ギアチェン大失敗の巻 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

ギアを上げっぱなしのまま生活をしていたのである。
ヽ(*´▽)ノ♪



結論から言うと…、これが大失敗だった。



風邪を引いてしまったのである。



(=_=;)



ギア上げっぱなしで生活してたら
鼻水垂れっぱなしになってしまったのだ。



(;´д⊂)



何事もほどほどにしないといけませんね。



毎日が楽しければそれだけで幸せなんですけどね。



どこまで自分は耐えられるんだろうかと、色んなものを失って来たわけですよ。



僕は21歳のときに貯金は300万を越えてたんですね。



今の生活では考えられないことですけど(笑)



成人式のスーツやネクタイもグッチでベルトやコートはフェンディと全てブランド物を着ていたわけで、時計もオメガのシーマスターの新作のブルーフェイスをつけてたわけです。



ロレックスも買えるけど年齢的に似合わないからまだいいかと、時計や車だけの雑誌を買うような感じだったのよ。



年齢に対して所得が多すぎるからと区役所から税金を特別徴収されてたくらいなんですよ。



少しの距離もタクシーを使って、外食するときも金額は見てませんでした。



正月には両親と爺ちゃん婆ちゃん、母方の婆ちゃんにお年玉を一万円ずつあげていました。



お年玉だけで5万を何の迷いもなく渡せていたわけですね。



高卒で就職してからなので、10代の若者としては立派な青年だったと自分でも思います。



職場の人たちにも恵まれて夏は海に行ったり、冬はスノーボードをやって板からウェアと一式揃えてました。



夏休みには田舎に帰ると地元の友達が集まってくれたり普通に楽しい日々を過ごしていたわけです。



イカれた彼女と付き合うまではね。



全てを失ったわけです(笑)



だからこそ耐えられている部分もあったと思うんですよ。



友達がいなくなっても友達に恵まれていた時代はありましたし、お金や仕事も充実したプライベートの生活を体験しているのでそれらを失ってもそこからの距離感だけは把握できるわけです。



彼女だけはハズレしか知らないのよ。



イカれてない普通の女の子と付き合いたい。



これもまた他の女の子を知らないから耐えられてしまってると思うのよ。



距離感が掴めないから自分がどれぐらい不幸なのかがわからないというかさ。



たぶん違うんだろうなって感覚だけは何となくわかるのよ。



真面目な大人の話し合いが出来ない人だからね。



安室奈美恵が引退するって話を彼女から聞いて知ったわけだけど、その感想がイカれてるわけよ。



お前は安室奈美恵から何かされたのか?ってくらい歪んだ感受性なのよ。



彼女の父親は安室奈美恵の曲を車で聞いたり浜崎あゆみのポスターを部屋に貼ったりするような気色悪いオヤジだったから娘としては嫉妬してたんだとは思うんだけどね。



父親の理想の女と自分が違うからムカつくんだと思うのよ。



アーティストの表面的な部分、容姿とかファッションが好きだから、引退に対しても表面的な感情しか浮かばないと思うわけ。



歌詞の世界観とか表現力が好きだとしたら、そっちで育まれた感情で引退を感じると思うのよ。



毒を吐くのは誰でも出来るけど、そういうのをちゃんと理解した相手にしか言わないからね。



それをちゃんとわかった上で受け止めてくれる相手だったら毒も吐けるわけでさ。



子供の頃にジャンプとかマガジンやサンデーを兄貴が買ってたから毎週読んでたのよ。



でも全ての漫画を読んでたわけじゃなくて、好きなやつだけ読むわけじゃん。



でね、読んでない漫画でもさ、ずっと連載してるのは知ってるわけ。



それで読んでなかった漫画が最終回になって、ページの最後に“長い間ご愛読ありがとうございました”って書いてあるのを読むと変な感情が湧いてきた感覚は覚えてるわけ。



読んでないけど、物語が終わることに対する寂しさというか切なさというかね。



物語の終わりと漫画家さんに対してのと両方の気持ちがあるわけじゃん。



その感覚だとさ、芸能としての国民的スーパースター安室奈美恵の物語が終わるってやつと、安室奈美恵が引退するってよ、の感覚は感慨深いと思うのよ。



特別に好きだったわけじゃないけど頑張ってたのは知ってるわけでね。



だから安室奈美恵にしても浜崎あゆみにしても不幸になるのは嫌なのよ。



そんで下の世代のやつらがあの時代を知らないくせに文句を言うのも許せないのよ。



間違いなく売れてたからね。



スポーツ選手にしても同世代が引退すると時代の終わりを感じるから悲しいのもある。



そういうことから自分の老いを感じることは感覚としては新しいことなのかなとも思う。



それが焦りなのだとしたら希望はあるのかもしれない。