友達からの電話7 | 天狗と河童の妖怪漫才

天狗と河童の妖怪漫才

妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

糞ガラケーめが!



充電がなくなったら電源を落としやがった。



書いてる途中のブログも消えたわ。



ちなみに、このような状況の相手に対して(ざまぁw)と笑うような女は嫌いである。



想像力のない女はブスでしかない。



そういう女の肛門にはティッシュがついてる。



男の子はサンタクロースよりも、“女の子はうんこをしない伝説”を信じている。



それをだな、便秘で苦しんでるのにとか生まれつき腸がどうのこうのだとか言うのは、サンタクロースを信じてる男の子に対して、



「ファミコンのカセットが欲しいとは書いてあったけど、ファミリーコンピューターが欲しいとはどこにも書いてなかった」



「ファミリーコンピューターは靴下に入るサイズじゃないからサンタさんが持って帰った」



「てめえ、誰の金で買ったと思ってんだ!!」



友達の家のサンタクロースがクソだったとしても、それなら一緒に外で遊べばいいのだ。



そういうやつを仲間外れにするような、仲間外れにすることが遊びになってる連中や、それが結束力や団結力みたいな大人が喜ぶ言葉を作文に並べるような、金の力で教室に革命を起こそうとするヤツもそれに従う連中も大嫌いだったし、そういうのを笑ってる女子はとにかくブスだった。



大人や担任の先生さえ騙せばチョロいという、出来上がった世界でどうやってうまくやるかだけの考えってのは納得という言葉よりも純粋に面白くなかった。



そんなわけで仲間を連れて学校を抜け出すという冒険の旅に出たわけだが、小学5年生だった3人の大冒険は教育委員会を捲き込む大問題になったわけです。



勉強やスポーツとはジャンルは違うわけですけど、少なくとも当時のダメな小学生の中でなら関東選抜には選ばれるだけの問題児だったわけですね。



これがやっかいなのは子供なので根っ子の部分が腐ってるやつだと認識されてしまうケースではないでしょうか?



不良的な表現での失敗談に対して高校デビューのような救済処置としての反抗期やモテたくてという、誰もが共感できるサイズの言い訳に昇華することの出来ない人生になってしまうわけです。



お前は子供の頃から頭がおかしいと。



真実は俺の中にある。



リーダーらしきその少年は想像力の銃弾を大人たちから浴びることになるが、真夜中の騒がしい職員室を通り抜け、校長室のソファーに座らされても、それらが少年の心に命中することはなかった。



まれに顔をかすめる銃弾の火薬の匂いとは、想像力とは、真実とは、それは子供の心を忘れていない大人だけが所持している優しさという名の銃弾だった。



そういうわけで、(携帯の充電が無くなっちゃうことも忘れるくらい夢中になってたんだね♪)という、キュンキュンするような想像力に溢れる女の子が大好きです。



それならば、僕も真実を語るとしよう。



ブログを書く前に携帯のエロ動画に夢中になってて、それで充電をほぼ消費していたのが原因である。



この時点でなら、僕はぶん殴って貰っても構わない。



初対面だとしても、それはぶん殴って貰って構わない。



ただ、その前に、1回、キュンキュンを挟んでからじゃないと嫌です。



想像力のない者に真実は語れない。



(そんなエロ動画なんかより私に夢中になってにゃん(=^ェ^=)♪)という、想像力の着地を越えてくるようなエロい女の子が現れたら、こんな糞ブログは一撃で消す(笑)



まぁ、とにかく改めて友達とそれからのことを書くわけだけど。



なんだろな、この年になって友達が出来るとは思ってもみなかったわけでさ。



友達になって欲しいと言う言葉すら、口に出すのは子供の頃とは何かが違うんだろうね。



急にそんなこと言われても困るだろうし、それを上手に断るのが大人の対応なんだろうけど。



ようするに僕らはみんな大人になったのだ。



だけど友達は、そんな困らせるような俺と友達になってくれたわけでね。



そういう点ではなかなかイカしたやつだと思う。



例えるなら、仲良くなった友達が急に転校して行ってしまった、あの頃だけのそんな感じ。



手紙書くよって結局は書かないというね(笑)



それでも確かに友達だったわけでさ。



あの頃の友達と過ごした時間というのは何かしら今の自分を形成している。



今の時代なら携帯があるからすぐに連絡を取れるからそんなようなことにもならないのかもしれないけどね。



僕らの少年時代とは圧倒的に無力だったわけでね。



そのような感情をこの年になって再び抱えているわけだ。



それはつまり、大人になった今でもあの頃と同じように自分が無力だということを感じているからなのかもしれない。