あることに関しては、皇后の意見が絶対でした。
それは、女性関係……。
当時の天皇はたくさんの妻がいて当然でした。
仁徳天皇の父の応神天皇なんか、10人以上の側室がいましたからね~。
仁徳天皇は、磐姫と結婚する前に側室にした髪長姫がいるだけ。
そのうえ、最愛の弟である菟道稚郎子との約束がありました。
菟道稚郎子は、応神天皇に愛され、皇太子の立場でしたが、仁徳天皇の方が器量が優れているとして、自殺してしまったのです。
そして彼の遺言が、
「僕の妹である八田皇女を君の妻にして一生面倒をみてやってほしいんだ」
だったわけです。
正直、仁徳天皇にとっては、八田皇女はどうでもよかったのかもしれません。
でも、自分に皇位を譲って自殺した弟との約束は果たしたかった……らしい。
「カタチだけ、カタチだけだからさ。八田皇女を側室にさせてよ」
と磐姫にお願いしています。
しかしけんもほろろに断る妻。
皇后がなんと言おうが側室を入れることもできたと思うんですが、仁徳天皇は、それ以上なんともできないのでした。
しゅ~ん。
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