《修験道の祖》蜂子皇子 4 | 守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

弱音を飲み込み、人に頼られるのが得意な長女タイプのあなたへ
ふとしんどさを感じたとき、気軽に愚痴を言える相手のような
自分だけの守護神をさがしてみませんか?

今日のラッキー神社

 

中興の祖天佑
名僧天宥(てんゆう)の活躍により
羽黒修験の地位を確立

第50代別当・天宥は、出羽三山中興の祖と呼ばれる。

 

天宥が別当職になったのは、寛永7(1630)年。

まだ25歳で、当時は宥誉(ゆうよ)と名乗っていた。

 

寛永18(1641)年には、幕府の重鎮天海僧正に弟子の礼をとり、名を天宥と改めた。

しかし、天台宗への改宗など、強引な手法が反撥を生み、寛文8(1618)年には、新島へ流刑となってしまう。

 

彼の功績の中、面白いのは、能除仙の前身が蜂子皇子であるという「発見」だろう。役行者より古い皇子を開祖とすることで、出羽三山の地位を押し上げたのだ。

御手洗池と古鏡

羽黒山頂の御手洗池は、鏡池とも呼ばれ、平安時代から江戸時代の銅鏡190面を出土している。

 

鏡は楓や松など自然風物の紋様が描かれたものが多く、「羽黒鏡」とも呼ばれる。

 

和鏡、儀鏡、湖州鏡式鏡、唐式鏡があり、もっとも数が多いのは和鏡。昭和25年に、国の重要文化財に指定された。

 

 

 


  ・プロフィール
  ・守護神さがしとは
  ・メニュー・料金
  ・簡易守護神check
  ・神社おみくじ
  ・イベント・セミナー情報
 
問い合せ

 

 

 

 

 

 

 

ポチっとお願いします
↓↓↓
にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ



取材や執筆の依頼・お問い合わせは
大阪の取材ライター醸工房