みなさま、こんにちは。
京都、スピリチュアル・セラピスト、ミヤノリト∞です☆
さて、「神との対話」p、14~15
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わたしはすべての者に、つねに語りかけている。
問題は、誰に語りかけるかではなく、
誰が聞こうとするか、ではないか?
~言葉で語りあおうとすると、とたんに言葉のもつ制約にしばられることになる。
だからこそ、わたしは言葉以外でもコミュニケートする。
それどころか、言葉はめったに使わない。
一番多いのは、感情を通じたコミュニケーションだ。
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まさに、この言葉、「感情の衝動」・・・理由はわからないけれど、そうしてしまった。
というところ。
私たちの感情は、「自分のもの」と普通の人は思っているかもしれない。
しかし、そうではない。
ガイドたちは、私たちの感情を操作し、
「会うべき人と会わせたり」「行くべきところに行かせたり」
私たちの行動を誘導している。
自分の感情を自分のもの・・・と思ったら間違いなのだ。
だから、私は、何か感情が浮かんだとき「これは自分の感情か?」と思うのが癖になってしまった。
(よくあることは、「夫」の感情のことが多い。)
また、自分の感情がどうなっているのかを「合間」に見ることが癖になっている。
自分のハートに集中して、ハートの様子を見るのだ。
ハートはその時々で、波打っていたり、穏やかだったり、疲れていたり、
私は・・・今は、なんだか少しそわそわしている。
ちょうど、子供が塾から帰ってくるかな~と氣になっているからだ。
そして、帰ってくるとハートは「安心した様子」になる。
そのように、たまに自分のハートの様子を観察する癖をつけると良い。
初めはわからなくても、そのうちにわかるようになる。
それには「比較する」ということが必要なのだ。
「比較」しなければわからない。「比較」するからわかるのだ。
(このことも、この神との対話に出てくる)
さっきの自分の「ハート」と今の自分の「ハート」を比較する。
そうして、自分のハートを観察することをしていると、
他の人のハート「感情」を一目見ただけでわかるようになる。
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感情は、魂の言語だ。
~最も深い感情のなかに、最も高い真実が隠されている。要はこの感情をつかむことだ。
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人を観察していると、「自分をごまかしている人」が結構いる。
その人は、「自分をごまかしている」が故に、自分がわからなくなり、
そして悩んでしまうのだ。
「見たくない自分」を観ない限り、前には進まない。
観たくない自分は、常に立ちはだかり、自分にとっての最大の敵である自分を創り上げてしまう。
自分は、常に自分の味方になっていないといけない。
心の底の感情を正面から見て、
「・・・そうか、このことで辛かったんだな」
「もういいよ、我慢しなくても」
「意地ばっかり張ってバカだった」
そうして、本当の自分を観て、
自分で自分を許せることができるかが大きな分かれ道となる。
ここでも、やはり「素直」がカギとなる。
「素直」は人が進化するうえで一番重要だと思う。
敵となっていた自分を許し、
そして、自分の感情を自分で癒し、励まし、自分を立ち直らせることができるのは、
最終的には、「自分」しかいない。
他の誰もできない。
他の人はそのきっかけを作ることしかできない。
結局、自分をコントロールするのは、自分しかいないのだ。
(このことも「神との対話」の中で出てくる)