初日の昼を省エネモードで終えまして、画家さんとの待ち合わせ場所に別の班の面白い人と一緒に移動することになりました。
この“面白い人”って呼び方もややこしいので、イニシャルでKさんとしましょう。
溜池山王で待ち合わせだったのですが、Kさんが地下鉄の券売機でチャージをしているタイミングで画家さんからラインが届いて、時間があるなら新宿まで来て欲しいとのこと。
夜勤の現場は神奈川だったので画家さんは車で行くとは言っていたけど、本当に車で行くのかも分からないのである。
僕はガラケーなので画家さんとの連絡はショートメールなのもあり、画家さんからのメールの返信が遅いことにも既読の有無までは知ることはできない。
しかし、Kさんはラインを画家さんに送っても既読にすらならないと心配していた。
なぜなら、画家さんは仕事の休憩中もずっと携帯をいじっているので気が付かない方がおかしいのである。
なんなら仕事中にも携帯をいじる人なので、プライベートならいいけど仕事の関係では業務連絡になるので、返信が翌日に来る間隔だと不安になるのだ。
今回も画家さんからの呼び掛けで仕事に向かうわけで、Kさんは前回の仕事のときは娘のサッカーの応援で不参加だった為、今回が画家さんからの仕事には初めてなので、その連絡が遅いことには驚いていた。
男同士の駆け引きには一線を引かなければならないラインがある。
ナメられたら最後、とことん条件を変更してくる相手もいる。
年齢としては画家さんが41で、Kさんが39で、僕が37なので、ざっくりとした年の差で言うと同世代ではあるのだけれど、中1の時を基準にした年上の感じを出されたら引くしかない部分もある。
新宿に向かう電車の中でKさんに言った。
「これ今日が新宿集合になったってことは、明日からは新宿ですよ」と。
そして新宿に付くと、Kさんが画家さんに電話をした。
画家さんは東口で待っていたらしく僕らは西口に出ちゃったので、どっちがどっちに移動するかだけなのに説明がややこしいやり取りもあったのだけど割愛しますが、とにかく西口の駅前まで画家さんが車で迎えに来てくれるとのこと。
Kさんが心配していたのは画家さんがどんな車でやってくるのかだった。
まさか、ルパン三世のようなオープンカーで迎えに来るんじゃないだろうなと。
画家さんならそれもやりかねないから怖いのだ。
それと画家さんから電話で現場から新宿までの路線を聞かれたKさんは素直に乗り換え経路まで答えたわけだが、それに対して画家さんが言った言葉は「なんだぁ、それなら高円寺まで直接来てくれればよかったのに~」と。
最初の溜池山王での待ち合わせという話は一体何だったのだろうか?(笑)
まぁ画家さんらしいなと。
僕はKさんに言った。
「これで明日の待ち合わせ場所は高円寺で確定ですよ(笑)」と。
これが彼女とのデートの待ち合わせだったら普通は喧嘩になるだろう。
当然ながら画家さんはオラオラ系のイケメンなのでこれが通用する。
歴代の彼女たちが男を作り上げるのだ。
もちろんイケメンと付き合うような女が彼氏の前でどのように振る舞っているかなど知らない。
ただ、その女のせいで、これから数時間後に災難に見舞われることになる。
画家さんと合流して目的地までは画家さんの運転で向かった。
運転する車は“わ”ナンバーのレンタカーなのだが、カーシェアというサービスらしく、タイムズの駐車場に停めてあるカーシェアの車をネットで予約して借りた車は再びタイムズの駐車場に返却するだけなのだ。
従来のガソリン満タン返し等もやらなくていいので都内で車無しで生活する人には便利なサービスだと思った。
車内の音楽はBluetoothで携帯と繋いで画家さんの好みらしい曲が流れていた。
仕事も順調な様子で画家さんにしては珍しく真面目な話を僕たちに語ってくれた。
画家さんの他にも独立した人がいるのだが、その人は“お金”を選んだと。
そして画家さんは“時間”を選んだそうだ。
自分の人生にとって一番必要な物は何かを考えた結果、“お金”を選んだ人は今までよりも忙しくはなったが収入は増えて、時計や車など欲しいものを買って今度は会社を作るらしい。
画家さんは絵を描く時間が欲しかったので、これまでと同じ収入なら月に15日しか働かなくても生活をすることが可能になったと。
収入が増えたから自分の時間を自分で決めて時間を自由に使えるようになったそうだ。
何も考えてなさそうに見える人ほど、人生についてちゃんと考えているんだなと思った。
このようなギャップに女子はイチコロなのだろう。
数時間後にはやっぱり画家さんはアホやな(笑)と安心させられることになったけど。
Kさんは毎日お酒を飲むらしく、お酒を飲まない日なんて十何年ぶりだと言っていた。
僕はお酒は弱くて飲まないのだけど、2人のシラフでのハイテンションを知っているので毎日お酒を飲む理由がよくわからなかった。
目的地に着くと集合場所には懐かしい顔ぶれがあった。
画家さんからは来ないと聞いていたが、画家さんと同じ時期に会社を辞めたビットさんがいたのだ。
ビットコインで儲けたときには画家さんと僕はビットさんの奢りでスナキャバ(スナックみたいなキャバクラ)で八万円を支払ってもらったこともある。
とはいえビットさんは実家がお金持ちなので、不動産はマンションを2棟と山も所有している。
18才でデキ婚した為、若いときほど高収入の建築業界にやってきたそうだ。
上の息子は大学生で下の娘も大きいので子育てはほぼ終わりに近い。
それから画家さん曰く“お金”を選んだ人もいた。
その人も別の班にいた職人さんなのだが、多趣味で凝り性で、その身体にはタトゥーが入っている。
これは誰もまだいまいち理解できないと思うのだが、日本の国民的アニメのキャラクターがタトゥーとして入っているのだ。
もちろんアニメオタクというわけではない。
少年ジャンプ系でもない。
ときわ荘系のキャラクターでもない。
…パン工場系である(笑)
同じ現場で働いていた同世代が集まっていた。
所属する会社によって班や職人としてのカラーは異なるが、格としては僕だけ1つ下になる。
僕の所属する会社はビットさんと画家さんが辞めた会社の下請けになる。
元請けから数えると僕以外は3次会社で僕だけは4次会社になる。
班としてはビットさんと画家さんと同じ班で仕事をしていた。
Kさんも別の3次会社で班も別なのだ。
ドキンさんも同じように別の会社である。
ビットさんと画家さんとドキンさんは独立して一人親方(フリーランス)として職人を続けている。
年齢は画家さんが41で後の三人は同級生だと思う。
どっちにしても僕の立場は下になる。
元請けさんとも合流して、流れで作業が始まった。
単純な作業なのだが、誰が仕切るのかが分からなかった。
顔馴染みの人達以外にも職人が2人いたけど経験値からすると低賃金で修羅場を潜ってきた僕らの方に分があるように思えた。
経験年数や現場で班長を務めていた経歴からしても、ビットさんが仕切るだろうと思っていたがそうではなかった。
ドキンさんが仕切っていた。
それまでに搬入は僕とKさんと画家さんでやっていたのだが、物量も多く運んで並べるだけで腕がパンパンになっていたのだ。
僕たちが運んだ物の梱包バラシをドキンさんが始めていた。
ドキンさんと画家さんとKさんと若い職人でバラシをやっていて、最後まで搬入をしていた僕も加わったのだが、僕はバラシた段ボールを片付けていた。
するとドキンさんは僕に片付けは他にやらせるから配って欲しいと指示を出した。
もちろんずっと搬入をやっていたので配る場所や数はわからない。
ドキンさんは行けばわかるからと言った。
仕方なく地味に重たいやつをいくつか運ぶことにした。
しかし、運ぶ先の導線を塞ぐように若い職人がバラシをやっているのだ。
なるほどなと思った。
ここは組織ではないから独立遊軍の集まりなのだと。
普通に考えればドキンさんが僕と交代して配るのが正解だろう。
バラシは誰でもやれる作業だが、配る場所や数は搬入に参加していないドキンさんやビットさんがやるべきだ。
もしくは僕に配りを指示するのなら導線の確保まで若手に指示するのが頭を張って仕切る者の弁だと思う。
とりあえず最初の配りを終えて戻ると若手が再び導線を塞いでいる。
もう腕はパンパンだし、年下のやつが楽なバラシで、なんで俺が配りなんだと、「ちょっと導線だけ開けてくれる?」と言った。
なるほど、独立遊軍では年功序列のような概念はないのだな。
これでは3次会社の班に所属していたときからチームワークよりも一匹狼的な動きをしていた職人の方が有利になる。
そうか、ここでは職人の腕で居場所を勝ち取るしかないんだなと。
配りもバラシも終わり、各自がそれぞれの配置についた。
あとでKさんから「アニキ最初から飛ばしてなかった?」と言われたが仕方がない。
省エネモードなどクソくらえだと。
こっちには金も時間もねえけど負ける気はさらさらない。
Kさんとのペアでドキンさんを追い抜いた。
しかし、抜いたのはいいが、ドキンさん側のフォローに回って貧乏くじを引いた。
足場板を一枚渡した上での作業になった。
自分が落ちてもダメだし、物を落としてもよろしくない。
仕方なく、ふらつきながら、撤去作業を完了するもドキンさんから言われた。
「そのまま新しいのも着けちゃおうか」と。
ん?と思った。
こっちはドキンさんから撤去だけの指示でずっとやってきたのだ。
取り付けはドキンさんがやっていた作業じゃないか。
なぜ僕は初めての取り付け作業を不安定な足場の上でやるのだ?
こんなもんは社会人あるあるだが、こうやって若手を潰す流儀はよくある。
今こそ全てのパワハラに感謝する。
バラシをやっていれば取り付けの内容も把握できるだろう。
しかし、ひたすら撤去をしながらも取り付け部隊の発するボヤキ声は拾っていた。
穴が違った、色が違った、それらの要点を集約した作業手順書は脳内に完成していた。
とはいえ不安定な足場の上では一度掴んだ物を左手から右手に持ち替えることは物理的に不可能になる。
だが、こちとら下積み10年の職人である、もちろん左手芸もマスターしている。
パーフェクトな作業を見せると、残りの足場作業を全て振られた(笑)
この日のMVPは間違いなく僕だろう。
けれど完全にやり過ぎてしまった。
汗だくで全身はバキバキなのだ。
残りの昼夜昼は体力が持たないだろう。
ただ、男の格付けは負けたら終わりなのだ。
班によってカラーは違うが職人に求められるのは3つ。
速さ、正確さ、美しさ。
これは一匹狼にも必要なスキルだが、組織として動くには統率力や判断力や交渉力や決断力が必要になる。
これだけの若手(業界に若手がいないので、年齢的にはみんな中堅なのだ)が揃うことも滅多にないので、予想以上の出来高を叩くことができた。
僕とKさんは翌日の昼も仕事なので元請けさんが先に帰らせてくれた。
必然的に画家さんも運転手として先に帰った。
これなら二時間くらいは寝れると言うので画家さんの引っ越したマンションに向かった。
ここからおかしな展開になった。