神事の変更のこと | 守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

弱音を飲み込み、人に頼られるのが得意な長女タイプのあなたへ
ふとしんどさを感じたとき、気軽に愚痴を言える相手のような
自分だけの守護神をさがしてみませんか?

今日のラッキー神社

 

多度大社の上馬神事が、動物虐待ではないかって問題になってますね。
私は神事を見たことがないのでどれほど危険かとかわからないんですけど、とりあえず過去15年間に、少なくとも4頭の馬が安楽死させられたとか。

 

馬が怪我しないような形に変えたら?と、思います。

 

こういうときね、絶対「祭は神事だから、変えてはいけない」と伝家の宝刀抜く人いるんですよ。

「祭は神聖なものだから、変更してはならない」

とかなんとか。

 

毒吐きますけど、病院行った方がいいんじゃないですか?

私は「伝統だから」で思考停止してる人が大嫌いです。

 

伝統には伝統の意味がある。

その意味を逸してるのに伝統もクソもあるか!!!!!

 

「相撲は神事だ。だから人命救助のためでも女が土俵に上がるな」

という意見については、

「伝統的な神事だと粋がるなら、殺し合えや、バーロー!!」

と思います。

 

そもそも、日本書紀にある相撲の元祖は、野見宿禰が當麻蹴速の背骨を蹴り折って殺してますから。

本来の相撲は、生贄の献上ですからね。

負けた方が死ぬくらいの覚悟がないなら、「神事だから女が云々」言われてもしゃらくせぇわ。

 

例えば、兎足神社には、人身御供の風習がありました。

でもある年に宮司さんの娘が人身御供になったから、次の年から雀に替えたって伝説があります。


自分の子どもが人身御供になって悲しかったから、雀に替えたわけです。

馬が死んだら悲しくないのかよって話。

雀だって可哀想だい。

生き物殺さなくてええやんかいさ。

 

お祭りとはなんでしょう。

 

一つは、人々の生活に幸を呼び込むためのものです。

一つは、神様に喜んでいただくためのものです。

 

両者は密接に関わっている。

というか、人々の生活に幸を呼び込みたいから、神様を喜ばせるわけだとも言える。

 

なら、観てる人が悲しい気持ちにある祭って、必要?

 

 

血を好む神様もいるのかもしれません。

残酷なことを喜ぶ神様もいるのかも。

 

でも、なぜその神様は、血や残酷を喜ぶんだろう?

 

マヤアステカ文明は、生贄の文明とも言えたりしますよね。

生贄の臓物を載せるチャック・モールなんて、ユニークすぎる遺物です。

 

マヤアステカの神様は、なぜそこまで生贄を好んだのだろう。

……日本人にはわかりませんよね。

 

どんな宗教にも背景があります。

 

戦の多い土地で生まれた宗教。

災害の多い土地で生まれた宗教。

乾燥地帯で生まれた宗教。

 

背景が違えば、教えが違うのは当然。

 

なら、時代が変われば教えが変わるのも当然じゃないですか。

 

伝統って耳障りが良い言葉ですが、その根幹がなんなのか、思考停止してしまったら害だと思う。

伝統は大事。

大事だからこそ、その根幹がなんなのか考えるべきだと思います。

 

 

 


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