忘れてはいけないこと | 天狗と河童の妖怪漫才

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笑える下ネタ満載……の筈です。

今回の西日本での豪雨の被害について感じたこと。



自分は建設業に携わる職人をしているです。



主に都内で仕事をしているので、工法としては最先端の品質であり、定められた基準や法規を各分野の職人たちが設計の検査に合格することが実質的な納期でもある。



耐震検査や消防検査というのは地震や火災といった災害時に、人命を守る目的で過去の犠牲から法的に基準が定められている。



避難導線も収容人数によっては誘導するルートを2つに分けるなど、煙や炎から安全に避難する為に必要な時間や災害時の心理的な状況までを想定した設計になっている。



これらの安全や安心に対するコストというのは、法律で定めなければ誰も厳守することはないと思う。



しかし水害についてはあまりにも無防備なことに対して、自然の力には勝てない、という言葉は的確ではないと感じた。



ハザードマップで河川が氾濫したら危険だと予測されたいた地域が実際にそのまま被災していたのだ。



災害を防ぐだけの建築技術は日本にある。



ハザードマップとして被害を予測することも出来ていたのだ。



人災としか思えない。



豪雨の音で避難をアナウンスする防災放送が聞こえなかったと。



夜間の豪雨で避難が困難だったと。



ハザードマップに対する防災対策の予算が財政難だったとしても、そんな行政ってありえないだろ。



公務員にそこまでの想像力や責任感を求めても仕方ないとしても、犠牲になるのはいつも現場にいる末端の人間じゃないか。



君の名は。の映画で、災害が来ることを呼び掛けるシーンがあるけど、誰もそれを信じようとはしなかった。



あれは隕石だったけど、今回のはハザードマップで予言をした通りの結末になったのだ。



本当に人命が最優先なのだろうか?



ガラケーにしろ、スマホにしろ、端末の防水性を国が法律で規制しなければ水害では救助すら遅れてしまう。



充電時間が命を繋ぐ時間だとするならばガラケーこそ最先端の通信を目的とした道具だったのだ。



3・11の東日本大震災のときにもガラケーは余震の度に警報アラームが鳴っていた。



技術的にはそれが可能だったことになる。



警報アラームが鳴ると高所での作業を中断して余震に備えることが出来たのだ。



テクノロジーが人命を助けることもある。



しかし、その技術があるのにソフトバンクの携帯だけは警報アラームの機能はなかったのだ。



孫正義がどんなに未来予測を偉そうに語ろうとも、地震で人が死ぬ想像力はまるでなかったのだ。



だけどユーザーに牛丼を奢ってくれる優しいおっさんでもある。



世の中がおかしい。



2020年の東京オリンピックで世界に日本の復興をアピールすると。



ずっと災害が続いている。



被災地は増え続けている。



アベノミクスやオリンピック需要で建設業は恩恵を受けると言われていた。



しかし末端の職人には何の変化もないのが現実なのだ。



お金の流れが上で止まっているので貧困層は景気の回復を実感しない。



豊洲市場の汚染水にしても対策の工事が完了したようだが、水浸しの地下に生コンを流しただけ。



はっきり言うと気持ちが悪い。



災害特需とかそういうのも気持ちが悪い。



不動産屋にもハザードマップの物件を売買する行為は殺人罪に値すると法律で規制するべきである。



防げるのに防げない理由が情報と金というのは、あんまりな話だ。



人工知能やら仮想通貨やらデジタル化された便利な世の中とは程遠い。



情報を握ってる連中が金も握ってるんだから、本当はどうにかなったのではないだろうか。



ハザードマップのエリアに勤務する警察官や消防隊員は初めから命の危険に晒されていたことになる。



建設現場で働く者は危険に対する感受性を高めるように教育される。



自分の身は自分で守る、もしくは危険を予知する、お互いに声を掛け合う。



それでも死ぬリスクは常にある。



建設現場でいう立ち入り禁止エリアがハザードマップだとすると、こんなことはありえないことなのだ。



行政が許されるのはハザードマップを公開して、そこに住む住民に警告したことを証明する書類がなければ話にならない。



頭の整理が追い付かなくなる。



国内の安全な土地を奪い合うこと。



国内でお金を奪い合うこと。



他国からそれらを奪うことが正しいことなのかさえわからない。



経済というものの仕組みがわからない。



少子化になるのも納得する。



我が子が世界の誰かが手にする筈だった物を奪うことが幸せになるのだろうかと。



それでも助け合って共存していきたいと願う。