さすがにもう観とかないとヤバいなと。
で、観てきましたよ。
『君の名は。』
これだけ興行的にヒットしてるのに僕の中ではネタバレをしてなかったのも良かったですね。
職場では全く話題にもならないのよ。
この映画の何がいいのか?と。
なので、これから書く内容はネタバレするのでまだ観てない方は読まない方がいいと思います。
まず感想としては、とにかく映像が綺麗だった。
なんつーの?
ラッセン?(笑)
普通にラッセンが好っき~って感じのキラキラ感なんですよ。
ラッセンは海とか自然の美しい絵ですけど、その感覚で都会のコンクリートジャングルを描いたような映像といいますか。
たぶん、僕らが海とか自然に対して美しさや感動を覚えるように、田舎に住んでる人が都会に対して抱く憧れやキラキラ感を見事に表現してるんですね。
僕も上京してきた頃は本当にキラキラしてて、匂いもワクワク感もハンパなかったのを思い出しました。
新宿の街並みもそのまんまでしたね。
僕は学生時代はクソみたいな盆地の田舎に住む側だったので、そういう部分で共感するのはありました。
お金を払ってスクリーンで見るだけの価値のある絵というか、映像というか、音楽もよかったですね。
僕は高校生の時にタイタニックを映画館で観ましたけど、あの迫力はスクリーンじゃないと味わえない映画体験なんですよ。
当時は田舎だから映画館も遠くてね、内容的にも男友達と観るのは違うし、だけど彼女もいないし、でもこれは劇場で観とかないと後悔するだろうなと。
それで仕方なく親父に頼んで軽トラで映画館に向かいましたからね。
最前列の席で親父と並んでタイタニックを観たんですよ。
青春としては最低なんですけどね。
これ俺の思い描いてた青春じゃねえなと。
君の名は。が大ヒットしてる理由がわかったよね。
これね、デートで観る映画として最適なんですよ。
アニメだけどダサくないのよ。
ちゃんとしてるのよね。
内容もそんなに難解ってわけでもないし、とにかく映像も音楽もキラッキラしてるからさ。
学生時代に戻りたかったもんね。
俺がいま高校生だったら彼女と観たい映画だね。
こういう映画を若い時に、ちゃんと観ておけば人生を踏み外したりしなかったろうね。
30過ぎたババアと一緒に観る映画じゃねえよ。
女は年取ると心が汚れてくるからダメなのよ。
映画の感想だけはウソがつけないからね。
感受性のリトマス試験紙みたいなもんですよ。
さすがに30過ぎたら全部揃うでしょ?
若い時は尖ってるから1つの見方しかできないけどさ。
大人になる過程で自分のだけじゃなく他人の感情のピースも集めていくわけじゃないですか。
自分にはなかった優しさとか勇気とか怒りとか悲しみ、色んなピースを集めて大人になっていくじゃないですか。
まず社会に出た時に自分の中で完成してたパズルをバーンって、ばらばらにされるところから始まるわけですよ。
そっから落ちてるピースを拾い集めていくわけですけど。
自分のピースだけじゃないからなかなか完成しなかったりするんだけど。
それが大体、30過ぎた辺りでピースが出揃うじゃないですか。
これを組み合わせたら前よりも、もっと巨大なパズルが完成するなってわかるんですよ。
出会いってのは、その相手からピースを貰えるかどうかだと思うんですよ。
自分じゃ気付かないこともあるからね。
良くも悪くもさ。
負のピースばっかり集めちゃうと嫌になるけど、それも含めないと完成しないからね。
だから負のピースは大体集まったらもういらないのよ。
良いところと悪いところの2つのピースを持ってる人もいるから、悪いピースだけの人とは深くは関わらない。
そうやって自分だけのパズル完成させるんだ。
その出会いってのは人間だけじゃなくて、ペットとか動物だったり、詩や小説だったり、音楽だったり、何気なく読んだブログからもピースを貰えると思う。
移り行く季節の中でそれらを手にすることもあるだろう。
ほんの僅かな時の流れのなかで、ふわりと漂う小さなピース。
黄昏時のようにね。
映画との出会いもある。
どんな形のピースをみつけるかは人それぞれだけどね。
あのとき見た景色、あの時の感情、あの場所に、また探しにいけるかもしれない。
あの温もりを今も求めている。
映画を観るってのは特別な空間を共有すること。
壮大な宇宙のパズルの中で、自分自身が重要なピースなんだよ。
あなたは世界に必要なんですよ。
離れているようで全ては繋がっているんですよ。
あなたという形のピースが必要なんです。
なにを感じるかなんですよ。
それを言語化して表現して伝えるのは難しいよ。
まだ見たことのない形の絶望があると思う。
感じたことのない希望のピースが、この世のどこかに転がっているのかもしれない。
どんなにブスでデブで性格の悪い女でも、キラッキラに輝くピースを隠し持っている。
それを俺にくれよと。
スクリーンに写し出された煌めく映像とはそれだけが作品ではない。
その映像をキラッキラした眼差しで眺めている横顔とは映画に匹敵する美しさなのだ。
それこそ名前も知らないたまたま隣に居合わせたババアでも、その感じている横顔は美しいのである。
それも含めて映画であると。
まるで夢の中にいるようで、その記憶も映画を見終わると夢から覚めた時のように輪郭がぼやけて消えてしまう。
そこが実に素晴らしい。
ちなみに一緒に観に行ったババアの感想がこちら…
「なんか“ポニョ”みたい」
はあ?
このババア正気か?
俺はババアが若い時から売れてる作品は全てチェックするようにアドバイスしてきたのよ。
映画にしろ音楽にしろ、それは感性を磨く意味もあるけど説明を省くことにも繋がると。
あらゆるジャンルのパターンが出尽くした中では、既に発表されてる作品のラインをなぞらざるをえないこともある。
それがオマージュなのか、パロディなのか、そこのフックは避けては通れない意識が働くのだから、それは意識する側に配慮するべきだと。
そこを逆手に取る側でなければ面白くない。
ポニョみたいって何なんだよ。
よくそれで監督とかに取材したり作家の先生と一緒に仕事できるよな。
その業界では有名な人とツイキャスとかよくわかんねえのやってるみたいだけど面白いとは思えない。
視聴者みたいのが300人くらいいるみたいだけど俺が喋った方が絶対面白いだろ。
作品の感想って、新しさとか誰も見たことない新鮮さの発見じゃないの?
それも記憶によるけどさ。
あの流星を見て思い出したことがあった。
今年の夏に、俺は友達と流星を見たのだ。
友達は流星を見れたのは俺のおかげだと感謝していたけど、さすがに星を降らせるなんてそんな力は俺にはない。
たまたま、だけど奇跡は起きた。
綺麗事ばっか並べてたらホントに綺麗な流れ星が降ってきた。
だけど、結局、現実には敵わなかった。
俺は金の力に負けたのだ。