神功皇后が巫女を、烏賊津臣が審神者を務めた神祭りで、新羅を得るためには誰を祭ればよいのかわかりましたので、皇后の一軍は新羅に出兵します。
『日本書紀』によれば、託宣通り無血のまま新羅を降伏させたとありますが……。
ええ。
『三国史記』には全然違う経緯が書かれております。
つまり、このとき高句麗は好太王が治めており、強大な力を持っていた。
高句麗が百済を占領したとき、百済は倭と手を結ぶ。
さらに大和は新羅を攻めるのだが、高句麗が新羅を助けたので敗退。
……ざっとそんな感じ。
もちろん、どっちが嘘をついてるのかはわかんないです。
『三国史記』は高麗(高句麗が新羅・百済と統一してできた国)の史書ですから、高句麗に有利な証言をするでしょうし。
『日本書紀』は日本に有利な証言をするでしょう。
でもまぁ、少なくとも無血で新羅を降伏させたってのは嘘でしょうね(笑)
ただ、日本書紀の著者は、烏賊津臣を重要な人物として描いていることになるでしょう。
そもそも烏賊津臣は中臣氏。
中臣は「神と人間の中」に位置する臣を意味します。
臣は「使主」とも表記しますね。
神と人間の間で、お使いをするのが中臣なわけです。
だから、古来中臣氏は忌部氏とならんで神官の家柄。
鎌足の功績で、藤原氏が誕生した後も、神官家は中臣氏を名乗ったって説もあるようです。
さて。
烏賊津臣の名は、ここからしばらく登場しません。
次に登場するのは、なんと、允恭天皇の時代です。
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