もちろん、蛇の正体が神ではなく、「禍々しい存在」とされることもあります。
今昔物語だったか、堤中納言物語だったか、探してみても見つけられないので、他の古い物語だったかもしれませんが、蛇の子を宿した娘が、それを殺すために苦労する話もあります。
蛇の住処を訪れると、他の蛇が蛇婿と話しているのが聞こえます。
「娘が子どもを処理してしまわないようにしないと」
と他の蛇が言うと、蛇婿は、
「上巳の節句に桃酒、端午の節句に菖蒲酒、重陽の節句に菊酒を飲まない限り、処置できないから大丈夫」
と答えるのです。
上巳の節句は3月3日。
端午の節句は5月5日。
重陽の節句は9月9日。
お雛祭りには桃を飾りますし、子どもの日には菖蒲を飾りますね?
重陽の節句は、今はあまり知られていませんが、「菊の節句」とも言います。
つまりこの話は、節句飾りの由来譚ともなっているわけです。
蛇婿話の中で、娘は蛇を拒絶していますが、最終的にはおめでたい話に結びついています。
そういう意味では、蛇婿は、馬婿や犬婿とは少しだけ、色合いが違うように感じます。
蛇身の神はいても、馬身や犬身の神というのは聞かないですしね……。
ただ、神も鬼も等しく「もの」であります。
聖と邪は紙一重。
神の嫁が幸せとも限りません。
蛇が沼や淵の主であった場合は、娘も水の底に沈められてしまいます。
主の妻ですから、不幸であるとも限りませんが、主の虜となり、二度と人間の前に姿を現さないわけですから、孤独でしょう。
ただ、それでも馬や犬の妻となった話とは、何か触感が違うように思います。
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