何をどう書いたらいいのか、それが今の僕にはわからない。
友達のことについてブログに書くことが必ずしも面白いとは言い切れない現実的な部分があるからだ。
つまり、全てを笑い飛ばせないかもしれないという不安があった。
何よりも致命傷なことは、俺には核心的な女心というものがさっぱりわからないのである。
時系列としてはだいぶ飛ぶのだが、途中までブログに書いたままほったらかしにしていたその時の僕の考えや気持ちは下記のような内容だった。
昨日の夜は先月までの僕からは考えられないほど理想的な夜だった。
いや、去年よりも、ずっと前から求めていたものだった。
驚くほど綺麗になった部屋で僕は友達の作ってくれた手料理を食べていた。
隣には友達がいて、目の前のテーブルには夕飯が並んでいた。
そして、テレビではM1グランプリの決勝戦。
本当に最高の夜だったはずなのに…。
友達との会話と、目の前の料理と、テレビから流れる漫才という幸福が三竦みの状態になっていた。
ようするに、どれに対しても集中できないまま最高の時間は過ぎていったのだった。
そして、なぜか、友達の目から流れた涙を、はじめて見た。
実は俺はずっと友達のことを疑っていた。
それはそうだろう。
友達は結婚していることも黙っていたし、その旦那も堅気だと言ってたけど実は元ヤクザってのは笑えない話だった。
それでも友達はサバサバした性格なので自分の置かれた現実を笑い飛ばしていたし、俺のイカれた彼女との結婚についての悩みや相談には親身になって話を聞いてくれていた。
友達が生理で仕事が休みになった日に約束していた夕食を駅前のデパートの中にある店でご馳走してもらった。
同い年の女の子だと思うと気遣いに戸惑うこともあった。
席に案内されると俺を上座に座らせようとしたのだ。
俺としてはどっちに座ろうがどうでもいいのだ。
友達はたぶん旦那から教育されたのだろう。
俺が思うに、店内で女性をソファ側や上座に座らせるのが男からスタートした最初の優しさだとするとしよう。
やがてそれは当たり前の光景になる。
そうなると、価値観や優しさというのは逆転することになる。
つまり、女性側が上座に座らないと逆に男に恥をかかせることになるのだ。
ようするに、1周した優しさというのは、もうどっちでもいいのだ。
会計の時にも友達がお金を支払うスピードの速さに違和感を感じた。
同年代の感覚だと、それは逆に男に恥をかかせる間合いだった。
旦那が20才近く年上で引退したとはいえ極道の妻としてはそうなのかと…。
駅前の喫煙所で食後の煙草を吸っている時も、友達はこんな時間帯に外をウロウロするのは久しぶりだから変な感じだと言っていた。
世間一般の人達とは違う夜型の生活が長いからだろうか。
それから俺の部屋に友達がやってきた。
友達という存在を部屋に入れたのは10年以上も前のことだ。
少しだけ掃除しただけなのでゴミ袋は山になっていた。
引っ越してきてからの2年分のゴミの山。
ペットボトルの空容器なんかは中身が入ったまま腐ってるようなゴミがとにかく大量に……まぁ、女とはいえ友達だからそこまでは気にはしなかった。
すると友達はタンスの上でこれまた山積みになっている洗濯物をみつけると、それを畳み始めたのだ。
二年ぶりにタンスの上板を目撃した。
タンスの引き出しも二年ぶりに閉まったのだが、動きが悪いのでよく見ると洗濯物の重みでレールの一部が曲がっていた。
とはいえ、友達が俺の部屋でエグザイルについて語り出した時には、今すぐとっとと帰ってくれと思った。
しかもエグザイルのメンバーを君付けで呼んで喋っていることには、アサヤン世代としては理解できなかった。
と、友達が部屋に遊びに来た翌日にここまで書いてる時に友達が部屋に遊びに来たのでそれからほったらかしになっていたのである。
友達の涙について、改めて書くのはどうかと思ったのだ。
だけど、最近になって友達が前に旦那から聞いた話で大爆笑したというその内容が、そんな考えは旦那にしかできないという前フリで聞いたのだけれど、それがどうにも許せない笑いの取り方だったので、再びこうして怒りに震えて書いているのである。
その旦那の体験談や旦那の行動と全く同じことを俺は中学生くらいの頃に少年マガジンという漫画で読んだことがあるのだ。
だから、オチは読めた。
だから2つの意味で笑えなかった。
オチが先に読めてしまったことと、パクったネタをいかにも自分の体験談として語る人間ってのは、ろくなもんじゃねえってことにだ。
俺と同世代の男子なら間違いなくオチは読めていた。
しかも漫画の方がバカバカしくて笑える。
これは話を盛るとかの問題じゃない、人間性の問題なのだ。