兵庫県加東市には「社」という地域があります。
地名の由来がここ、佐保神社。
この神社の由来を、神社の案内板から引用しておきましょう。
「当神社の始まりは、第十一代垂仁天皇二十三年の創建と伝えられていますが、この当時は加西の鎌倉峰に鎮座されていました。
その後、養老六年(722)に現在地に遷座され、延喜式にも所載の古社であります。
統治に鎮座された頃は『坂合神社』と呼ばれていましたが、いつの頃からか『佐保神社』と称されるようになりました。
鎌倉時代には、朝廷や幕府の崇敬を集め、隆昌を誇り、尼将軍として有名な北条政子は、八丁至宝に内の鳥居、一里至宝に外の鳥居を造営させました。
今でも、その中の一基(西の内の鳥居)は加東市鳥居地区に、地名と共に残っております。」
垂仁天皇で佐保(さほ)と言えば、狭穂姫を思い出しちゃいませんか?
垂仁天皇の皇后で、まばゆいばかりの寵愛を受けるも、兄の狭穂彦にそそのかされ、夫を殺そうとする。
膝の上で昼寝をする夫に刃を向けるのですが、優しく愛してくれる男を殺すことなんて、できません。
彼女の頬から落ちた涙は天皇の額に落ち、目を覚ました彼はすべてを悟るのです。
そして垂仁天皇と狭穂彦の間に戦が起きると、狭穂姫は兄のところへ逃げます。
それでも最愛の皇后を殺したくない天皇。
皇子が生まれたことを知り、彼を預かると約束し、その隙に皇后ごと奪い返そうとするのです。
しかし皇后は戻りません。
「私が兄のところへ逃げたのは、私ゆえに兄を許してもらえるかと思ったからです。でもそれは無理だとわかりました」
と告げ、覚悟の上で、兄とともに死んだのでした。
兄とは言っても、この時代の「妹背」は「夫婦」の意味もあります。
狭穂彦は故郷の夫ではなかったか。
狭穂姫が本当に愛したのは垂仁天皇だったのか、狭穂彦だったのか……。
それは多分、読み手によって判断が変わるでしょう。
私は最近、「神様と交流するツール」としておみくじを使っています。
世間話をするようにおみくじを引く。
そうしたら不思議と、私の疑問に対する答えがそこにあり、しっくり腑に落ちるんです。
で、この神社でのおみくじなんですけど……おみくじの内容は、神様とのやりとりなので「お言わず様」にしておきますが、端的に言えば、
「違うタイプの男性二人を追いかけると、た~いへん」という意味の歌が書かれてたんですよ(笑)
だから、この神社と狭穂姫は、やっぱり関係があるんじゃないかな(笑)
なんとなく、そんな気がします。
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