年賀状と世相 | 銀河高原の気紛れブログ(完結済)

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前立腺癌闘病生活に立ち向かう日々の記録です。このブログは終了し2019年12月13日からTwitterで趣味の旅行と吹奏楽のことを記しています。

一部内容が重複致しますが、年賀状について掲載させて頂きます。

毎年、喪中のお葉書を数通頂きます。

学生時代の先生や同窓生、親戚の方々、会社員時代の仲間達等、想い出が脳裏に浮かぶ方々の場合は、とても寂しく人生の刹那さを感じます。

この頃の時代は、故人の意思により、葬儀が家族葬や密葬と呼ばれるものが多くなりました。

この場合は、香典・供花・供物は辞退です。

年忌なるものも、家族だけで実施します。

時代の変遷を感じさせられます。

また、年賀状ですが、形式化した文言が印刷されただけのものが多いです。
生存の確認だけの意味しかありません。

私の場合は、ひとりひとり文言を考えて、近況を添えて差し出しておりますが、現代はメールの時代ですから、自己満足になっているのかな、と思うようになりました。

また、高齢者になりますと、音信不通が日に日に増えていきます。

去るものは日々に疎し、の感じです。

人間関係にも賞味期限があり、切れるものを追いかけるのは止めることにしました。

年賀状は、時間がかかるので、月初から書き始めておりますが、今回で最期と致します。

高齢者が直面することは3K(健康・金・孤独)だと、先日のテレビ番組で放映しておりました。

年賀状、皆さまはどのようにお考えですか。