エレーナは、自分の幼少期にあったこと、
自分が何をしてよいのかわからなくなってしまったことを話したのでした。
アレンは、エレーナと初めて心の交流ができたことをとても嬉しく思っていました。
アレンの中には、エレーナのことを心配する気持ちが以前からあり、
何も言わず、ただ見守っていたのでした。
「ひとりぼっち」と思っていたのは、
エレーナの中で幻として思い込んでいたものでした。
本当は、常に思い、常に気遣いをかけてくれる人がいたことに、
エレーナは初めて気づくことができました。
エレーナは、アレンの心に触れたとき、
自分の中で作り上げていたドラマにはまり込んでいたことに気づきました。
本当は、愛情ある眼差しが常に見守っていて、
その愛を自分が受け取ることを拒否していただけだったのです。
(私は、愛を受け取っていいのだ。
愛を差し伸べている人に、私の方が背を向けているだけだったのだ)
そのことが分かったと同時に、
母親の気持までもが雪が解けるようにわかってきました。
エレーナの母カサンドラは、エレーナのお転婆な状態を心配し、
将来自分が老いていなくなった時に、
結婚していなかったら大変なことになるだろうと心配してのことで、
決してエレーナに愛を向けていなかったわけではなかったのです。
エレーナが困らず生活をしていくために母は、
母なりに考えてのことでした。
しかし、価値観が違った為、
エレーナにとっては負担としか感じられなかっただけのことでした。
物事はとても簡単なことなのに、
私たちは複雑に考えてしまう。
私たちが起こす、「まやかし」という幻想のドラマにはこういうものがつきものです。
その「まやかし」に入り込まない為には、
自分を客観的に見る目が必要でありますが、
でも客観的に見えないからこそ、
その役柄に入りこんで、その経験をとことん実体験することができるという、
葛藤が産まれます。
その時の感覚は、「心と思考がなんだか合わさっていない」
だから人は悩むのですね。
なんだか違うと(心=魂)は叫ぶ、
でも頭では(こうしなきゃ=常識やしつけなど)と言っている。
人生のドラマは、葛藤があるからこそ、
この物質世界で「愛」から離れた経験をすることができる。
「愛」から離れた経験は、新たな「愛」を産み出すということです。
矛盾、葛藤、ジレンマは、
私たちが新たな「愛」を産み出す一つの大きな仕組みなのかもしれませんね。
え?・・・その後、エレーナはどうなったかって?
それはもちろん、都会から離れ田舎へと引越し、
自然に囲まれた生活を始めて、
アレンとともに、毎日お日様の下で一緒に過ごしましたとさ・・・。
めでたし、めでたし。