中興の祖天佑
名僧天宥(てんゆう)の活躍により
羽黒修験の地位を確立
第50代別当・天宥は、出羽三山中興の祖と呼ばれる。
天宥が別当職になったのは、寛永7(1630)年。
まだ25歳で、当時は宥誉(ゆうよ)と名乗っていた。
寛永18(1641)年には、幕府の重鎮天海僧正に弟子の礼をとり、名を天宥と改めた。
しかし、天台宗への改宗など、強引な手法が反撥を生み、寛文8(1618)年には、新島へ流刑となってしまう。
彼の功績の中、面白いのは、能除仙の前身が蜂子皇子であるという「発見」だろう。役行者より古い皇子を開祖とすることで、出羽三山の地位を押し上げたのだ。
御手洗池と古鏡
羽黒山頂の御手洗池は、鏡池とも呼ばれ、平安時代から江戸時代の銅鏡190面を出土している。
鏡は楓や松など自然風物の紋様が描かれたものが多く、「羽黒鏡」とも呼ばれる。
和鏡、儀鏡、湖州鏡式鏡、唐式鏡があり、もっとも数が多いのは和鏡。昭和25年に、国の重要文化財に指定された。
↓↓↓
![にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fhistory.blogmura.com%2Fhis_mythology%2Fimg%2Fhis_mythology88_31.gif)
取材や執筆の依頼・お問い合わせは
![大阪の取材ライター醸工房](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.norichan.jp%2Fimage8%2Fbanner.png)