先日、湖北の伊香具坂神社にお参りしたとき、滋賀県神社庁のサイト所載の御由緒に釘付けになりました。
いわく、
「伊香具神社の創建に続いて、一ノ宮として天神雲根命を祀り、二ノ宮として天種子命を祀ったのが当初の創祀と伝える。 」
天神雲根命と天種子命は親子ですから、父を一ノ宮、息子を二ノ宮に祀るというのはわかります。
ただ、現在、伊香具神社の祭神は伊香津臣命なんですよ……。
伊香津臣命。
イカツオミは、記紀神話に二度登場します。
一度目は神功皇后のとき。
神功皇后が神降ろしをする際、審神者を務めたとされます。
仲哀天皇存命のときは、神功皇后が巫女、仲哀天皇が琴を演奏する役目、タケノウチノスクネが審神者でした。
仲哀天皇が暗闇の中で亡くなった後の神降ろしでは、神功皇后が巫女、タケノウチノスクネが琴を演奏する役目。そしてイカツオミが審神者です。
つまり、イカツオミはタケノウチノスクネの二番手的な役割だったのでしょうね。
頭の良い、仕事のできる男だったのでしょう。
次に登場するのは允恭天皇のとき。
允恭天皇は大中姫の妹である衣通姫が絶世の美女だと聞くと、これを宮中に召そうとします。
しかし衣通姫は「お姉さまと一人の男性を争うようなことはしたくない」と、これを拒みます。
そこで允恭天皇が遣わすのがイカツオミ。
彼は衣通姫の前に出ると、
「あなたが来て下さらないのなら、私はここで死にます!」
と地面に伏せて動かないんです。
これ、允恭天皇が不健康を理由に即位を拒んだときの、大中姫皇后の行動と似ています。
しかし皇后は盃を捧げ持ったまま動かなかったんです。
寝ころんだまま動かないイカツオミとはしんどさが全然違う。
しかもイカツオミは衣通姫が見ていないとき、こっそり懐から食べ物を出し、ボソボソと食べていました。
ただのズルなんですよ。
そもそも「烏賊」には「賊」の文字が入っていますよね。
これは中国の『南越志』の故事によります。
イカが死んだふりをして海に浮いているところに烏がやってきて、咥えようとします。
その瞬間、イカは触手を伸ばして烏を捕え、逆に食っちゃうんですね。
……なるほど。
イカツオミはまさに烏賊。
と、どうにもこうにもつかみどころがないイカツオミですが……つ~か、神功皇后が神降ろしを行ったのは西暦201年ごろ。
允恭天皇の即位は412年です。
イカツオミとタケノウチノスクネは、「数多くの天皇に仕えた」という意味でも一致しているんですよね。
そして多分、長寿なところも。
そして湖北では、またまったく違う神話が伝わります。
ある日イカツオミは、天女が水浴びしているところに遭遇します。
そしてその羽衣を盗み、天女を妻としました。
イカツオミは羽衣を隠していましたが、天女は探し続け、ついにはそれを発見。
羽衣を見つけた天女は、イカツオミとの子を地上に残し、さっさと天に帰ってしまいました。
イカツオミにも、イカツオミとの子にも、一切未練はなかったんでしょうね。
つまり、そ~ゆ~奴なんです(笑)
イカめ!!
しかしその赤ん坊は、その後、不思議な人生を送ります。
ある日のこと。
菅山寺真寂坊の阿闍梨、尊元和尚はどこからか読経が聞こえるのを不思議に思い、その声がどこから聞こえるのか探しました。
すると、美しい赤子が泣いているのを発見。
その天然自然な泣き声が、経文に聞こえたのです。
「この子は不可思議な子じゃ」
そう判断した尊元和尚は、子を立派に育て上げました。
そうして大人になったのが、菅原道真です。
菅原道真といえば、藤原氏に目の仇にされて大宰府に左遷になったとされる人物です。
その父親がイカツオミだとは、不思議。
なぜなら、イカツオミは中臣氏だとされるからです。
そしてもし、伊香具坂神社のご由緒にあるように、イカツオミ=天押雲根だったら?
天押雲根命は通常、天児屋根……藤原氏の祖神……の子とされます。
そしてどうやら、元春日の主とも関係が深い。
ね?
この絡み具合が気になるでしょ?
私は、神話は神話だと思っています。
だから神話を丸呑みして、「このエピソードは、こういう史実に基づいている」なんて考え方はしません。
ただ、この神話を伝えた人は、何を後世に伝えたかったんだろうとは思う。
さて。
何を伝えたかったんでしょうね?
妄想がはかどりすぎて、困る(笑)
取材や執筆の依頼・お問い合わせは