百万円の価値 | 天狗と河童の妖怪漫才

天狗と河童の妖怪漫才

妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

周りでだまされてお金とられたことのある人いる?ブログネタ:周りでだまされてお金とられたことのある人いる? 参加中




過去に3ヶ月分の給料を未払いのまま泣き寝入りしたことがある。



残業代や交通費を含めると百万程の金額を失ったことになる。



近頃の若者はブラック企業だなんだと騒いでいるけれど、給料を貰えるだけ君達の会社はまだまだグレーだと言いたい。



給料を貰えるアテもないのに、自腹で交通費を払って仕事をするのだ。



もはや社畜ではなく完全にボランティア精神である。



貯金など最初からない。



借金をしてまで交通費を払ってボランティア活動をしていたことになる。



仕事に対する責任感を突き詰めると、こういうことになるのだ。



百万円の貯金を使ったのではない。



単純に、貰えるはずの百万円を失った訳でもない。



いきなり百万円の借金を背負ったのだ。



頭が悪いと言われれば、その通りだ。



社会での賢さとは、ずる賢さなんだと学んだ。



その学費も借金して払ったことになる。



当時の自分としては、百万に対する未練はそう簡単には捨てることは出来なかった。



当たり前だ。



厳密には金に対する執着心というよりも、目の前の生活が、明日がどうなるのかが心配だった。



そう考えると、まだ怪しい宗教に騙された方が手元に怪しい高価な壺は残るのだから、それは壺としての本来の使い道はあるのではないか?



百万円を寄付するやつを偉いとも思えない。



だって同じ百万円なら寄付でもした方が清々しい気分に浸れるのではないか?



ヤクザが絡んでいたのと、当時はまだ世間知らずの若者だった僕は、未払いの金を回収する度胸も現実から逃げる勇気もなかった。



奈落の底で体育座りをしているような感覚だった。



ここが地獄ですか?と、人生を見学しているような、そんな感じだった。



当時は彼女からどっぷりと洗脳されていたので、頼れる存在は彼女しかいなかった。



そもそも、その会社を新聞の折り込み求人広告から見付けてきて僕に薦めたのは彼女なのだ。



究極のサゲマンとしか言いようがない。



若いときの苦労は買ってでもした方がいいと聞いたことはあるけど、借金をしてまで苦労を買いたくはない。



仕事の責任感と同じように、女を愛することも突き詰めなければ理解できないバカだったのだ。



彼女の希望する、というよりも強制する転職先の条件は、女がいない職場で飲み会や社員旅行のない会社だった。



そんな会社などある訳がない。



それと、職場の人間とは馴れ合うな一切喋るなと言われていた。



そんなんで、まともな仕事が成立する方がおかしい。



また就職しても彼女が騒いで迷惑をかけたり辞めたりするのを繰り返すのは嫌だった。



つまり、仕事に対する責任感と彼女に対する責任感とが同時に加速していたのだ。



そして、彼女の薦めた会社ならばと、奈落の底に飛び降りたのだった。



その結果、サラ金だけでなく彼女からも金を借りることになり、僕の20代は終わった。



彼女の洗脳は金を貸すことで僕の経済力を奪う形で完成したのだった。



金と仕事と友人の全てを彼女に捧げたが、サゲマンは何も変わらなかった。



最終的に僕は過度のストレスから風邪をこじらせて入院した。



それも雨の中を傘もなく歩いて帰ったからだ。



週末に彼女の実家に向かう最中に僕が風邪をひいてることを伝えると「うちの親に風邪をうつすつもり?」とキレて「帰れ!!」と急に怒鳴られたのだ。



当然ながら予備の傘もなく雨に濡れながら帰って二日後に入院したのだった。



入院してサゲマンはやっと変わった。



変わったというか「さすがに、こいつもここまでやると入院するんだw」と人間の精神の限界点を知ったくらいである。



とても彼女と結婚する度胸も勇気も僕にはない。



ましてや婿養子という条件付きなのだ。



彼女の理屈では彼女は被害者なのだ。



そのくせ家事は一切なにも出来ない、やらない、やれない。



僕からすると他の女の欠点がよくわからない。



ブスと美人の区別はつくが、女としての欠点がいまいちよくわからない。



彼氏にフラれた女とか、独身の女だとしても、女としてのダメ穴の数なんて知れたもんだと思う。




彼女はザルだ。



女としてザル。



2つの意味ですくえない。



仕事にしても恋愛にしても、行着くとこまで突き詰めなければ僕は理解できないバカなのだ。



絶望的な日々の中で、もしかしたら、という淡い希望があったのかもしれない。



何がいけなかったかと考えると、友達は大切だってこと。



恋人だろうと、友達と同じ他人だということ。



他人を信じることは覚悟だけど、人間の生活や精神には限界があるってこと。



借金のある状況で見上げた病室の天井に感じたのは、明日からの不安よりも目の前の安心感だということ。



痛みやストレスからの解放こそが、幸せが靴を履いて爪先をトントンするような始まりの合図だと知った。



目の前の安心感を肯定する体験をしたのだった。



だから僕は友達を作ろうと思った。



そしたら友達ができた。



もちろん彼女には内緒なのだけど。