友達の逆襲 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

友達が俺の部屋の合鍵を返しに来ることになった。



そもそも友達に部屋の合鍵を渡していたのもおかしいのだが、最初に友達が料理を作ってくれるという話になった時に、俺の帰りを待ってると食事の時間が遅くなるから先に作って待ってるというので合鍵を渡したのだった。



俺は上京してから四年間は寮生活をしていたので、そこでの生活では自分の部屋に同期の友人達や先輩達が24時間自由に出入りしていたというオープンな私生活が当たり前だった経験がある。



だから友達に対してもあまり深くは考えていなかった。



信頼関係というものを根底から覆すような友人がいなかったのもあるだろう。



同期の一人が先に会社を辞めてプロボクサーになってからも交友関係は続いていた。



バイト暮らしの4回戦のボクサーはリングに上がるにもチケットノルマを自腹で工面しなければならず金を貸したりしていた。



友人が俺に金を返す話で会いに行くと貸した金額を上回る金額を更に貸して欲しいと言われた。



そんな状況をみかねて友人を飲みに誘ったことがあった。



居酒屋で友人に軽く説教をしてから、なんだかんだで、おっぱいパブに行くことになった。



酔っ払っていて財布の中身を確認していなかったので、最終的には怖そうな店員さんに友人と二人で奥の厨房に連れていかれたこともあった。



金をおろしてこいという話になったが、当時のATM事情でいうとコンビニはローソンのさくら銀行だけがそのサービスを開始したばかりだった。



で、そこは友人の住んでる地元だったので俺はローソンの場所を知らなかった。



友人の財布には千円札が1枚だけだった。



仕方なく友人に俺の銀行のキャッシュカードとその暗証番号を伝えてコンビニへと走らせたのだった。



酔っぱらった金のないやつに自分の300万を超える全財産が預金してあるキャッシュカードと、その暗証番号を教えるという頭のおかしいことを当時はしていた。



だけど、友人はちゃんと戻ってきたのだ。



だから友達という信頼関係において、合鍵を渡すという行為は俺にはそれほど意味はない。



それに部屋の中に金目の物が一切ないのもある。



ここまで無い方が珍しいくらいに何もない。



小さいテレビしかない。



仙人みたいな暮らし。



そう、料理をするにも電子レンジもなければ、なにより包丁すらなかったのだ。



友人以外には信頼関係がないと包丁は凶器だと学んだ結果なのだが。



そんな訳で、仙人が帰宅すると友達が料理を作っていたのである。



仙人はちゃんとした料理を自分で作ったこともなければ、作ってもらった記憶も遥か昔の出来事だったので、肝心なことを忘れていたのだ。



仙人の台所にはまともな調理器具も調味料も置いてないのである。



あるのは、フライパンと片手鍋、調味料は醤油と味塩こしょうのみ。



うちはチャーハンとインスタントラーメンが売りの店だからさ。



夏場に、そうめんをはじめるくらいだね。



ミシュランから胸ぐら捕まれて「クッキングなめんなよ」って言われたけどね。



ようするにまともな料理を作れる環境じゃなかったことを忘れていたのよ。



仙人ってのは目の前の感覚だけで喋ったりするとこがあるからね。



友達は食材だけじゃなく、包丁やまな板や俺がこれまでの人生で使ったことのない調味料まで揃えて料理を作っていたのだ。



というか、仕事から帰って嗅いだことのない匂いだった。



普段は料理を作らないと言っていたのはウソだったのか?



美味しくないと言われてからは何年も料理を作ってないというのはほんとだった。



炊き上がった炊飯器の蓋をあけると友達が悲鳴をあげた。



中を見てみると炊飯器の内蓋がごはんの上に被さっているのである。



俺がビックリしたと言うと、友達は「ビックリしたはこっちの台詞」だと言った。



いや、俺の台詞だと。



この主観の捉え方がボケとツッコミの難しいところではあるが、とりあえず炊飯器がボケということになる。



料理もサラダなんかまであって、ドレッシングも二種類とマヨネーズまであった。




味噌汁はナメコのやつで、メインはぶりという魚だった。



友達の料理を食べながら素朴の疑問が湧いてきた。



ここまで仙人のような、というか、絵に描いたような貧乏人丸出しの者に対して料理を振る舞うメリットはなんだ?と。



モグモグ食べながら、どうしてこんなご馳走まで作ってくれるの?と聞いてみた。



友達は、なんでだろうねと笑っていた。



その笑顔が逆に怖かったので、「その笑い方は『お前を太らせて食べる為だよ』って魔女が言う感じじゃん」というと、友達は「その返しがあったね」とまた笑っていた。



食事が終わり、俺がシャワーを浴びて出てくると友達は食器を洗っていた。



洗い物が終わったら帰ると言うので、それまで布団で寝てていいと言うのだ。



さすがに寝て起きたら居ないのは申し訳ないから、帰るときは起こしてくれと友達に念をおしてから寝たのだ。



だけど、俺はこういう時でも本気で寝ちゃうやつなのだ。



友達という存在に対してはとんでもなく失礼なやつなのだ。



普段よりも早く寝たせいか俺は午前3時に目を覚ました。



そこに友達の姿はなかった。



やられたと。



いや、お前が爆睡したんだろと。



薄明かりの部屋のテーブルの上には洗濯物が丁寧に畳んで並べてあった。



慌てて台所に向かうと食器やその他諸々は全て洗って棚の中に閉まってあった。



それだけではなかった。


俺の部屋にあった2年間溜めに溜め込んだペットボトルのゴミ袋の山が綺麗になっていたのである。



そのゴミの量とは、70リットルのゴミ袋が溢れるほどのペットボトルが3袋分も山積みにしてあったはずなのだ。



その全てのラベルが剥がされていただけでなく、腐った中身まで綺麗になくなっていたのだった。



あとはペットボトルの曜日にゴミ捨て場に持っていくだけの状態になっていた。



完璧にやられたのだ。



台所には小さい置き手紙まであった。



余った味噌汁の食べ方や下手くそなイラストまで書いてやがった。



完全にやりやがった。



俺が呑気に爆睡している間に、友達は頼んでもいないことをやるだけやって消えたのだ。



ペットボトルに関しては仕事だとしてもやりたくはない。



仮に仕事だとしても作業に要する時間や労力を考えればやりたくない。



だから俺も今までやらなかった。



ましてや他人が飲んだり飲み残して腐敗したものまであるのだ。



半分だけやるとか、やってる姿をアピールするとか、男でもそんな仕事ならば嫌な作業だ。



それらを見せることなく完璧にこなして姿を消したのだ。



この志しの気高さはなんなんだと。



何のメリットもないことを文句なくやれる人間ってのは、そうそういるもんじゃない。



俺の仕事での経験では、職場でそれなりの地位になった人か、自衛隊上がりの人にしか、その志しを感じたことはない。



誰でも投げやりになったり自分に甘くなったりするのが人間ってもんだ。



その甘さが職場全体に広がる感覚も理解している。



肉体的にも精神的にも士気が下がったときに、率先して文句を言わずに動くのは自衛隊あがりの先輩だった。



なんの因果か、俺は過去に職場を転々としているのだが、なぜか自衛隊上がりの人に3回も遭遇しているのだ。



18才の学生気分の抜けきらないロン毛の金髪野郎だった俺を最初に大人として叱ってくれたのも自衛隊あがりの先輩だった。



仕事の覚え方すら知らない俺に自分のメモ帳を見せて、つまり自分の手の内を晒した上で何のメリットもない嫌われ役を本気でしてくれたのだった。



子会社から親会社に助勤で来たような若造に、そこまでする志しの高さに今更ながら感謝する。



二人目の人は自衛隊を辞めて起業するもあと少しで海外に移住して隠居するだけだった矢先に、バブルで会社が倒産して離婚してしまった人だった。



それでも身の回りの生理整頓や、やることをちゃんとやっていたら上司にも意見を言うという筋が通った人だった。



冷戦時代の自衛隊は、今とは鍛え方が違うんだと語っていた。



銃器を担いで山を登り、穴を掘れと命令されればひたすら穴を掘り続けたと。



そして次に、今度はその掘った穴を埋めろと命令されるのだと「意味がわかんねえだろ?」と笑っていた。



忍耐力というものがシュールな次元まで到達しているのかもしれない。



それは洗脳という言葉で汚れることのない精神が宿った笑い話だった。



三人目は60才くらいの年配の人だった。



どんなに疲れていても重い資材を率先して運ぶのだった。



それにより現場の士気はあがることになる。



体の鍛え方がまるでちがった。



若いやつもその仕事ぶりには驚いていた。



若いやつにその人が昔、自衛隊にいたことを教えてやった。



自衛隊の魅力についても、冗談まじりで若いやつにその人と話していた。



若いんだから、こんな仕事をやってないで自衛隊に行った方がいいと。



そしたら、その若いやつは自分で調べて自衛隊の試験を受けて、なんとに自衛隊に入ってしまったのだ。



今時の若者にしては真面目なやつだったから単純に転職を勧めたつもりだったけど、自衛隊なら文句はない。



話はそれたが、友達に対して志しの高さは性別ではなく一人の人間として素晴らしいと感じた午前3時だったのだ。



それからも友達は部屋に遊びに来るたびに、泥々に汚れたガスコンロと、ゴトク(爪みたいな形の置くところ)をピカピカに掃除してくれたのだった。


洗濯機の中の汚れや台所のタイルやシンクも自宅からタワシを持ってきて綺麗にしてくれた。



コーヒーの作り方まで教えてくれた。



その全ては友達の善意なのだ。



何も言わなくてもコーヒーが出てくるのだ。



これが主婦という、家事ってものが完全なる仕事なのだと理解した。



俺は彼女と同棲していた時でさえ、そんなことは1度もなかったのだ。



この経験から思ったことは、嫁がいて仕事ができねえやつはクソだなと。



その全てを仕事に捧げることができるじゃねえかと。



これなら寝坊する訳がないと。



俺は今まで何を頑張っていたのかと。



というか、友達は何者なんだと。



幸せってなんなんだと。



なんでこんないい女が不幸なんだと。



意味がわかんねえだろ?と。



そんなある日、友達が若い頃の写真やプリクラを持ってきたのだった。



不思議な感覚だった。



卒業旅行の写真では金髪にカラコンつけて厚底ブーツを履いた当時の友達が写っていた。



しかし、友達と同い年だと考えると、その風景の彼方先には当時の俺もその時代に存在していたことになる。



この女の子の未来がなぜ?言葉には出来ない情報が脳内を駆け巡った。



人はなぜ不幸になるのか?



少しずつ友達の過去が当時の姿として現れる。



初期のプリクラや使い捨てカメラの画質、ガングロだけじゃなく目の前の全てが俺たちの青春時代を物語っていた。




しかし、そのどれもが今の友達とは繋がらないものだった。



ただ、懐かしいという言葉で気持ちをごまかしていたのだった。



友達は少しずつ生い立ちを語るのだった。



感情と記憶の辻褄合わせに過去は正解しか認めようとしない。



俺は友達のことをどれだけ理解しているのだろうか?



いまだによくわからない。