天才の頭の中 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

先日、遂に、やっと、念願だった、アルチンボルド展に行ってきたわけなんですよ!!



いや~正直、もう無理だと思ってた。



てかさ、あれから長くないかい?



僕が前に行きたいって言ってから1ヶ月以上も経ってるからね。



場所が美術館だからね。



展覧会だからね。



男は誘えないよ。



画家の名前の中に“チン”が入ってる展覧会に男と一緒には行けないよ。



え?一人で?



一人で行けと?



いや、それはキツいでしょ、年齢的にも男一人だと余計にキツいもんがある。



30才を過ぎた男が一人で美術館をウロウロするのはヘタしたら職務質問されるレベルの怪しさがある。



家族連れとか女性が一人で行くのなら趣味だと理解されても、男の場合だと許される階級の人しかダメな気がする。



高卒の肉体労働者で独身ってだけで不審者扱いされそうなイメージがある。



2回くらい生まれ変わってからじゃないと、うん、来世ではまだ無理なんじゃないかと。



いや、まだ、ちゃんと人間に生まれ変われるっていう保証も今のところないよ。



ちゃんと今の人生を生きないと来世は人間になれないよ。



そんなわけで仕方なく、イカれた彼女を誘ったわけであります。



普通さ、彼氏が行きたいって言った場所に付き合うくらいは嫌じゃなくない?



最初からこうなのよ。



行きたくないもんは行かないやつなのよ。



イカれとるからね。



ハリーポッターの一番最初の映画が公開された時にも誘ったけど断られたのよ。



付き合い始めたくらいのときだったのかな?



まさか彼女に映画の誘いを断られるというね。



ありえないよね。



ハリーポッターだからね。



これは間違いなくシリーズで続くから最初だけでも映画館で観とくべきだと言ったけど、平気で断るのよ。



その時に僕は初めて一人で映画を観に行ったからね。



ハリーポッターも男と一緒には観たくないジャンルだからね。



続編は一切観てないけど。



魔法使いの話なのにラストシーンで敵を倒したのが魔法じゃなくて“素手”だったからね。



まさかの素手かよと。



こういうのも一人だと帰り道で誰とも共感できない寂しさがあるのよね。



一人で映画館に行ったのはこの時のハリーポッターと、もう1回だけある。



会社を急に辞めることになって、出社しないでそのまま新宿の映画館に行ったときね。



出張に行く当日の朝でね。



青森までの新幹線のチケットもホテルの予約も全て決まってる当日の朝に彼女が暴れ出しましてね。



その時の会社の社長に電話して、もう無理ですと、また迷惑を掛けるので辞めますと。



謝って許されるもんじゃないけどさ。



社長にはそういうことも前から相談してあって、その会社の社長は女の社長だったから女のそういうイカれた側面にも理解はしてくれてたけどね。



自分のプライベートのことで会社に迷惑を掛けるってありえないことじゃん。



そのまま会社にも行かずに新宿をウロウロして、気分転換というか考えても仕方ないから何かに没頭したくて映画館に入ったのよ。



昼間の映画館って驚くほど空いてたけど、その情報を知ってることは自分がそれだけ社会から外れてる気がしてさ。



こういう時に観た映画で人生観が変わるかも知れないじゃん。



どんな作品と出会うかで人間って変わるかもしれないからさ。



本当に変わるべきはイカれてるやつなんだけど。



何を観ようかと。



たまたま北野武の映画がやってたから、コレだなと。



タイトルがTAKESHIS'(読み方の正解はわからない)



北野武の日常と夢の中みたいな話で、現実の世界と夢の世界とがグルグルした内容で、観終わったあとも余計に気分が晴れないというね。



なんでこれなんだと(笑)



一人で観に行くのは作品によってはダメなやつあるなと。



会社を辞めたときの解放感ってのが、どうなってもいいやみたいなヤケクソになる感じでもあったからね。



それから会社に行って社長と色々と話をして、部長にも挨拶してね。



そんで夜になってから職場の人に一人ずつ電話を掛けて急に辞める話をしてさ。



みんな優しいのよ。



去る者にかける言葉ってこんなにも優しいんだなって思ったね。



急だったから僕よりも後から入社した年上の人とかにも電話したの、そこまで親しくなってないけど迷惑は掛けるから電話したんだけどね。



ここのリアルな言葉ってなかなか聞けないと思うのよ。



急に会社を辞めるようなさ、もう会わないやつに伝える言葉ってのがあるんだね。



これからの人生についてみんな考えを語ってくれるのよ。



電話ってメールよりも行動としては重いからさ。



でもね、みんな最後にはこう言うのよ。



「電話くれてありがとう」ってさ。



急に辞めるのも迷惑掛けるのも僕なんだけど、それをちゃんと話すことで“ありがとう”って言ってくれるわけ。



僕が急に辞めることになってそれで電話するのも本当は嫌だったろうなってことも感じてくれてるんだと思うのよ。



人間って温かいなぁて思ってさ。



こういう人間の温かみを知らないから彼女はイカれてるわけでね。



当時はまだ社畜だとか言ってる段階の薄っぺらい女だったわけです。



基本的に男は仕事として何かが出来るって段階にならないといけないわけで、20代はそれだけで終わるからね。



仕事の全てが経験値だから遊んでる暇なんか本当はないわけよ。



だから恋愛する暇もないわけでね。



まぁね、そんなわけで、アルチンボルト展に行ってきたわけです。



どんなわけだよ(笑)



初めて自分から美術館に行くわけでさ。



NHKで特集をやってるのを途中から観て、これは行かない理由がないなと。



でさ、こういう展覧会に集まる女性の品のあること。



僕が知らない女ってまだまだ世の中にいるんだなって思ったね。



イカれてる女も頭の中は何を考えてるかよくわからんのよ。



僕が行きたい場所で、僕が誘ったわけで、つまり僕が主役じゃないですか。



なのに、それなのに、チケット買って中に入ってすぐに喧嘩になったのよ。



入口の入ったすぐのところでイヤホンを貸し出ししてたのよ。



僕がそれを借りようとしたらさ、ササッて壁を背にするように僕から離れたの、イカれてるやつが。



なんなの?って、なるじゃん。



そのイヤホンってのは、絵画の横に番号が書いてあって、その同じ番号をイヤホンの本体に入力すると、その絵画についての情報が聞けるやつなのよ。



絵画の知識とか歴史的な背景とかイヤホンを聞くことで視点が増えるわけですよ。



そっちの方が得じゃん。



食べ物でも同じで、店員がこうした方が美味しい言うなら試してみるじゃん。



それをだな、イカれてるやつは「そんなのつけてる人、誰もいないよ」って言うわけ。



はあ?と。



こんだけ長いこと付き合ってきてまだ俺という人間がわからんのかと。



イヤホンが置いてあったら、とりあえず聞くだろ!!と。



なんで止めるんだと。



イヤホンに毒が塗ってあるならわかるよ。



耳から血を流して死ぬから、それなら止めてくれて構わない。



それで展覧会が中止になって、みんなに迷惑が掛かるのなら止めて欲しい。



違うでしょ。



芸術作品ってみんなと違うから価値があるんでしょ。



誰もつけてないからイヤホンを借りないってどういうことなんだと。



借りたあとでもイヤホンをつけない選択は可能なわけだ。



だけど、後からイヤホンを借りる選択は不可能になるよね。



みんながイヤホンをつけてたら良くて、誰もつけてないから止めるのか?



というか、イヤホンを“そんなの”って表現で強めに否定する根拠が“つけてる人、誰もいないよ”ってなんなんだと。



ディズニーランド行ったら、とりあえずミッキーの耳を頭につけるじゃん。



旅館に着いたらとりあえず部屋の設備を全部いじり倒すじゃん。



イヤホン置いてあったら、とりあえず聞くじゃん。



なんでこいつは俺の行動力を止めようとするのか理解ができないのよ。



もうイライラしちゃってさ。



入ってすぐにアルチボルトメーカーっていう、自分の顔を読み取ってアルチンボルトみたいに野菜とかで寄せ絵を作るAIもあったけど、並ばなかったのよ。



イライラしてたからね。



そのAIもさ、アルチンボルトの凄さに繋がるわけよ。



16世紀の画家の頭の中が500年後のテクノロジーで再現出来るかどうかってことだよね。



人工知能と芸術家の戦いを最初にやってるわけよ。



入口にそこの列があることで、そのあとの展覧会での人の流れも同時に作られてるわけですよ。



でもイライラしてるからさ、そんな自分の顔が野菜になっても面白くないじゃん。



で、そこには並ばないで先に進んだわけだけど、イライラしてる感情のまま作品を観てもダメなのよ。



これNHKで観たやつじゃん っていう最低なツッコミを入れてる自分がいるわけ。



これはいかんと、入口の近くあったトイレに向かって間を外したわけですよ。



鏡で自分の顔を見てさ、冷静に感情をコントロールするわけよ。



いつもこうなるからね。



で、再び戻ってさ、イカれてるやつどっか行ったなと。



やっぱこういうのは一人で観るもんだなと。



そしたら遠くの方にイカれてるやついたの。



普通さ、わたし言い過ぎちゃったかな?って反省したような顔をするじゃない。



それがねえの。



普通の顔してさ、みんなと一緒に並んでやがんの。



こいつやっぱどうかしてんなと。



その感性じゃ観ても意味ないなと。



ダ・ヴィンチの作品も展示されてるわけ、アルチンボルトはダ・ヴィンチから影響を受けた画家だからね。



同時期に活躍してた画家の絵とか、アルチンボルトに影響を受けた画家の絵も展示してあったけど、天才との違いってのそれでよくわかるわけ。




写真みたいに実物そっくりに絵を描ける画家ってのは16世紀の時点で大勢いたことがわかるのよ。



それから100年後の画家の絵もあったけど技術的には同じわけ。



ようするに、写真みたくそっくりに絵を描ける画家ってだけじゃ売れないわけよ。



その技術+アイディアが重要なんだろなと。



花とか野菜とか魚類という縛りで人間の横顔を描いてるわけですけど、縮尺は実物とは違うわけですね。



この構成力が天才なんですよ。



もちろんそれを真似してる画家の絵もあるんですけど、本家を超えられてないわけでね。



本家が四季と四大元素をテーマにしたやつをやっちゃってるから勝てないわけですよ。



いつの時代も下ネタに逃げるやつとかいるんですね(笑)



同じクラスなら友達になってたと思うけど。



男性器だけで顔を描いた皿とかあってね。



女性客ばっか集まってて逆に恥ずかしくなったね。



アートだとエログロも許されるみたいなね。



タイトルとかも当時の流行ってた言葉みたいなのが多いのよ。



アルチンボルトがガチで描いたやつは横顔の作品が多いわけで、それを真似したやつが正面から描いた作品は酷かった。



正面からの人物像は左右対象だからアイディアを2つ出さなきゃいけないわけで、プチトマトの首飾りとか実現可能なことを描いてたり、胸をレモンにするのはいいとしても、レモンの先端部分が乳首なんだけど、片方のレモンは先端を切ってその中身を詳細に描いてて、絵としてのバランスを重視するあまり表現としては破綻してたね。



つづく