友達との記憶2 | 天狗と河童の妖怪漫才

天狗と河童の妖怪漫才

妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

友達は喋りが達者なので、旦那の話を再現するテンポや間をあけるところだとか身振り手振りの表現力もあるので、俺がオチさえ知らなければ確かに爆笑したとは思う。



会話の相槌とかは笑うための共同作業みたいなものだからオチに向かってうねるように進んでいくのだが、この時ばかりは友達の話に相槌を打ちながらも頼むから裏切ってくれと祈っていた。



しかし、友達がその旦那から聞いた話で大爆笑をしたのは悪くない。



笑い声に罪はない。



ただ、それが旦那と結婚する前のことだと思うと、偽りの発想に惚れたことになる。



つまり、友達は旦那の話を信じたのだ。



その信じる気持ちも悪くはない。



だけど、その手の話をするならば、自分が体験したかのように話すのは普通は無理がある。



目撃した側の視点か、もしくは他人から聞いた話としてなら成立する。



ただ、音楽やデザインでも同時期に似たようなメロディやアイデアが生まれることはある。



遠く離れた大陸の猿が同時期に芋を洗って食べる理論ってやつだ。



それはあるかもしれない、旦那が本当にそんな発想をしたのかもしれない。



ただ、旦那がその漫画を読んでる可能性は否定できないし、その漫画ですら元ネタは別にあったかもしれないのだ。



なんというか、自虐を履き違えた笑いに漂う不信感が鼻につくのだ。



その偽りの笑いの先に待っていたのは、別れたくても別れられないという悔し涙だった。



それが極道といえば、それまでの話だ。



友達と旦那の間には誓約書みたいなものが存在するという。



その内容は友達の実家の土地や建物を含め、全てが旦那にとって都合のいいように書かれていると。



友達から旦那と別れるには1000万は必要になるとは前に聞いていた。



その金額なら離婚して旦那が大阪の仲間の元に帰っても、女から1000万を引っ張ったと地元でも顔が立つという。



友達の本家はそこそこの大手企業の創業者なのだが、旦那と結婚することで本家から絶縁状を書かされたという。



前科者の極道で国籍も違えば年もかけ離れたバツイチのならず者と結婚するなど許せる親がいるだろうか。



しかし、それでも娘の幸せを望まない父親はいないと思う。



友達は大好きな父親が人種差別を理由に結婚を反対して認めないからと、その反動で結婚してしまったという。



父親が戦後生まれだから在日を差別するのは仕方ないと友達は言っていた。



いや、それは違う。



旦那が父親に対して、結婚することで嫁や孫が背負うであろう世間の偏見から家族を守る決死の覚悟を示さなかったからだろう。



友達は俺がそのことについて語ると、帰化や部落といった単語をなんで知ってるの?と驚いていた。



友達はその辺りの知識は全くないまま、純粋に差別やいじめはよくないという正義感と愛を貫いて結婚したのだ。



なぜ、俺みたいなバカ野郎が帰化とかいう言葉を知ってるかというと、ガテン系の職場は色んな人種が一緒になって働いているからだ。



そこでは言葉や文化の違いはあるが、同じ人間だというモノサシさえあればいいのだ。



だから帰化なんて普通の話題として使われている。



それに片言の日本語や言葉が全く通じない相手もいる。



でも、不思議なもので喧嘩をしていることが、言葉は通じないがお互いに怒りという感情を共感している感覚があるのだ。



不良同士の喧嘩にも似た友情の芽生えかもしれない。



何よりも一番の感情は、笑いを共感した時は言葉なんて何の意味もない。



だから今の世界では被害者意識なんてのは国家間の利益の問題であって、目の前の人間同士には一切関係ないと言い切れるのだ。



それと、部落という言葉をはじめて知ったのは、俺が高卒で上京して最初に勤めた会社の同期から夜中に寮の屋上で打ち明けられたからだ。



今さらながら、そんなことを同期が俺に打ち明ける必要は何もないのだ。



俺が育った環境に恵まれていたのと、単純に無知だったのもあるけど、だけど、今になって思うと、そんときの同期のやつの覚悟は友情なんて甘いもんじゃなくて、決死の覚悟だったと思うのだ。



友達の旦那には俺の同期がみせてくれた決死の覚悟ではなく、巧みな政略として一人の女を型にはめたのだろう。



そして友達は両親の反対を押しきって旦那と結婚したのだ。



ただ、海外で旦那と結婚式を挙げたと聞いたので、その時は幸せだったのだと思った。



結婚式とは女の子にとって人生で最も幸福な瞬間だと思うのだ。



それと旦那は嫁である友達に対して周囲が引くくらいの暴言は吐くが、旦那から暴力を振るわれたことは1度もないと聞いていた。



だから俺は、そこには愛があると信じていた。



優しさというか、少なくとも愛はあったと信じたかった。



つまり、こういうことだ!!



嫁に暴力を振るえば、その時点で離婚が成立してしまうと。



この世界には、暴力を振るわないという暴力が存在することを俺は知ったのだ。



それが極道であり、暴力団ならば、まさにプロの暴力だといえる。



DVはそりゃ良くない、だけど、愛とは時に暴力になる。



それでも互いを愛していれば何とか元の家族に戻れることも俺は知っている。



もし嫌ならそれを理由に別れることが可能になるのだから、つまり暴力には愛があるのだ。



とはいえ、俺に何ができるのだろうか。



友達のスマホに写っていた旦那の友人達の写真を見せてもらったことがある。



これを大喜利の写真で一言で答えるのなら…



『遠くの“IS”より、目の前のヤクザ』



すこぶる怖いのである。



このような宴の場に友達が極道の妻として参加していることにも、何だか他人のような距離感を感じてしまった。



だけど、友達に対して若気の至りだとか、勢いで結婚したことに、全ては自己責任だという言葉で吐き捨てるのはあまりにも可哀想だ。



旦那には別れた前妻との間に娘が二人いるが、友達との間に子供はいない。



友達は泣きながら俺に言った。



別れたくても別れられないのは3年前からわかってる、と。



それに、あの人がいつ死ぬかもわからない、と。



友達の年齢は35だ。



女の幸せには時限爆弾が仕掛けられている。



旦那が20才以上も年上とはいえ、旦那が亡くなった時に残されるのは多額の借金と身寄りのない孤独な後家さんが1人ってことになる。



なんだかよくわからないけど、友達の人生はすでに詰んでいる。



もし神様がいるのならさ、友達の犯した罪をもう許してやって欲しい。



もし、俺にも罪があるとするならば、それは友達に普通の女の子としての感覚を取り戻させてしまったことだ。



友達は旦那に対して敬語を使い、どんな要求にも反論することは許されない生活を送ってきたのだ。



友達は結婚当初に旦那から、旦那の目の前に置いてあるリモコンを取れと言われた時に「自分で取ったら?」と言うと、“やまをかえすな“と、つまり口答えするなと言われたそうだ。



そんな関西風の亭主関白な極妻生活を7年も続けている友達の前に現れた俺はというと、イカれた彼女から顔面をグーで殴られたり、道端で土下座を強要させるような女と13年も付き合ってきた訳で、つまり友達の旦那とは真逆のタイプの男だったのだ。



というか、どっちも普通じゃない。



宝くじでも当たれば友達に1000万を渡せば済む話のような気もするが、それでも友達の涙を見るまではこれは俺を狙った新手の詐欺なんじゃないかと疑っていた。



涙を見せる直前、友達は熱く語っていた俺に対してこう言った。



満月満月君は難しく考え過ぎなんだよ(笑)」と。



そこから少し沈黙が続いたので、俺は難しく考えていたことを反省していた。



サバサバした性格の友達は自分の置かれた残酷な状況すら笑い飛ばせるんだなと感心すらしていた。



俺は女心ってのが全くわかってなかった。



急に泣き出した友達を目の前にして、こんなときに何を言ったら笑うのかわからなかった。



友達が欲しいとか簡単に考えていた頃の自分が情けなかった。



だけど、偽りの言葉で笑わせるのはどうなのかと…。



信じることで笑うこともあれば、ウソだとわかって笑うこともある。



涙を笑顔にするには、相手の悲しみに共感するだけの決死の覚悟で喋るしかないのだ。



笑いの神よ、何とかしてくれ!!



満月満月ちゃんも難しく考え過ぎなんだよ(笑)』








『旦那と…、別れちゃえばいいんだよ!!!!』



いや、それができねぇから泣いてんだろ!!というね…。



ええ、実にウィットに富んだ小粋なジョークを貴女に…。



友達はそのままトイレに向かった。



しばらくして涙を拭いた友達が笑顔で戻ってきた。



トイレから戻るのが遅かったので、ウンコかな?と。



というか、よく、この流れでウンコ出せるな、と感心したがそこは女心を尊重する男としては何も言わなかった。



友達の本当の笑顔を取り戻すにはどうしたらいいのだろうか?



続く