友達との長電話 | 天狗と河童の妖怪漫才

天狗と河童の妖怪漫才

妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

忘年会の帰りの電車内で友達から着信があった。



友達とのルール(旦那から携帯の通話履歴や電話代を調べられる)があるので、着信はすぐに切れた。



折り返して友達に電車の中だと伝えた。



自宅に着くなりガラケー本体に充電プラグを差し込み、友達に電話を掛けた。



あれからもう三回目の冬だろうか?



今でもたまに思う。



あの頃の俺はどうかしてたなと。



だけど、見えない何かと必死に戦ってた気もする。



よくわかんないけど。



もうすぐクリスマスか。



思い出すのも恥ずかしいけど、何をそんなに怒ってたのか、自分でもよくわからない。



自分の価値観や基準というものにどれほどの自信があったのか、なぜあんなにも許せなかったのか。



親しくなって、友達になって、いい女だなと思った相手が幸せじゃなかった。



いい女が幸せじゃないってことが単純に許せなかった。



結婚してるのに嫁は風俗で働いて旦那は無職ってのが、全身の毛穴が開くほどに許せなかった。



だったら俺たちは何の為に毎日汗を流して必死になって働いてんだと。



それにはそれなりの理由が友達にもあって仕方がなかったわけでね。



俺がどうかしてたのかな。



あの頃の俺はちょっとおかしかった。



今でも身近な友人はいないけど、最近は職場で親しくしてる先輩はいる。



その先輩に友達のことを仮に相談してもちゃんと理解してくれると思う。



そのなんというか、男としてというよりも、男の子としての純度では間違ってはなかったと。



ただ、女からするとそれは綺麗事なのかもしれない。



でも、その男の子としての純度を引き出したのは友達の女の子としての純度に感化されたからだと思う。



友達からはバカなんじゃないの?とか、考えすぎとか、単純だとか、わかりやすいと言われた。



あの頃は極度に友人関係のコミュニケーションに飢えていたせいかもしれない。



友達が作ってくれた手料理を食べたあと、すぐにイビキをかいて寝てるくらいだから友達に対する警戒心もまるでなかった。



あの頃の俺はやっぱりどうかしてたのかな。



友情ってやつも大人になればみんなそれなりに割りきって考えるもんね。



楽な言葉を選んで、楽な生き方をして、矛盾すらも使い分ける。



あの頃の俺はまだまだ考え方がガキみたいだったってこと。



もっとヘラヘラしながら目の前の現実は自分自身が作り出してるとか語るのが大人の手口だろ。



君のことを責めてるわけじゃないよ、とかフォローしたりするのがいいんだろ。



もう無理だけどさ(笑)



今さら何を言っても手遅れだよ。



ただ、とにかく一生懸命だった。



友達との口喧嘩に負けたみたいで悔しくて泣かされたこともあった。



あれから俺は少しは強くなれたのかな。



冬の夜空の三日月は綺麗だった。



そういやカラオケで友達が絢香の三日月を唄っていたのを思い出した。



あの頃が懐かしい。



気が付くと1時間半も友達と電話で喋っていた。



どうやら俺は生まれ変わったら男よりも女の子の方が向いているのかもしれない。