友達の作り方5 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

悩みを打ち明けられる友達ができた。



だが、その友達の悩みを相談できる相手がいないことに気が付いた。



そう、友達とは2人必要なんだと。



友達は自分のことをスーパーインドアだと言っていた。



インドアとはどちらかというとネガティブなイメージがある。



ただ、友達の夫婦関係や生活サイクルを知るにつれて、スーパーインドアという言葉は友達にとって精一杯のポジティブな表現になるのだ。



そもそも俺が友達の現状に対してなぜモヤモヤするのか?その根本的な理由について考えてみた。



友達が元ヤンで俺と同い年というのが、モヤモヤの正体なのだと思う。



俺は地元に初恋の女の子がいた。



その女の子は同級生で、小学校に入学したときからずっと好きだった。



付き合ったりする訳でもなく、みんなの憧れみたいな感じの子だった。



その子が中学生になると、なぜなのかわからないがグレてしまったのだ。



初恋の相手がヤンキーになってしまったのである。



しかし、ヤンキーになったことで溜まり場みたいになっていた友達の部屋に、なんと初恋の女の子がやって来るようになったのだ。



間接キスでもドキドキするような思春期ど真ん中の俺には目の前の光景に嬉しさと悲しさがタイマンを張ってるような気分だった。



当時の普通の女子はパンツの上にブルマをはいていたのだが、ヤンキーはなぜかブルマをはかないのだった。



つまり、手の届くくらいの目の前で初恋の相手のパンチラが拝めたのである。



もう何回オナニーのオカズにしたかわからない。



ただ、その初恋の子が他のヤンキーの男と噛んでいたガムを口移しで渡している光景を見たのは悲しかった。



初恋の子がそのヤンキーの友達のことを好きなのはみんな知っていた。



それと、そのヤンキーの友達が別のヤンキーの女の子のことが好きなことも。



目の前で初恋の相手が酒を飲んだり煙草を吸ったりしているのは…あの頃は青春という理由さえあれば何も悪いとは思わなかった。



その初恋の女の子が高校を中退したくらいの噂は聞いたことはあった。



成人式のときにも初恋だった女の子は姿を見せなかった。



つまり、俺の初恋の相手の思い出や記憶は、ヤンキーの姿のまま止まっているのだ。



だけど、恥ずかしいことに、この年になっても当時の夢をたまに見ることがある。



その夢はパンチラのシーンじゃなくて、何気ない教室の窓際で初恋の女の子が大声で笑っている場面だったりする。



そうやって彼女のことを思い出す度に、今頃どうしてるのかなぁ?と考えたりすることもあった。



幸せな家庭を築いてくれてたらいいなと。



俺の好きだった笑い声が溢れる日々を過ごしているといいなと。



同い年の元ヤンの女の子が、今はどんな生活をしているのかな?と。



つまり、俺の初恋だった女の子の未来と、友達の現状が重なったのだろう。



当時は子供だった俺には何も出来なかった。



パンチラの代償が人生においてこんなにも大きいことも知らなかった。



とにかく無力だった。



というか、バカだった。



当時と何が違うかと言えば、このままじゃいけないってことに気付いていることだ。



だからと言って、何をどうすればいいのかはわからない。



俺の初恋は恋だったけれど、友達とその旦那は愛で結ばれて結婚したのだから。



友達とはいえ、そこを紐解くにはデリケートな話になる。



どこまで踏み込んでいいのかもわからない。



女の子から「助けて」と言われれば男の子としては頑張るしかないけど、女は強いのだ。



ただもし、俺の初恋だった女の子が友達と同じ様な生活をしているなら旦那をぶっ飛ばしてやるという感じなのだ。



20歳も年上の旦那がプー太郎で女房を夜の世界で働かせるなんてどうかしてるだろ。



俺が仕事や女の為に犠牲にした地獄の日々は一体なんだったんだ?と、あっさり全否定された気分にもなる。



人間は育った環境で絶望や諦めといった決断力が加速するのだろうか?



男に対する不信感や失望が女を更に不幸にするのだろう。



友達が旦那に惚れた理由を聞いて驚いた。



友達は食事の時に食べるのが遅いらしく、旦那がデートの時にその話を聞いて「ゆっくり食べたるわ」と言ってくれたのが嬉しかったと。



…はあ?



そのクソみたいな優しさの末路がこれかい?



ゆっくり食われたのは友達の方だったって訳だ。



こういう気取った関西人の男ってのはろくなもんじゃない。



俺はゆっくり食べるくらいなら食わない。



旦那は結婚したとたん「やまをかえすな」標準語だと「口答えするな」と豹変したそうだ。



こんなもんは関西圏という言語と笑いが乱舞するコミュニティーで育った女ならば見抜けるはずなのだが、関東の女だと簡単に騙されてしまうのだろう。



20才の年上の関西人というだけでも、友達は俺と同い年でダウンタウン直撃世代なのだから関西弁に対する憧れみたいな好感は持っていたと思う。



食事中の会話や運転中の会話とは100%の会話ではない。



お互いの会話に対する集中力もそうだし、会話の表現力にも制限がかかる。



面白い話ならちゃんとした場所で話したいと思うはずだ。



つまり、食事中の会話とはどうでもいい話なのだ。



どうでもいい話で冷めた飯を食べたくはない。



女に合わせることと、女を楽しませることは同じだが、女を笑わせることとは違う。



ようするに、女に合わせる優しさよりも、女を笑わせるサービス精神の方が圧倒的な優しさなのだ。



それならばさっさと飯を先に食って喋るのが男ってもんだろ。



友達の恋愛観というのもよくわからない。



まぁヤンキーの男と付き合ってきたのだろう。



オラオラ系が好きなのだろう。



だけど、男の本当の強さってのは喧嘩の強さじゃくて、男の本当の優しさってのは……、なんだろうね。



そんで、スーパーインドアな友達に家で何をしてるのかを聞いたらテレビ見たり、音楽を聴いたり、小説を読んだりしているというのだ。



友達が小説を読むとは思わなかった。



とはいえ、俺も最近になって話題の小説をちょっと読むようになったくらいで小説にはまるで詳しくない。



友達が一番好きな小説があると言った。



“冷静と情熱の間”



俺はこれの映画を観に行った記憶はあるのだが、内容は何も思い出せなかった。



「冷静と情熱の間よりも、歯と歯の間に挟まったポップコーンが気になって内容を覚えてない」



すると友達が映画やドラマより小説の方が良かったから、本を貸すと言い出した。



この本は男目線での本と女目線での本があって、その2冊で1つの物語なのである。



この小説を読めば友達の恋愛観が少しは理解できるかもしれない。



しかし、考えてみて欲しい…。



別に好きでもない読みたくもない小説など読む気になるだろうか?



しかも2冊あるのだ。



その内容も、主人公はヨーロッパとかあっちの絵画修復師の恋愛話である。



こちとら建設現場で働くガテン系の職人なのだ。


この差をどう埋めたらいいのか?



ユンボで埋められる距離でもない。



女目線の本から読んだ方がいいと言われたけど、この2冊は女目線は女の小説家が書いてて、男目線の本は男の小説家が書いているのだ。



女の小説家の書いた本など読んだことがない。



俺の偏見かもしれないけど、女の小説家ってメガネかけたブスだと思うのだ。



メガネを外すと目が数字の3になってるような。



女としての美貌と引き換えに文才を手に入れたような。



うっすらヒゲが生えてるような女が恋愛小説を書いてると思うのよ。



そう考えると作者の人が小説家という職業と愛や幸せを刺し違えるくらいの覚悟で作家としての業や女としての業を文章として体現しているのかと疑問になった。



しゃらくせえ女の話になかなか入っていけない俺がいるのだ。



エンターテイメントを楽しむには、その世界観に慣れるまでの我慢は必要だと思うのでコツコツ読むことにした。



作家という職業は己の魂を売り渡すようなもんだと思う。



放送作家が笑いの神に魂を売り渡すように。



それは作家として当然の業だといえる。



お笑い芸人とはそこが違う。



芸人は笑いの神に己の魂まで売り渡してはいないのだ。



お笑い芸人とは、笑いの為なら、笑いの神だろうとその後頭部を引っ叩くのだ。



つまり、笑いのためならいつだって死ねると腹を括っている美学が感じられるのだ。



作家の評価は作品よりも儲けてナンボの世界だから仕方ない。



友達の旦那の美学はどうも後者のような気がする。



惚れた女房すら利用する了見なのだ。



関西人なのだから旦那はおもろいのだろう。



だけど笑いを悪用するのは、どないやねんと。



友達から「面白いね」と「頭の回転が速いよね」と言われたので言ってやった。



「この5年、いや、この10年間でどれだけ笑ったのか知らないけど、俺なら1年あればそれを超えるだけお前を笑わせてやるよ」



俺の知ってる、俺が憧れた関西人は本当におもろい男だった。



俺の笑いでなんとかしたるわと息巻いていたのだが、旦那のことについて詳しく聞かされた直後の俺の口から出たフレーズは「部落」や「在日」という全く笑えない真面目な話を熱く語ることになるのだった。



続く。