石神社 | 守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

弱音を飲み込み、人に頼られるのが得意な長女タイプのあなたへ
ふとしんどさを感じたとき、気軽に愚痴を言える相手のような
自分だけの守護神をさがしてみませんか?

今日のラッキー神社

 

巨石信仰というと、縄文人というイメージがある……かもしれませんね?

でも最近の研究では、弥生時代にも巨石に対する信仰があり、それがいつまでさかのぼれるのかは疑問という意見もあり、実際のところ、よくわかりません。

 

尖石遺跡などにはストーンサークルがありますから、信仰に石を利用していた可能性は十分あると思うんだけど……。

学芸員さんに言ったら、

「ちょっと安易に決めつけすぎ」

って言われそうだから、控えておきます(^^ゞ

 

ただし、石棒については、私の誤解をはっきり指摘されました。

石棒は飛騨などから発見されている縄文時代の信仰道具。

男根の形をしていて、台地に突っ立てられていました。

 

石棒から私が連想したのは、「大山咋(くい)」の名前でした。

杭を打つのは領地のマーキングとされています。

つまり大きな山を領地とする神を意味する名前です。

大国主の別名ともされますし、日吉大社のご祭神ですから、聞いたこともあるでしょう。

 

だから、石棒は「杭」の意味なのかなって思ってたんですね。

でも、学芸員さんにはアッサリ否定されちゃいましたね~……。。

 

いわく、

飛騨市の石棒は凝灰岩、近畿南部などでは結晶片岩。粘板岩を使う地域も多いけど、いずれにしても割れやすくて加工しやすい

杭のように打つなんてとてもじゃないし、打ってると打痕があるからすぐわかる」
 
……説得力ありすぎて、反論の余地は一切なし(^^ゞ
 
ただ、石棒は巨石ともいえるわけで、飛騨の縄文人が石に対するなんらかの信仰を持っていたとはいえるんじゃないでしょうか。
 
そんなわけで、柏原市にある式内社・石神社です。
大楠木は樹齢800年超。
鎌倉時代に生まれたくらいかな?
 
でもこのあたりには、聖武天皇の時代には古代寺院が集まっていたようで、古い信仰の場であったことは間違いありません。
 
どんな祭が行われていたのかはわかりませんが……。
 
大きな石を見て、何か感じることはありますか?

 

 


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