ホトトギスの涙 | 天狗と河童の妖怪漫才

天狗と河童の妖怪漫才

妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

謎の着信があった。



これが非通知での着信ではないのだが、携帯の画面には相手の名前が表示されていないので、自分の携帯に登録をしていない番号からの着信なのである。



携帯の番号が変わったのならば、ショートメールでも連絡は可能だ。



そもそも携帯の番号を変更するなんて、今のご時世そうないと思う。



まぁ仕事上の付き合いだと会社用の携帯の番号しかしらない相手もいるが、そういう相手は親しくなると個人の携帯から掛けてくることもあるのだが、そのような会社が社員に業務用の携帯電話を持たせる“ちゃんとした会社”に勤めるような人は夜遅くに謎の電話を掛けては来ない。



一体、誰なんだ?と。



着信のあった時間帯から考えると、いや、何より怖いのは、その番号が着信履歴に残っていないのだ。



謎の相手からの数秒間の着信が目の前で途切れた瞬間に、すぐさま着信履歴で確認をしても、そこには番号すら残っていないのだ。



だからこちらから折り返すことも不可能である。



これまでにもそういう謎の履歴に残らない着信はたまにはあった記憶はある。



初めて携帯を買ってから番号を変えたことは1度もないので人間関係での問題はないと思う。



知らない番号からの着信で履歴に残っていた場合もあるが、折り返して掛けるとただの間違い電話だったこともある。



着信履歴に残さないで連絡する、そういう裏技でもあるのかな?と思っていたのだ。



謎の相手の候補としてはスマホを複数台持っている人、間違って別の端末から掛けてきた場合には知らない番号になる。



限りなく正解に近い人物が思い当たる。



先週の日曜日に現金で2万円の取っ払いだという仕事を手伝いに行ったのだが、金欠だと言われ、受け取ったのは1万円で、その残りの1万円と交通費は口座に振り込む話になっていたので、それで入金した確認の連絡か、もしくは、月末まで待って欲しいというお願いだろうか?



着信のあった時間帯の夜の9時過ぎに1度あり、それから11時近くにまたあった。



同世代の人間ならばこんな遅い時間に家庭のある人に対して電話をするのはお互いに失礼なので、おそらく電話の相手は僕と同じく既婚者ではないと思う。



それか酔っ払って誤作動なのか、イタズラでもないと思う。



ただ、着信時間はやたら短いのだ。



2回目の着信時間も短くて、これ誰なんだ?と考えてるうちに着信は終了し、そして着信履歴には着信番号も着信時間も、一切何もその形跡は残ってはいないのだった。



翌日は実家に帰る予定なのだが、家族からの連絡とは思えない。



退院した母親から連絡があって、今年はお盆もお彼岸も帰省していないから実家に線香をあげに来るように言われたのだ。



母親が入院したのにお見舞いにすら行かない息子もどうかと思うが、なんというか、叱られたくないのだ。



いい年した大人なのだから怒られたくはないのだ。



怒られるのが嫌なのだ。



とにかく母親から怒られたくないという圧倒的な理由があった。



トラウマなのかわからないが、これは母親の育て方が悪いとしか言いようがない。



本当のことは母親にも言えないのが男の子というもので、そういう美意識に育てたのだから誉められることを望むのも違うのだろう。



あんまり考えないようにするしかない。



怒られてるときは会話の展開を先読みするだけで頭の中が疲れて果てることになる。



もちろん家族のことを否定したり傷付けたくはない。



これが難しいのだ。



母親だからなのか、心の中に土足で踏み込んでくる。



思春期の頃でも部屋のドアをノックしてからドアを開けるまでの時間は短かった。



まぁいいか、眠くなってきたから寝よう。



と、土曜日の夜にブログを書いたままになっていた。



謎の着信の相手は友達で、俺が携帯(ガラケー)の設定をいじったまま、友達はシークレット登録になっていたのだが、携帯が壊れたときに補償サービスで同じ機種の新品携のガラケーになったが、あらゆる設定変更をやるのが面倒だったので、そのままシークレット登録の解除をしていなかったようだ。



土曜日の夜に連絡とは何だろうか?と、考えてはみた。



今日はハロウィンだったのか?と。



あの頃の俺はどうかしていたと今ならそう思うこともあるが、口先だけではなく男が女を守るということは、どうかしていなければどうにもならなかったのではないかと、冷静になれない自分が幼かったのかなと思う。



冷静になれないのはそこから逃げた先の結果や結末を俺が知らないからで、そういうことはバランスよく学習して大人の男になるはずなのだが、そこらへんがガキのまんまここまで来てしまっていたので、そんなイカ臭いもんを浴びせられる女はたまったもんじゃないだろう。



笑いが好きなので、女には笑っていて欲しいのだ。



久し振りに友達に電話を掛けて話をした。



半年ぶりだろうか?



友達の誕生日も祝福するのを忘れていた。



まぁ、向こうから連絡がなければ連絡を取らないルールだから仕方ない。



「どうしたの?」なんていう、男のくせに情けない質問を友達にした。



そんなのは女からはすぐにバレるというのに。



友達は声を聴きたかったからと答えた。



これは俺の声が聴きたいというか、俺の声帯が奏でる音が好きなのだろう。



俺の声は低いのだ。



声が籠っていて聞き取りにくいと言われることもあるので、仕事中に説明するときや、休憩中の会話でも高い声を意識して出している。



電話だとそこまで高い声を必要としないので、いい感じの“いい声”なんだと思う。



兄貴夫婦がオーストラリアに新婚旅行へ出掛けるときに、兄貴が空港から電話を掛けてきたことがあった。



飛行機が墜落するかもしれないので最後の会話になるかもしれないみたいな、海外では何があるかもわからないので、もしもの時には嫁のことを頼むと言われた。



そして兄嫁とも電話で話すことになり、何を話せばいいのかもわからなかったが、兄嫁から第一声で言われたのは「うわぁ、声がエロいですね」と。



当時は兄嫁も若かったのもある。



甥っ子が産まれてからは母親として頑張ってて、それには本当に頭が下がる。



兄嫁もキャラは濃いのだが、ああ見えて繊細なんだなと思うことがあった。



今回、久し振りに田舎に帰ったのだが、怒られたくないから起きたのは昼過ぎだった。



電車の乗り換えもボーッとしてたら通り過ぎていた。



田舎では電車の1本を逃すことが致命的で、実家に着いたのは夕方の4時過ぎだった。



翌日は仕事なのにである。



でも昼過ぎまで寝たから大丈夫なんだけど。



そんで実家には甥っ子と兄貴が遊びに来てて、実家の近所に住んでるからそれはおかしくないけど、日曜日の夕方4時過ぎに弟が実家に帰って来るのはこちらに問題がある。



そのような次男坊に育てた母親に問題があるようにも思うが、流れでこうなったのだから仕方ない。



そこに兄嫁もやって来て、もちろん義理の弟の存在に驚いてはいたが、今夜は十三夜だから、けんちん汁を作ると言うのだ。



こういう女子力というか、地球で遊んでる感覚というか、地球と月のそういうやつで夕飯を決めるノリが単純に面白いと思った。



そんで夕飯まで甥っ子と遊んでいた。



200円で買ったというレール付の機関車のオモチャで遊んだ。



単1電池を2本機関車の車体に入れると走るのだが、古いのでうまく走らない。



ただ、走りながら機関車から単1電池が飛び出て止まると甥っ子は笑った。



「出ちゃう」と言う言葉にハマったのか、単1電池が飛び出して機関車が止まるたびに「出ちゃった」と言うと、甥っ子は爆笑していた。



この手の面白さは万国共通なので、出発進行直後に「出ちゃった」とか、甥っ子のテンションに合わせて「出ちゃった」に緩急を付けて単1電池を出すだけで僕も笑えた。



とにかく甥っ子は狂ったように爆笑していた。



そこへ、料理をしていた兄嫁がやってきた。



そしてなぜか、鼻をすすっているのだ。



タマネギでも微塵切りにしたのか、隣で顔を真っ赤にして号泣しているのだった。



兄嫁とはいえ泣いてる女の顔を見るのは好きではない。



すると兄嫁は泣きながら言った。



「疲れてるのに遊んでくれて、ありがとうございます」と。



甥っ子と遊んでいるだけなのに義理の姉から泣きながら感謝されるとは思わなかった。



よくわからないけど子育てってのは大変なんだなと思った。



仕事で疲れてるとはいえ、昼過ぎまで寝てたので、それに乗り換えも間違えて夕方の4時過ぎに実家にやってきたので、そこまで疲れてはなかったのである。



なにより、甥っ子と遊んでいる間に夕飯が出来上がるということが独身男からすればミラクルでしかない。



夕飯を食べることになったときに、甥っ子はまだ遊びたかったのかビニール製のボールを食卓に投げ付けたのだった。



すぐさま兄嫁が甥っ子を連れて奥の部屋へと向かった。



躾というかダメなことを説明しているのだろう。



うちの母親が言うには、甥っ子はこんなことをしたことなかったと。



甥っ子は遊んでたからテンションが上がってて、それでボールを投げたらそれがたまたま食卓に当たっただけで、そこまで悪いとか甥っ子は考えてないと思う。



兄嫁としては複雑だろうけど、これから幼稚園に預けるとなると社会性が必要になるのでそれは心配になるのかもしれない。



しばらくして奥の部屋から飛び出してきた甥っ子は元気よく「ごめんなさーい」と笑って謝っていた。



兄嫁の顔はまた泣いているようだったが、あまり見ないようにした。



愛する息子を叱りたくはなくても叱らなくてはならない母親としての辛さもきっとあるのだろう。



その原因は甥っ子を遊ばせ過ぎた俺にあるのだ。



そして俺は37才でも怒られたくないと思ってる。



そんな自分が怖いと思った。



友達からも電話で怒られた。



イカれた彼女からもメールで怒られた。



もう勘弁して欲しいと思った。



泣いてる兄嫁に対して何も言えなかった。



涙の答えあわせをするくらいなら正解などなくて構わない。



俺は怒られたくない。