蘇我入鹿を殺した後、誰もが中大兄皇子が即位すると考えていたようです。
でも、彼はそうしなかった。
母の弟である孝徳天皇を即位させ、自分は皇太子になります。
でも、孝徳天皇は傀儡で、実質的な最高権力者は中大兄皇子だったと考えられています。
皇太子でいた方が、やりやすいこともいっぱいあったのでしょうね。
たとえば、大化の改新を協力した蘇我倉山田麻呂に冤罪を着せ、殺しています。
日本書紀では、倉山田麻呂の謀反を讒言したのは、蘇我臣日向であるとしています。
日向は中大兄皇子に、
「倉山田麻呂は皇子が海辺にいるときを狙って殺そうとしています」
と告げた……って言ってるけど、中大兄皇子がそう言い張ってるだけとも受け取れる(笑)
そもそも、「讒言」とはっきり書かれているのが怪しい(笑)
讒言かどうかわかるのは、当の本人だけのはずですからね。
これを聞いた孝徳天皇は、使いをやって、倉山田麻呂に謀反の志があるのかどうか問いますが、彼は、
「天皇に直接申し上げます」
と答えます。
その結果、彼の屋敷は兵に囲まれ、自殺に追い込まれるのでした。
なぜ倉山田麻呂は殺されたんでしょう。
何かまずい秘密でも握っていたのかなぁ。
なんにせよ、中大兄皇子は即位するまで時間をかけ、「革命の後始末」をしていたように思えるのです。
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