子供が産まれました。
父親になりました。
初めて我が子を抱きました。
そして、命名された我が子の名前に驚愕しました。
…そんな夢でした。
いや、これ全部、夢の中での話です。
完全に悪夢でした。
ほんとに夢で良かった。
子供が産まれる夢をみたのだ。
正直、かなり焦った。
ほんと危なかった。
とうとうヤキが回ったかと思った。
年貢の納め時だと思った。
世界の終わりかと思った。
全身の血の気が引いた。
毛布だかバスタオルみたいな、赤ん坊をくるむ布に包まれた我が子を、嫁らしき女の人から渡される場面から急に始まったのだ。
えっ?
なに?なに?なに?
一体どうなってんの?
意味がわからなかった。
なぜなら妊娠するようなことをした記憶は、ここ何年もないのである。
そんなバカな…。
あれか?
いや、違う。
もしや?
いやいや、違う。
ひょっとして?
違う違う違う。
ウソだろ…。
えーっ!?
しかし、周りには家族らしき人影もあり、その嫁らしき人物から渡されようとする赤ん坊を抱くことを拒めるような空気ではなかった。
とにかく、人生の中で最高に、おめでたい場面なのはわかる。
自分がその主役だということもわかる。
なんだろ?
あとは、くす玉の紐を引っ張るだけみたいな。
この場合では、渡される赤ん坊を抱くことが当たり前のようになっているのだ。
…いや、これ本当に俺の子供なのか?
それに、あまりに急な展開で、赤ん坊ってのをどう持ったらいいのかもわからない。
優しく包み込むように抱くイメージはあるのだが、うっかり布から赤ん坊が滑り落ちそうな気もするし、あや取りをどう取るべきか悩むみたいにあたふたしてしまった。
そして、なぜかはわからないが、ラグビーボールのパスを受けるみたいな構えで赤ん坊を受け取ろうとしていた。
布に包まれた赤ん坊の形が、ラグビーボールに似ていたからだろうか?
これでもし俺が五郎丸だったら大変なことになっていたかもしれない。
俺が五郎丸ポーズを始めたら最後、あとはもうポールとポールの間を目掛けて蹴るしかないのだ。
我が子を抱く。
独身の俺には未体験のことである。
想像妊娠に近い感覚だったかもしれない。
夢の中で初めて我が子を抱いた。
今まで色んな重さのモノを抱えてきたが、そのどれとも違う重さが確かにあった。
これが俺の子供なのか…?
夢の中で感動していた。
経験したことのない感覚だった。
責任感という子供の親として背負う重圧よりも、じわじわと体の奥底から放射するように湧いてくる得体の知れない喜びに痺れていた。
この感覚に名前を付けるなら、これが幸福なんだと思った。
なんでこんな夢をみたのだろうか?
世間は運動会シーズンなのに自分が独身なもんだから、子供の運動会という話題に参加できないという、人の道を外れた生き方をしていることへの罪悪感からか?
それで物欲として子供を望んだのだろうか?
夢のメカニズムはわからない。
自分の赤ん坊を抱いた場面の流れで、次は子供の名前を知ることになった。
誰が名付け親なのかもわからないが、すでに我が子の名前は決定していたのだ。
巻物みたいな半紙に命名した我が子の名前が書いてあるらしい。
子供の名前なんか考えたこともなかった。
でもまぁ、自分か嫁か、他の誰かが画数とかを色々と調べて我が子に最適な名前を名付けたのだろうと思った。
とにかく我が子に向かって早く名前を呼んでみたかった。
父親として最初の仕事である。
その巻物みたいな我が子の名前が書いてある半紙をゆっくりと広げると、まず漢字の“さんずい”が目に入った。
“さんずい”だから海っぽい、そっち系の名前なのかな?と。
ちょっと自分らしくないけど、よさそうな名前の雰囲気はした。
そして、命名された我が子の名前が書いてある巻物のような半紙を一気に広げた。
そこには筆で書かれた我が子の名前があった。
命名『汁太郎』
えっ?
汁太郎?
しる?
汁…太郎…
いや、マジか!?
汁太郎という名前に対して、その場にいる家族や親戚の誰も笑ってない。
名付け親の誰かが一生懸命に考えてくれた名前なのはわかるけど…。
いや、でも、これは…。
周りにいる家族らしき人影や嫁らしき人物も、その場にいる誰一人として『汁太郎』に対する違和感や不満を口にしないのである。
いや、絶対におかしいでしょ?
汁太郎でいいの?
いや、汁太郎でいい訳ないよね?
キラキラネームよりひどくないか?
ゆで太郎の姉妹店みたいじゃないか?
仮に太郎はいいとしても、汁はどっから出てきたの?
我慢汁で授かったみたいに思われるだろ。
でも、もう手遅れなのか?
この幸せの場面をぶち壊すことは父親にも許されない。
そんな嫌な空気がそこにはあった。
夢の中で経験したことのない、ぐっちゃぐちゃになった苦笑いをした。
そこで携帯が鳴った。
その音で目を覚ました。
彼女からの電話だった。
さっきまでのことが夢だったことに安心したが、このタイミングでの電話には、それはそれで気味が悪かった。
「なにしてんの?」
夢を見てたと答えた。
「なにしてんの?」
だから寝てたと答えた。
なんでこいつは2回も同じ質問をするのか意味がわからない。
疲れてて、いつの間にか寝てて、それで夢を見てたと答えた。
「何の夢?」
え?
なんか、もう怖い。
話を整理しようと、夢を思い出していたら笑ってしまった。
夢だとわかって汁太郎の名前を思い出したら、笑ってしまった。
「なんで笑ってんの?」
いや、そっちこそなんで怒ってんの?と。
夢の中とはいえ、さっきまで我が子を抱いていた幸福感はまだ残っていたので、急にガミガミ言われるのがムカついた。
これは正直に話してもダメなパターンのやつだ。
汁太郎が許されない世界の話だ。
汁太郎と筆で書かれた半紙を見つめたまま、固まった場面を思い出したら笑いが止まらなくなった。
気が付いたら通話状態のまま二度寝してた。
誤解されたり疑われたり、そんなことはもうどうでもいいのだ。
自分の中で感じた、我が子を抱いた時の喜びの感覚は間違いではないと思う。
それを否定されたり、汚されたくはない。
別に育てる子供が欲しい訳じゃない。
寝るときに、隣に添い寝する子供が欲しいのだ。
温もりが欲しいというかね。
子供と一緒に眠る幸せな世界。
現実の世界は違う。
ティッシュに包まれた汁太郎はゴミ箱の中にいる。
人肌恋しい季節に見た夢はあまりに儚い夢物語でした。