友達の作り方 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

おい、勝手に殺すんじゃねえよ。



俺はちゃんと生きている。



ここ最近は色々とあってブログの更新ができなかった。



友達のことと、先輩の奥さんが亡くなったことに対して、とてもオナニーできる雰囲気じゃなかったのだ。



それはブログが自己満足のオナニーだという比喩ではなくて、実際にオチンチンをシコシコする方のオナニーをする気分にはなれなかったということ。



つまり色々と悩んでたのである。



結婚や女の幸せについて考えても男の俺にはすぐに答えは出ないのだ。



まずは友達についての話をするとしよう。



ここ10年近く友達という存在が居なかった。



まぁ簡単に言うなら彼女に束縛されてたわけで、その束縛というのも狂気じみたやつでね。



で、それでも彼女に対する悩みを打ち明けられる友達がいないことの危機感が高まったのよ。



そんで、友達作ろうキャンペーンを自分の中で開催してみたんです。



そしたら割りと近所に友達ができたという訳なのよ。



まぁ、その友達というのが男じゃなくて女ってのが情けないんだけどね。



なんというか、同い年で何でも話せるタイプだったのと、男と喋るのにうんざりしてたのよ。



とはいえ女友達ってのが過去にいたことがないから、こんな感じなのかな?と。



正直なところ、女友達とセフレの違いもよくわからないんですよ。



ただ、男友達ができても二人っきりでいるのは、なんかキモいじゃないですか。



34なんて、おっさんの年齢ですからね。



ようするに、友達って感覚がどんなだったか忘れてたのでリハビリもかねて友達を作ろうとしたんですよ。



友達と親友の違いも忘れてたんでしょうね。



自分の中での友達の定義ってのが、地元の友達だったり寮生活してた時の会社の同期だったりと、濃密な時間を一緒に過ごした仲間みたいな関係だったのよ。



だから友達だと思うと、ちゃんと真面目に返答することになる。



その友達が飯をご馳走してくれるというので連絡先を交換したのが全ての始まりである。



肉体労働者なのでマッサージに通うことがある。



俺は付き合ってる彼女にマッサージをしたことは何千回とあるが、彼女が俺にマッサージをしてくれたのは13年も付き合ってたったの3回だけだ。



若い頃に彼女から貰って大切にしまっておいたマッサージ券のことを思い出して、それを彼女の前に叩きつけたこともあった。



しかし彼女から「よく見ろよ」と言われて、よく見てみるとマッサージ券と書いてある下に小さな字で(有効期限)が書いてあった。



とっくの昔に期限は切れていたのだ。



それでも普通の女ならば、10年以上も使わずに大切にしまってくれてたことに感動してマッサージくらいしてくれると思うのだが、彼女はやらんのだよ。



そういう部分が欠落しとるのよ。



“ありがとう”と“ごめんなさい”が素直に言えない女なのだよ。



これでまともな子育てなどできるわけがない。



男は恋愛と結婚を全くの別物として考えるから当然の話なのだが、彼女はそれを理解していないのだ。



なんの話だった?



そうそう、肉体労働者はマッサージに通うのである。



ただ、足裏マッサージなら男にグリグリとやってもらいたいが、ボディーのマッサージとなると男にはやって欲しくないのである。



マッサージが下手くそだった時に男だと許せないのもある。



一番嫌なのは足裏のオイルマッサージは男にやられても眠ってしまうくらい気持ちがいいのだが、ボディーのオイルマッサージを男にやられるのはとんでもなく気持ちが悪いのだ。



個人的なトラウマで言うなら若いときに先輩とかから尻をよく鷲掴みにされてたのもある。



太った男子が男から乳を揉まれるように、女顔の男とは男から股関や尻を弄ばれるのだ。



そんなこともあって、私が紙パンツの良さに目覚めるのには、さほど時間は掛からなかった(笑)



友達とはその店で知り合ったのである。



たまたま半年ぶりに偶然に再会したのだった。



マッサージ中はうつ伏せの状態なので、会話だけのコミュニケーションになる。



基本的に男女問わずに喋れる相手だなと判断した場合には、とことん喋り倒すタイプなのでお互いに覚えていたのだ。



それと半年前の帰り際に友達から「しょうがないからライン教えてあげるよ」と上から目線で言われたのも覚えていた。



俺はガラケーだったので断ると、ガラケーでもラインはできると言ってきたので、ガラケーのラインはブロックができないんだと、ガラケーの最強のセキュリティでもあるラインでの繋がり拒否。



そんなこともあり喋れる相手だというのは知っていたので、うつ伏せのまま会話を続けた結果、ご飯をご馳走するから連絡先を教えてくれというのだ。



このラインが当たり前の時代にショートメールとは盲点だった。



スマホでショートメールが使えることすら知らなかった。



任天堂などのゲーム機のハードというのは、新しくなると古いソフトは使えなくなるシステムなので、スマホでラインとなればショートメールは使えないと思っていた。



こうなったのも半年前の会話を覚えてるかどうかの記憶力クイズみたいな展開になったからなのだ。



友達と同い年という会話になった流れで、お互いの誕生日について喋った記憶は確かにあった。



そして、友達は俺の誕生日を覚えていたのだが、俺は友達の誕生日を覚えてなかったのである。



いや、それが当たり前の話じゃないか。



俺の誕生日は年度末なので覚えやすいのと、それにまつわるエピソードを喋れば記憶に残る。



友達の誕生日は覚えてない。



それで終わらなかった理由がある。



俺が半年前に友達の誕生日を聞いた時に「覚えやすいね」と言ったというのだ。



はあ?



俺はそんな無責任なことを言う男ではないと思うし、仮にもし言うとすれば何かがあって覚えやすいという論法だと思うのだ。



つまり、何かしらその誕生日に絡めた面白いことを言ったオチとして、それなら覚えやすいねという感じになったと推測できる。



半年前の自分が咄嗟に何かしら言ったであろう面白い返し、自分の会話の組み立てかたの傾向を推理するという、半年前の自分との戦いに記憶力という問題もあって真剣に考えていたのである。



普通に記憶力クイズだとしても面白いのだ。



それを友達は誤解したのだろう。



自分の誕生日にこんなに真剣になって考えてくれた人はいなかったと喜んでいるのだ。



違うのだ。



大喜利みたいな問題の答えを考えているだけなのだ。



その結果、正解したらピザかパスタをご馳走してくるということになった。



そして、不正解なら餃子をご馳走するという。



どっちにしろ、ご馳走してくれるというボケなのだが、その時は半年前の自分に夢中だったのでボケまでは気が付かなかった。



6月ということはヒントから判明したのだが、日にちまではわからなかった。



6月で俺が「覚えやすいね」という日とは?



なるほど。



6月9日と答えた。



友達は「なんで?」と言いながら笑っていたので、目の前の笑いとしては正解だったのだが、記憶力クイズとしては不正解だった。



とはいえ、真剣に悩んだ結果、6月9日と答えて笑う時点で頭の回転は悪くない。



これをシックナインと説明するのは恥ずかしい。


それからチャンスが2回に増えたのと月の前半か後半かに絞ることになって前半だとわかった。



これで1/15の確率になった。



シックスナインは無駄死にではなかったので、1/14の確率である。



更に月曜日だったというヒントを貰ったが携帯で調べるのは禁止だとルールが決められた。



タダ飯という人参をぶら下げられたら何としても当てるしかない。



指を7本出して、各指に曜日を割り当てて半年前の月曜日まで遡る作戦を考えた。



しかし、1日まで曜日を戻ったのはいいが、先月の月末が30日か31日かを確認しなければならなくなった。



月末を調べる方法は拳を握った時にできる間接の山の数で判明することは前から知っていた。



しかし、拳を握ったら7本指に割り当てた曜日がリセットされてしまった。



作戦は失敗に終わった。



友達は「もう正解を言いたいんだけど」と軽く怒っていた。



これではタダ飯が食えなくなると思い(不正解でも良かったらしいのだが)怒りを鎮めようと「でも、誕生日を当てられたら嬉しいでしょ?」と言った。



すると友達は「今さら当てても嬉しくないから!」とキレ笑いをしていた。



これはもうメンタリズムしかないなと。



友達に半年前と同じように反射的に正解を導き出すから、6月の1日から15日までを順番に言うように頼んだ。



日にちの語呂合わせなのは間違いないとして、瞬間的なアドリブを再現するのと、自分の誕生日を答える時は声に僅かながら違いが出るなと踏んだのだ。



それがメンタリズムというものである。



タダ飯の為なら、なりふり構わないのだ。



耳に全神経を集中させて頭をフル回転させた。



「6月1日、6月2日、6月3日、6月4日…」



静かな部屋の中で6月の日付だけが繰り返し読み上げられてゆく。



さすがに6月7日あたりで「これ、俺達なにやってんの?」というツッコミが喉元まで出かけたが無理矢理に飲み込んだ。



「…6月15日!!」



全く違いがわからなかった。



それもそのはず、正解は6月1日だったのだ。



俺のメンタリズムの盲点である。



最初のやつが正解だと、あとのやつの違いがわからない。



というか、1日が正解と知りながらも、よく笑わずにあの静寂の中を15日まで駆け抜けたなと関心すらした。



結局はラストチャンスとなり語呂合わせなのかを確認すると違うと言うのだ。



そんな訳はないと思ったので、語呂合わせの意味をちゃんとわかっているのか?と聞いたら「例えば、6月4日で虫の日とかでしょ?」と言った。


そうそう、6月4日で虫の日、覚えやすいね…



これだ!



「6月4日!!」



「だから違うって言ってるでしょ!!」




いや、客にタメ口ってなんなんだよ…。



そんな訳で親しくなってご飯をご馳走してくれるというので連絡先を交換したのだった。



そして、友達作ろうキャンペーンを開催していたので「友達いないから友達になって下さい」と、お願いすると、あっさりオッケーだったのである。



こんな少年のような台詞を吐かなければ友達ってのは作れなかったのだろうか?




後日、深夜の公園のベンチで友達の爆弾発言を聞くまでは女を甘くみていたことと、俺の中の少年が発狂するのだった。



つづく。