ともだち救出作戦6 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

友達から着信拒否をされたので音信不通になった。



こっちからはどうすることもできなかったのである。



まぁ謝罪のメールに対してすぐに返信しなかった俺が悪いという考え方もあるとは思う。



だけど、俺の感覚からすると、芯を食った会話のやり取りに感じなかったのよ。



そもそも俺は怒ってないわけだからさ。



友達が損をするだけで笑い話になってなかったからね。



で、シカトした翌日の午前中に俺をシカトしたことに対する謝罪と弁解をメールしてきた訳ですよ。



友達からはこれまで午前中にメールなんて1度も来たことがないからね。



その違和感をメールという文章と顔文字に託した謝罪ってのが、なんとなく寝起きの感じが伝わってくるじゃないですか。



こっちは間違ったこと言ってないのにシカトされたもんだから一睡もしてないからね。



俺の話を友達が理解できないことが理解できなかったのよ。



で、寝ないで仕事してる最中にメールが来てもすぐに返信はできないかりね。



つまり、これってのは、“私はシカトしたあなたに対して、その理由と謝罪をしました”という自己完結の押し付けなんですよね。



友達は俺の批判に対して怒ったからシカトという行動で怒りを表現したことになるんです。



シカトという暴力を振るった訳ですよ。



でも、それは悪いことではないのよ。



口喧嘩になるくらいならシカトしようと思ったのかもしれないからね。



じゃあ、俺の話に納得がいかなかったり、ムカついたとしても、その怒りを我慢することが正解かというと、それは不正解じゃないですか。



たぶん、友達は自分の喋った話を聞いた相手が、また別の誰かに喋るということまでは想定していないのだろう。



友達が旦那の体験談で大爆笑したってやつを俺に聞かせてくれたことが前にあった。



だけど、それは同世代の男子からすると間違いなく漫画からパクったネタだったのよ。



仮に違うとしても誤解される内容だと相手がその話を他の人に喋った時に恥ずかしい思いをするじゃないですか。



仕事で知ったかぶりをするやつと一緒な感じになる訳ですよ。



今のはボケなのか?



それともマジなのか?



そうなると真面目に注意をしなきゃいけない危険な人になるんですよ。



無駄にプライドが高かったり、見栄をはったり、カッコつける男ってのは信用できませんからね。



気遣いが1周しちゃってて、もはや嫌味なんですよ。



みんなが笑ってても最後に余計な一言を挟んできて空気を重たくするからね。



だけど、なぜかこういう男が女にはモテるんだな。



一見するといかにも仕事がデキる男のように語るからね。



「仕事中にふざけるな!!」とか注意してくるからね。



「仕事中に笑うなとは言わない、だけど真面目にやる時は真面目にやるの!」



俺と一緒にふざけてたハーフのやつ、35才と34才が直立不動で怒られてる訳ですよ。



なんで怒られたかというと、俺がハーフのやつに「オッケー?」って仕事の確認をしたら、ハーフのやつが『オッケー!ミッケー!!』って返してきたんです。



それで、俺も逆のパターンの時にハーフのやつの『オッケー?』に対して「オッケー!ミッケー!!」と返す流れがあったんですよ。



で、何回かその流れをやってたんですけど、さすがに気になってハーフのやつに「お前、さっきから言ってる『ミッケー!!』って、なに?」と聞いたんですね。



そしたらハーフのやつが『ミッケーマウス!!』って言うのよ。



ああ、ミッキーマウスのことかと。



発音が本格的だったからわからなかったけど「オッケー!ミッキー!!」って、恥ずかしいだろ!と。



ハーフのやつも熊みたいな体型をしてるから、いい大人がミッキー!!なんて大声で言うのはなおさら恥ずかしいと。



それで暫くゲラゲラ二人で笑ってたんですよ。



俺はオッケーとミッケーは韻を踏んでるから意味はわからないけど、カッコいい言葉だと思ってたと。



二人で声を合わせて
「オーケー?」



「ミッケー!!」
『ミッケー!!』
とかやってたからね。



意味がわかったら恥ずかしいと。




やりやがったなと。



それで悪ノリしまして、次からはミッケー!!の時に両手で頭の上に耳を作る動きを加えたんですよ。



真面目なクールな顔をしながらね。



これにはハーフのやつも爆笑しましてね。



それで次の確認作業の時には2人揃って頭の上に両手で耳を作ってダンディーな声で
「ミッケー!!」
『ミッケー!!』
って、やった瞬間に
「仕事中にふざけるな!」
と叱られた訳なんですよ。



いい大人が頭の上に耳を作った状態のまま叱られるというね。



お互いの耳がみるみる萎れていく面白さを噛み殺すのが大変ですからね。


で、説教するのはいいとしてもその人が寸法や計算を間違えて図面とにらめっこして固まってしまう訳ですよ。



はっきり言うと仕事が遅いんですね。



余裕がないんですね。



でも指示されて動くのはプライドが許さないタイプなんですよ。



確実に1つずつ計算すればいいのに1度に3つとかカッコつけて出そうとするのよ。



そうなると間違いも3つになる訳でね。



その内の間違いに2つ気付いても残りの1つから追い出したらまた間違いが増えるというね。



それで一人でイライラしたりね。



最終的には「あぁぁー!俺、頭がバカになった!!」



いや、元からだと。



そういうツッコミすら言えないようになる訳でね。



何の話でしたっけ?



友達の話でしたね。



で、俺からの返信がなかったからと着信拒否をして部屋の合鍵をポストに入れて無言で返すってのは、メールの謝罪そのものが本心じゃなかったということでしょ。



この着信拒否なんかも友達の俺に対する怒りの表現なんですよ。



シカトの上を行ってるわけだからさ。



友達の相手に対する想像力と自己保身のバランスがよくわからんなと。



メールなんて誤解するだけだし、会話だって時間に余裕がなければ話し合いにはならないからね。



面白ければ笑う。



頭に来たら怒る。



相手を叩きのめして終わるか、仲直りして笑うかの違いなのかな?



相手を叩きのめして笑うやつもいるのか(笑)



それで音信不通のまま日曜日になったんですよ。


日曜日だったけど仕事になって、その帰りに吉野家に寄ったんです。



なぜなら友達と日曜日には吉野家に行く約束をしてたからね。



吉野家の牛丼を日曜日に食べるサイクルで食生活をしてましたからね。



友達には手料理を作ってもらってばかりだったので、たまには外食としようと。



そしたら友達が吉野家に行きたいと言ってたのよ。



で、連絡もつかないし、どこで何をしてるかもわからないけど世話にはなったからね。



部屋は綺麗になったし、調理器具とか調味料まで買い揃えてくれたからね。



もちろん手料理もそうだし、とにかく友達には大変だろうけど元気に生きていってもらいたいなと。



で、少し前にテレビで陰膳ってのを学びましてね。



息子だか娘の1人が上京しても実家の家族が夕飯を食べるテーブルには、ちゃんと1人分を多く、家族の全員分を並べると。



そうすることで、離れて暮らす子供が食うに困らないようにと、おまじないみたいな願掛けをすると。



じゃあ俺も友達には世話になったからと、陰膳を真似して牛丼の並盛りを2つ弁当で注文して買って帰って食べたんですよ。



俺にできることはこれくらいしかなかったからね。



陰膳の弁当も勢いのまま食べちゃいましたけど。



それで、食べ終わって色々と考えてみたけど、やっぱりムカついたんですよ。



何なんだと。



でも着信拒否は相変わらずで、そうだ!非通知なら繋がるのでは?と。



でも非通知のやり方がわからないのよ。



どうやっても184を頭に入力する状態にならないのよ。




このガラケーも終わってんなと。



でも、絶対に非通知の設定はあるはずだと携帯をいじってたら、なんならサーチってのが出てきたんです。



相手の居場所をGPSで確認するみたいなやつがね。



まず思ったのが、この機能を彼女に使われたら怖いなと思ってね。



いまどこサーチってサービスなんですかね。



でも相手の許可がないと居場所を特定することはできないみたいでね。



で、試しに友達にそれをやってみたんですけど、繋がりませんって表示が出たんですよ。



さすがに諦めましたよ。



音信不通ですからね。



ただ、もう2度と会わないにしろ何かしらの言葉を友達には伝えたかったな…というのが残念でしたね。



これだけ携帯も便利な世の中になっても相手にメッセージを伝えることの難しさを改めて感じました。



そんなブルーな気持ちでいると、友達から急にメールが送られてきたのである。



マグカップの箱を台所の下にしまっちゃったからそれを彼女がもし見付けたら誤解するから捨てといてというメールだった。



俺は友達が部屋に遊びに来るまでコーヒーを飲む習慣はなかった。



友達はコーヒーを飲むので俺の分も作ってくれるから飲むようになったのだ。



それで、可愛いのがあったからとお揃いのマグカップを友達が買ってきてくれたやつの空き箱を台所の下にしまったと。



だけど、こっちからメールの返信はできないのよ。



だけど俺の携帯はガラケーで友達はスマホだからショートメールでのやり取りなのよ。



つまり、俺が友達からのメールを読んだと言うメッセージ、ラインでいうところの既読だということすら友達には伝わらないのである。



ガラケーとは実に不便である。



しかし、この時代遅れのガラケーが不便であるが故にコミュニケーションの壁を越えていくのであった。



友達が1度だけメールの着信拒否を解除したのである。



電話で喋らせて欲しいと送ると再びメールは着信拒否に戻った。



そして暫くして友達から電話の着信がきたのだった。



友達とはこれが最後の会話になると腹を括った。



この会話で何を喋ろうか?とにかく喋り倒すしかないなと。



自分の中のルールとして、シカトした件には一切触れずに喋ろうと。



俺が最後に友達に対してできること、こんな殺伐とした状況下でも俺なら友達を笑わせることができる!!ということだけを信じて聴覚を研ぎ澄ませて喋り続けた。



怒るにしろ笑わせるにしろそれは表現なのだ。



表現することは理解を求めることでもある。



それは誤解されることもある。



言葉の意味やお互いの感情も相手に伝わっているかが重要なのだ。



それらがぶつかり合うこともすれ違うことも重ね合う言葉のリズムの中で相手との共感を声に乗せて遊ぶイメージ。



それが、つまり、“ともだち”ってやつなんだと笑いながら思い出した。



電話を切って少ししてから友達が部屋に遊びに来た。



電話で喋った時は信じてなかったから、空になった2つの牛丼の容器を友達に見せた。



友達は2つも食べるなら大盛りにすればよかったのにと笑っていた。



それと、着信拒否にはなっていたけど、いまどこサーチだけは≪居場所を教えることを許可しますか?≫というメールが送られてきたという。



メールも電話も着信拒否をされてからは、俺からのメールでの文章や言葉を友達に伝えることはできなかった。



だけど、メールも電話も繋がらなくても友達には俺からのメッセージが届いたことになる。



いまどこにいるの?と。


時代遅れのガラケーでも友達はできるし、仲直りのキッカケにもなるのである。


続く