今、いろいろな分野の専門家の講義を聴き、1000文字弱にまとめる仕事をレギュラーでいただいてるんですが、これが本当に面白い。
というのも、一流の人は、必ず、もう絶対必ず、もう絶対必ず確実に、哲学を持ってらっしゃいます。
どんなジャンルであろうと、深みのある話は面白いですよね。
んじゃ~、私はライターとして哲学を持ってるんだろうか……と考えてみましたら、結構いろいろありました。
・自己主張は出来得る限り消す
・なるべく多角的にアプローチする
などなど。
でもやはり一番は、「その時々で、一番正しく美しい日本語を使う」だと思います。
なぜならば、日本語の本質は、正しい日本語にしかないと思ってるから。
あるいは、「日本の本質」さえ、正しい日本語にはあるかもしれません。
たとえばとある樹木を見て、中国人は「紅色の花が百日くらい咲き続けている」と思い、日本人は「樹肌がツルツルしてるから、猿でもすべりそうだな」と感じた。
だから中国人はそれを「百日紅」と呼び、日本人は「さるすべり」と呼んだんです。
中国人が「男女が体を重ねてるようだ」と感じた葉の重なりを、日本人は「眠ってるみたいだ」と見た。
だから中国では「合歓」、日本人は「ねむ」と呼びます。
通貨の単位も多分同じ。
中国の通貨の単位は「元」ですが、本来は「圓」なのだとか。
韓国の「ウォン」も、漢字にすると「圓」
「圓」は「円」の旧字体。
「圓」は丸いものを意味する漢字で、古くは、中国人も韓国人も日本人も、お金を「丸いもの」と感じていたのかなと想像できます。
「価値があるもの」「欲望の対象」「持っていると幸せになる」なんて感覚じゃなく、「丸いもの」。
なんと素朴な感性かと思います。
「円」を「縁」に取り換えて悦に入ってる人は、私たち日本人、広くは中国文化の影響を受けている国々の人が、何を感じ、何を喜び、何を悲しんだのか、すっぽり取り落として平気なのだろうか?
もちろんそれはその人の感覚だから、「ダメ」と私の感覚を押し付ける気もないんですけど、正しい日本語を使わない人が日本や日本文化を語っても、目が泳いじゃうな(笑)
とはいえ、「正しく美しい日本語」は、その時、その場、その目的によってまったく変わります。
そこが難しい。
だけど一つだけ、「正しく美しい日本語」に欠いてはならないものはあって、それは「本質」だと思うんです。
その文章が、なんのために存在するのかの本質。
たとえばSEOのための記事とコピーでは、「正解」がまったく違うよね。
でもどちらも「本質」が含まれてなければ、価値はありません。
反対に言えば、本質がどこにあるのかわかっていれば、削げる文章がどこか判断しやすい。
さて、この記事の本質はどこでしょう?
美しい文章を書くには、「本質をつかむ」ってことがとっても大事ってことなので、相当な文章を削れますね(笑)
いや、わかってんねん。
わかってるけど、個性も出したいやんか。
取材や執筆の依頼・お問い合わせは