「あこがれる」という言葉の意味って、人によってずいぶん違いそう。
私の場合、「憧れの人」は小泉八雲です。
理想の人物。
「私もあんな風になりたいな」と思う人ですね。
文章もそうだし、その志の高さもあこがれる。
人によっては「あこがれ」の対象は恋愛の対象になることもあるでしょうね。
でも、本来の「憧」は、少々意味が違います。
三省堂『漢辞海』で「憧」をひいてみると、
説文解字では「意が安定しない。『心』から構成され、『童』が音」と説明されているようです。
説文解字は最古の部首別漢字字典で、西暦100年ごろの成立。
当時の「憧」は気持ちが安定しないことを意味していたわけです。
そして平安時代の日本でも、「憧」は、現代とはかなり違う意味を持っていました。
物思へば 沢の蛍も我が身より
あくがれ出づる たまかとぞ見る
夫・藤原保昌の心が離れて悲しんだ和泉式部は、貴船神社に詣でます。
貴船川に舞い飛ぶ蛍を見た式部は、
「夫恋しさに迷い出た私の魂かと思ったわ」
と詠んだわけです。
つまり、「あくがれ出る」は、魂が体を離れることを意味していたんですね。
魂が体から抜けるような思いをしたこと……私は、あります。
夢の中でですけど(笑)
最近見なくなりましたが、20代後半から30代にかけて、ものすごく頻繁に明晰夢を見ました。
眠っていて、起きようとしたら体が動かないんです。
つまり体が寝てるわけ。
仕方ないから体はそのまま置いておいて、頭の中だけ旅をしていました。
そのとき、「頭の中の体」は動きますので、泳ぐように空を飛び、好きな土地へ行くんです。
これがなかなか楽しかった。
私は外国に飛びましたけど、人によっては「恋しい人のそば」を想像するかもしれません。
まさに「あくがれいずる」わけです。
いわゆる「臨死体験」も、体から魂が抜けた状態なんでしょうね。
上手に言えませんが、
「あ~、あくがれいずりたいなぁ」
という欲求が、今、高まりつつあります。
どこに飛びたいかというと、ズバリ神の世界。
神の世界と言うと想像のよすががないので、むしろ仏の世界、曼荼羅の方が良いのかも。
ええ、どっちでもいいです(笑)
全興寺のおじゅっさんは曼荼羅の世界について、「個々が自立していながら、調和している世界」と表現されていました。
そんな世界にあくがれいずってみたい(笑)
そのためには瞑想なんかが良いんでしょうかね?
また、坐禅に参加しようかな……。
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