入院してたのは知ってましたけどね。
病状がそこまで悪化というか深刻だとは思ってなくてね。
電話があって早退されたんですけど、仕事が終わった後にリーダーから職場の全員に先輩の奥さんが亡くなったことを聞かされた訳でね。
仕事って金を稼ぐ手段だけど、愛する人と一緒にいれる最後の時間まで奪われることもあるというね…。
まぁ大半の人達はその辺を割り切って生活してるんでしょうけどね。
だからガラケーじゃなくてスマホなんですよ。
携帯なんてのは通信手段としての道具ですからね。
いざって時に充電がないとか、繋がらないとか、操作ができないとか、みんな頭おかしいでしょ。
日本の携帯の技術が世界の先を行き過ぎてただけなんですよ。
ガラケーは液晶が潰れてもボタン操作は出来るんですよ。
通話が可能なんですよ。
どんだけ国会の前でデモをやろうと、スマホを使ってる時点で危機管理能力はゼロだし、愛や平和を語る説得力は全くないよね。
人って死ぬからね。
ほんとギリギリの最後の最後の会話が出来る確率は、どう考えてもスマホよりガラケーなんだっての。
メールを打って送るまでの速度だってガラケーのが早いからね。
世の中の流れに合わせることと、命の終わりまで流されることは違う。
誤解されたっていいんだよ。
大切なのはその相手のことを自分が信じ切れるかどうかなんだよ。
言葉なんてのは表現する為の道具なのよ。
その使い方が上手いか、下手クソかの違いなんですよ。
だけど、それが難しい訳でね。
先輩の奥さんの通夜に行くかどうするか悩んでたのよ。
職場の人達でお金を集めて香典を出すのは決まったけど、通夜はどうなのかと。
弔い方に対する考え方がそれぞれ違うからね。
僕としては香典の金額は一律にしないで、名前は伏せて気持ちとして各自がそれぞれに出したものを集めて、それを職場一同の香典として包んだらいいと思うのよ。
そしたら香典泥棒がいるからダメだとか。
職場一同とは別に個人で香典を出した方がいいとか。
通夜に行く気満々の人なのよ。
嫁に電話をして香典の袋が家にあるかと聞いてるのよ。
その先輩は僕と同じで職場では外注なのよ。
で、その行く気満々の人は本隊だから組織的な立場としてはわかるのよ。
明日はスーツ持ってきて仕事が終わったら行くとかさ。
住んでる住所とか調べたりね。
その人にはその人なりの考え方もあるんでしょうけどね。
ただ、誰も先輩の奥さんとは面識がない訳でね。
写真を見たことも声を聞いたこともないの。
どんな奥さんかも知らない。
亡くなったのは先輩じゃなくて、先輩の奥さんだからね。
先輩には世話になってるけど、悩んだけど、行かなかった。
俺だったら見せたくないもん。
横になって寝てるだけの嫁を見せたくない。
奥さんが亡くなって悲しんでいる先輩に対しての気持ちはある。
先輩の奥さんに手を合わせたい気持ちもある。
だけど、それは先輩の愛した奥さんの本当の姿じゃないから。
俺も先輩の奥さんを見たことはないし話したこともない。
だけど、俺は先輩の奥さんが作った味を知ってる。
先輩の奥さんが作ったガーリックトーストを先輩から毎日貰って食べていた。
たまに焦げてたけど、それでも毎朝先輩の為に焼いてくれてたガーリックトースト。
実は俺が食べてたガーリックトースト。
夏場の弁当は食欲がなくて、俺が「夏場はそうめんとか食べたいですよね」と言ったら、先輩の翌日の愛妻弁当はそうめんだった。
だけど、そうめんを入れすぎて先輩を困らせてた奥さん。
奥さんが好きで買ってくる珈琲の飴をいつも貰って舐めていた。
先輩は仕事が終わると奥さんに電話をかける。
俺の話がもう少しでオチだと言うのに、気が付くと優しい口調で奥さんに語り掛けていた。
女の魅力は見た目が全てじゃない。
気遣いだったり、愛嬌だったり、喋り方や雰囲気や笑い声かもしれない。
先輩が愛した奥さんを亡くなったからといって会いたくない。
それは先輩が惚れた女の全てじゃない。
奥さんの前にいるいつもの先輩の姿でもない。
旦那の職場の人間がやってきたのに何もしてあげれないなんて奥さんにしたら無念じゃないか。
俺が知ってるのは亡くなって可哀想なひとりの奥さんじゃなくて、ガーリックトーストを週2くらいで焦がししちゃったり、旦那がそうめんを食べたいと言ったらたくさん入れすぎちゃったり、先輩から聞く「うちの女房がさぁ…」という不満や愚痴の向こう側にある魅力的な奥さんなんですよ。
弔い方は人それぞれだけと、先輩の奥さんだけど女は女だと思うのよ。
それで、職場では喪中トークになる訳です。
先輩が戻ってきたときに笑えない話はやめようと。
奥さんは病気で亡くなったからそういうワードは避けようと。
これがやってみると難しいのだ。
休憩のときのこと。
50代後半の人が、バリカンで頭を自分で散髪したという話を聞くことになった。
頭の天辺は見えないからうまく刈れなかったと。
手で触ってみて長そうなところをハサミで切ったけどボコボコになってしまったと。
「しゃあねえから、かかあ呼んで見てもらったけど、あいつ何も言わねえの!!なんで?」
なんで?と言われても、その人はハゲているのだ。
それに嫁さんを呼んで見てもらうという軽いノロケも入っている。
そのことに誰も突っ込む様子がないで、いつもの感じで僕が喋ることにした。
「まぁ…手の施しようがなかったんでしょうね…」
みんな笑ったのだが、その直後に、いや、これも
![満月](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/250.gif)
![満月](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/250.gif)
病気を連想させるワードとしても、今一番言っちゃダメなやつだと。
工具が壊れても「死んでる」とか言うのはやめようと。
職人用語というのは悪気は全くないのだが、下品だったり差別的な言葉が当たり前のように使われているので、暫くはみんな気を付けて喋ろうと。
そして先輩が職場に復帰してきたのだ。
先輩はガリガリに痩せていた。
先輩曰く、悲しみは当然あるが、男が残されると飯の作り方も忘れてるから何もできないと。
昼飯の時間になった。
先輩は食欲がないからとパンを買ってきて食べていた。
同じテーブルで愛妻弁当を食べているリーダーは、愛妻弁当のフタを開けるといつもと同じように愛妻弁当にボヤいていた。
「またこれかよ…」
パンを食べる先輩以外は(リーダーそれも今は言っちゃダメなやつ…)と無言の間が感じられるその直前、無言すらも傷付けることになるし、何かを言うにもわざとらしいことは言えない。
でも、その無言の間を感じた先輩から何かを言わせる訳にはいかない。
それはリーダーも言った瞬間に感じていたのだろう。
リーダーは「またこれかよ…」とボヤいた直後に強引ではあるが、豪快に言ってのけたのである。
「……母ちゃんありがとう!!」
その後もみんな無言で食べ続けたが、色んな思いも同時に噛み締めていた。
無言ではあるが優しさや愛情を感じていた。
人は悲しみに寄り添うことで、当たり前の怒りや笑いにも感謝することがある。
存在とは物体としてそこにあるわけではない。
言葉とは表現する為の道具でしかない。
「ありがとう」では足りないくらいの「ありがとう」を表現するのは難しい。
それでもあの瞬間には「ありがとう」の言葉しかなかった。
他人だった相手がいつか家族になり、毎朝早起きしてお弁当を作ってくれるのである。
独身の僕には理解ができない。
むしろ独身で同等の仕事量をこなしているのだから僕の方が評価されるべきじゃないか?
先輩の子供たちは成人して別に暮らしているので僕と同じ独身生活になる。
寂しさはあるかもしれないけど、見守られている強さはある。
その瞬間に最適な言葉や最愛の人と出会えるかどうかは、わからない。
とはいえ、それでも一緒にいられる時間は限られている。
毎日のようにガーリックトーストを貰っていた僕は、いつからか「あざーす」と先輩に言っていた。
それは感謝の気持ちが薄れていたのかもしれない。
毎日「ありがとうございます」と言うのも何か変だと感じたからだ。
だけど先輩の奥さんのガーリックトーストを焼く時間というは僕が奪ってたのかもしれない。
寿命に換算したらどうなのかわからないけど、朝はもう少しだけ先輩とゆっくり過ごせたかもしれない。
そこまでガーリックトーストは好物じゃないけど、そこまで考えて食べてもなかった。
会ったことも喋ったこともない先輩の奥さん。
ご冥福とか言うのも何か違うと思うので弔い方として正解なのかわからないけど、僕が言わなきゃいけない言葉はこれしかない。
「ご馳走さまでした」