友達との長電話② | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

友達と電話で1時間半も喋っていたわけだが、友達は女なので会話の主導権を男には譲らないところがある。



会話の冒頭が互いにかぶる時もあるのだが、強引に押しきられてしまう。



職場の休憩中での男同士の会話ならば、そうなった場合には“面白さ”の強度によって相手に話題を譲るかどうかが決まる。



しかし、女の場合はそうではない。



強引に押しきって会話の主導権を自分が奪ってから、自分の本題である話も進めつつ、相手が折れたことを確認したところで、こちらがさっき何かを言おうとしていた冒頭の入り部分だけで話の内容までを要約して雑に処理したりと、とにかくまぁよく喋るのだ。



こっちが少しだけ間を置いたり、僅かに考えていると、「ほらほら、頭の回転、大丈夫?」と煽ってくる。



女の方が男よりも会話での頭の回転は速いと思う。



これは会話に速さを求めることによって咄嗟に出てくるアドリブでのワードや知識量によって、お互いの本性や人間味を炙り出して勝負しているようにも感じる。



難しい言葉を使って相手を牽制するようなビジネストークみたいなテクニックもプライベートの女には一切通用しない。



会話での相づちだったり、相手の言いたいことに対して例え話を交えて補足する等の芸当に関して、多少の自信はあるつもりでいたのだが、こちらの補足する尺が長かったり、話を持っていく方向性が少し違っていたりすると、ちょっとイラっとした感じを出してくるところが女には多々ある。



忘年会が終わって、駅に着いてから自宅まで歩いたその帰り道で眺めた今夜の月はとても綺麗だったという話を俺はしたのだ。



そういうロマンチックな話を平気でするような男なのだが、友達はすぐに言った。



「そうそう、月って言えばさ、この前、美容室に行ったのね…」



ちょ、速いよ、もう話を持っていかれたよ。



「えーっと、そうだな、満月満月くん(俺)が『満月みたいな人だね』って言われたら、どう思う?」



「満月みたいな人?まぁ明るくて暗い夜道でも照らすような存在だと思うから『嬉しいっす、ありがとうございます!!』って答えるよね」



「そうでしょ?普通は満月みたいな人って言われたら、そう受け止めるのが普通じゃない。でね、私の行く美容室の美容師さんが女の人なんだけど、この前、女友達に誘われて街コンに行ってきたって話になって…」



「あぁ、地元の合コンみたいなやつね?」



「そうなの?私もよく知らないんだけど、今でも街コンがなんなのかわからないんだけど、知らないとは言えなかったから、コンパみたいなもんかなって思ってさ」



「まぁまぁ、知らないとは言えない話の流れのときもあるよね(笑)」



「それでね、京都の男の人と仲良くなったらしくって、あとで京都の男の人からメールが送られてきたんだって」



「うん」



「その送られてきたメールには『あなたはまるで満月のような人ですね』って書いてあったらしいの、それで美容師の女の子は嫌味を言われたって思ったらしいのね」



「え?別に悪い意味じゃなくない?」



「私もそう思うんだけど、京都って裏言葉があるでしょ。京都の人は裏言葉で本音とは違う別の意味がそこにはあるから、満月もそういうことなんだって、その子も凄い悲しそうに言うわけなのよ」



ここで俺は渾身の補足を入れたのだった。



【裏言葉ってさ、京都でお茶漬けを出されたらってやつと同じことかな?】と。



「……ごめん、満月満月くんさ、もう1回言ってみてくれる?」



「え?だから、京都でお茶漬けを……もしかして、満月満月ちゃん知らないの?」



「いや、いいから言って(笑)」



「例えばさ、京都に遊びに行って、そこの奥さんとか、お母さんから『お茶漬け作ったから食べて』って、お茶漬けを出されたら、それは食べたら帰れって意味だよね?」



満月満月くんさぁ…。それ、お茶漬けじゃなくて、“お茶”だから(笑)」



「えっ?嘘でしょ!?お茶漬けじゃなくて、お茶なの?」



「お茶、お茶!京都ではお茶を出されたら帰れって意味なのよ」



「マジで?でもさ、京都って、お茶の本場みたいなイメージじゃない?それにさ、お茶だとかなり最初の方に出てくるよね?」



自分の中ではずっとお茶漬けだと思っていたのだが、人間誰しも勘違いして覚えていることはある。



それと古くから伝わる地方の説が実際の地元民の発言とは違ったことを検証するテレビ番組や、ネット等でも逸話などによる印象操作を指摘したり真実は真逆だったなんてこともざらにあるだろう。



しかし、友達は天然なところもあるのだ。



お茶漬けだと勘違いしていた俺に対して友達は電話の向こうで大笑いしているのである。



ちなみに友達は大阪に引っ越しているので、距離的にも京都は近いので説得力があるのだ。



勘違いしている人の割合が多ければ面白さとしての問題はない。



京都というワードに関連する大喜利的な思考だとしても、お茶漬けは上位に来ると思う。



金閣寺、銀閣寺、舞子、お茶漬け、修学旅行、八つ橋、これが世間のイメージする京都に関連する上位のワードだと思う。



その中でも“お茶漬け”は切れ味抜群のパワーワードであり、お茶漬けを先に使うからには絶対に滑ってはいけないし、序盤で使うには圧が足りていない場合もある。



それを根底から覆す“お茶漬け”じゃねえよ“お茶だよ”というツッコミなのだ。



福寿園もはんなり枯れる季節どすぇ。



しかしながら、どうして女の勘違いとはこうも大胆に振り切れるのだろうか?



こっちも“お茶”だと言われた時には青ざめたけどさ。



渋い茶葉のように青ざめたけど、茶柱のようにふわふわと自信が浮わつき揺らいできたけども。



こっちも素直だから聞き入れるわけじゃん。



勘違いはあるからね。



いや、合ってたよ。



やっぱりお茶漬けだったよ。



でも、これもネットで調べたことだから本当かどうかは違うんだよね。



ただ、面白さとして逸話を利用するには作用するわけでね。



ことわざじゃないけど、物事には裏の意味もあるってことだよね。



営業マンとかだと、営業先で出されたお茶には手を付けちゃいけないっていうビジネスマナーがあるらしいこともついでに知った。



これもソースがネットだから正しいかどうかわからないけど、間違いなく言えることは情報やデータのことを“ソース”って言うやつは出されたお茶漬けすら食べないで残すタイプだと思う。



満月の裏言葉の意味までは知らないが、ぐりとぐらの絵本のようなイメージだとしても月に対する幼い頃の記憶までは覆らないと思う。