曲がった後の路肩に、数台の黒塗りのセダンが停まっていた。

 

「Fさん、ですね?」

降りてきた男たちは、皆スーツ姿だった。

先頭に立つ中年の男性が、丁寧な口調で私に声をかけた。

「ご同行いただけないでしょうか。少しお話が」

「・・・・」

「6年前の今日、行方不明になった奥様の件です」

私は振り返り、娘がさっきまで立っていたあの小高い地面の膨らみを見つめてつぶやいた。

「お前が教えたのか?」

あの夜と同じ汗がシャツの下ににじんでいる。